今、危機が迫っている

 

危機が迫る-1

 

「石油文明が終る、日本はどう備える」

もったいない学会会長、東京大学名誉教授 平成22 年5 月13 日

 

1.石油ピーク、人類最大の文明問題を理解する

 

石油ピークは石油文明の変革を意味する、日本は何かを本気で変える時に来ている。

いまの世界的な経済不況の深層に石油ピークがある。それは、人は自然の恵みで生かされているからである。

地球は有限、資源は質が全てと理解すると未来が見えてくる。特にエネルギーが大事、文明のかたちはエネルギーで決るからである。

新聞、テレビは経済浮揚策、温暖化一辺倒のようだが、それも「石油ピーク」を理解する必要がある。エネルギー無しには何も動かせず、何も作れないからである。

歴史的に、森が古代からの人類のエネルギー源であった。19 世紀からは産業革命においては石炭が支えた。人類はこの化石燃料によって、それまでの森林不足による慢性的なエネルギー不足から解放された。そして20 世紀は石油の世紀、特にこの半世紀の指数関数的な消費増大が著しかったが、その石油資源は無限ではなかった。

それが石油ピークである。今後人類は長いエネルギーの下り坂を経験するであろうが、ここで念を押しておくが、これは枯渇ではない、石油減耗と呼ぶべきである。石油は余りにも優れた自然の恵み、資源であり、その代りはない。

地球の究極的な可採埋蔵量は2 兆バレルほどと、地質学的に見積られているが、それは富士山を升として20%程度、人類はもうその半分使ってしまった。そして、条件の悪いものを残した。

石油ピークはもう事実である。だがエコノミストは市場が、技術者は技術が解決すると思うようだが、それは「資源の質」を知らない議論であり、熱力学の第二法則、エントロピー則を理解しないからである。

 

2.人類の生存基盤の崩壊、石油ピークはその象徴

 

石油ピーク後、生産は年率数%で減退するとみられる。勿論短期的には価格、生産量は

その時々の経済動向に左右されて変動するが、それに惑わされないことである。石油減耗とは長期的な下り坂を意味する、石油文明、現代文明の衰退なのである。

アメリカ、エネルギー情報局EIA のデータによると、2005 年5 月石油ピークの始りであったようである。

その典型が、地球最大の油田、サウジアラビアのガワールである。1948 年頃発見されたが、今は減退期にある。総じて世界は、技術の進歩によって自然の減退は止められなかった。油田の発見と生産のギャップは拡大するのみである。

最近、ブラジルPetrobras のトップは、その減退は2年に一つのサウジアラビアが必要となる早さである、と警告した。そして米軍レポートは、2 年後の石油供給余力の喪失、2015年には日量1000 万バレルも不足する、述べていると英国のGuardian 紙が報じ、世界を驚かせた。

ここで更に加えるが、この地球資源の減耗は石油に限らない。世界の森林面積は半減した、漁獲量ピークは昔から知られている。地下水の危機的な状態は飲料水、農業を危機に陥れている。石油ピークはその地球的な減耗の象徴である。

 

3.成長至上主義はもう時代遅れ


流体燃料の石油ピークは、内燃機関を使う現代運輸システムを直撃しつつある。現代農業は肥料、農薬、農耕機械を通じて石油ピークの影響を受け始めた。石油、天然ガスは化学工業の主要な原材料である。このように現代文明は石油漬であるから、石油ピークは文明ピークといえる。
だがそうは思わないのが社会である。エコ、環境技術でGDP の更なる成長を望もうと巨大な財政支出をする。だが、社会の歪みは拡大し、社会不安は深刻化する。格差拡大は社会の崩壊を招いている。
限りある資源、環境制約の基での財政投入拡大は、一時凌ぎでしかないのである。それも文明史が教えている。
地球温暖化対策も、脱炭素より「低エネルギー社会」の構築を計るべきである。

排出権取引や二酸化炭素の地中、海洋投棄などは本質的ではない。

 

4.エネルギー戦略、EPR で論点整理


色々と新エネルギーが話題だが、どれが本命かわからない。原子力ルネッサンスなどと言うもののウラン資源も有限であり、放射性廃棄物の処理は未だに不透明である。
太陽、風力エネルギーは無限、今後の本命とされるが、エネルギー密度が低いことを忘れてはならない。エネルギー技術はEPR(Energy Profit Ratio、エネルギー入出力比)で判断するのが良い。科学的な論点整理にはEPR が望ましい。
人気の電気自動車も、リチウム・イオン電池用のリチウムが必要である。リチウムは塩湖などで採掘されるが、資源量も無限ではない。加えて公害問題がある。また電気は何で手当するかも良く考えることである。
科学合理性、リアリズムが大切、そして「自分で考える」ことである。

 

5.日本のプランB


自然との共存には、先ず周りの地勢、自然を理解すること。日本は山岳70%、海岸線は世界の第6 位と長い国である。その日本も地域多様性がある。念頭におこう。これからは多様な思考が大切であり、画一思考はしないこと。もう欧米の権威を単純受容しない、自分で考える、それが国際力学で強かに生きることに繋がる。
「もったいない」と思う、豊かな心、人の絆を大切にする多様な地域社会を目指す、科学合理性とリアリズムを基に、21 世紀の理念を育てたい。

 

http://oilpeak.web.fc2.com/pdf_files/end_civilization.pdf

 

 

危機が迫る-2

 

「日本のプランB」、その趣旨とは、

 

「地球は有限、自然にも限りがある」

 

これを理解するのが現代人にとって至難のようである。持続的「発展」と「指数関数」的成長を当然視する現代の工業化社会は際限なく地球からエネルギー・資源を収奪することとなる。その結果、増大するである廃棄物、ゴミなどは自然を地球規模で破壊する。気体のゴミが二酸化炭素であり、地球温暖化の元凶とされる。この意味で地球温暖化も現代社会の「浪費の結果」の一つ、その根本対策は「脱浪費」しかない。

この浪費を支える石油需要に供給が追いつかなった、それを「石油ピーク」と呼ぶ、それはもう来ているかもしれない。脱石油文明は原理的に20世紀の象徴、膨張の逆を行くしかない。この脱浪費には先ず無駄をしないことである。いうまでもなく無駄とは要らないということ、脱浪費は生活水準の低下を意味しない。欧米、特にアメリカ型の大陸で育った浪費型の文明を追従するのはもう止めにしたい、これはグローバリズムに振り回されないという意味でもある。

 

日本のエネルギー消費は1970年頃は、今の半分程度でしかなかった。人口も今より少なくほぼ一億人、食料自給率も60%以上あった。そして心は豊であった、のではなかろうか。これを目標とすることは如何であろうか。少子化は悪いことではない、石油ピークを機に人口減を日本生存のむしろチャンスと考えたいものである。

石油ピークは車、船、航空機などの運輸システムを直撃する。石油が常温で流体だからだが、それも石炭液化、水素などと思わないこと。先ず車社会を徹底して見直す、幸い欧米に比してまだまだ残る「日本の鉄路」を再認識したいものである。つまり公共運輸機関を整え都市の構造を再構築すれば、地方の活性化、分散社会に通じよう。つまり地方分散を日本の新しい発展の契機とするのである。

 

食料生産も本来、地産地消が望ましい。そして自然エネルギーの活用もエネルギー密度は低いことを理解して、地方分散型を計ることである。そのような知恵、技術を育てること、従来の規格大量生産、効率至上主義からの脱却する技術が重要なのであろう。その判断基準をエネルギー収支比、EPR(Energy Profit Ratio)で考えるのである。

 

「石油ピークは農業ピーク、そして文明ピーク」

 

現代の石油漬け農業から地産地消型を推進する、流行のリサイクルも考え直す必要がある、真の循環社会とは3R(Reduce, Reuse, Recycle)の最初のReduceが大事だからである。

このような全般的な文明、社会改革は新しい雇用を生む筈で、人を大切にする思想を育むものと期待される。そしてこのような日本発の理念が国際的な尊敬をもたらし、日本の存在感は高まろう。アジアの国々との共存にも大きく貢献することであろう。

この理念、思想が「もったいない」であり、そのための具体的な価値判断が「未来へのキーワード、EPR」である。

 

21世紀、日本主導の未来構想

 

戦略のない日本はどうなるのか。燃料高騰に始まり、食料、生活物資が次々と値上がりするが、過剰な投機資金のためなどと説明されるが、「有限地球での石油ピーク」が原点にある。温暖化の危機も石油ピークと表裏にある。脱石油文明は「脱浪費」、「もったいない」、冷徹な科学合理的な「日本のプランB」を考えたい。

しかしここで当然のことを述べておく。それは「地球は有限、自然にも限りがある」ということ、当然無限の成長はできない。マネーはいわば「虚の世界」、対して人類が依って立つ「自然の恵み」は「実の世界」である。アメリカのサブプライム問題は、金融工学という「虚の世界創出」のまやかしの崩壊である。

 

中国もエネルギー資源の制約からいずれ逃れられまい。地球は有限、いずれもう石油ピークが来ているからだ。その文明転換期、中国石炭にも翳りが見え格差社会の歪も大きい。第三のメディア、ネット時代その不満は押さえきれまい。

つまり人類は「実の世界」の有限性に世界的に当面しつつある。これは無限成長、幾何級数的成長の本質的な矛盾である。「3・11後、日本のプランB」とはそのような原理的な視点に立つ。アメリカ型の浪費からの離脱、日本の新しい文明を構想することである。(2011年11月改定)

 

http://www1.kamakuranet.ne.jp/oilpeak/opinions/planb.htm

 

危機が迫る-3

 

世界に広がる水不足問題と日本

 

 さまざまなメディアを通して叫ばれる世界各国の水不足問題であるが、日本という土壌環境に生活する我々にとって、このトピックは差し迫った危機感を帯びてはいない。それだけに水不足に関する情報と疎遠であり、実際には我々にとっても非常に重要な問題となる『未来における水不足の問題』への対策にも疎かになりがちである。そこで水不足という地球規模の問題に対する各国の調査と、現存する諸問題について述べたいと思う。

 

 まず現在の世界レベルでの水の需要と供給のバランスであるが、現段階においては明らかに水は足りていない。さらにコロラド大学準教授ケネス・ストルツェペクは、世界の水供給量の分析結果から、飲料可能な淡水の埋蔵量が年々減少しているとも報告している。分析によれば、現在既に世界人口の三分の一が、水事情が逼迫している地域に生活しているが、人口増加に伴い、灌漑、畜産、その他の産業活動や自然生態系維持のために、更なる水需要が増えるという。ストルツェペクの想定する現状維持シナリオでは、2025年までに世界人口の半数が、水が逼迫する地域に住むことになる、という予測となる。(Earth Vision Reports “Increasingly,”)また『世界水ビジョン_川と水委員会』の報告で明らかなとおり、一部の地域を除いたアジアとアフリカの全地域、一部の南米諸国が水不足の危険地域とされており、それらは地球全体の半分の陸地面積を占めている。

 

 これらのデータが公開され、いかに地球上で水不足が深刻化しているかということが判明したところで、やはりそれらの危機に直面していない国々、とりわけ日本において、人々の意識の中の水に対するありがたみや水の持つ重要性は低いと言わざるを得ない。島国であり火山活動によって隆起した多数の山の恩恵を受けた日本は、有数の河川と湖沼を持ちまたそれらから得られる水の生活用水としての安全性や用途の広さは、世界の他の地域と比べてみても群を抜いて高い。言い換えれば、日本のどの地域においても水道の蛇口をひねれば当たり前のようにきれいな水が得られる。そしてそれらのほとんどが飲料水としても利用できる。

 

 しかしこの『当たり前』が、近年ではもはや通じなくなってきた。河川や湖沼付近に建てられた数多くの廃棄物処理施設が、自然にとって脅威であるさまざまな有害物質を垂れ流し、実際におおくの被害を近隣に与えている。また節度を守らずに山林を切り崩した土地開発等の影響による水質の低下も深刻な問題となっている。にもかかわらずやはり我々の意識の根底には、まだ水不足や水質汚染に対する問題意識が芽生えていない。各地で行われる廃棄物処理施設の建設の際にも、企業や業者は『いかにして厚生省の定めた水質基準値以内に汚染度を抑えるか』に奔走するだけで、水源の環境保護という抜本的解決策には目を向けない。それらの企業や業者に限らず多くの日本人にとって、水源が枯渇した地域や、水不足の被害にあった村のニュースは、遠い国で起きているローカルなものとしてしか受け止められていない。このような現状において、具体的な環境保護活動や資源の再利用法などの呼びかけは、呼びかける側の持つ危機感と受け止める側の意識の低さが引き起こす認識のズレによって、ほとんどの場合が実を結ばない。その問題が水のように、普段我々が当たり前のように利用している資源ともなるとなおさらである。

 

 しかし既に述べたように、我々の目の前には水不足がはっきりとした問題として迫っている。間違いなく『水不足』の問題は、近い将来における最も重要な環境問題として取り扱われるものとなるであろう。なぜならば水というものほど我々人間にとって必要不可欠な資源は他に無いのであり、生命活動の維持という根本的必要性からも、水不足の問題は何よりも優先されるはずである。その問題の前において、経済的な発展に関わる問題などは付加的なものでしかなく、限られた国の都合で反故されるようなものでもない。

 

 経済大国であると同時に環境問題後進国とも呼ばれている日本にとって、ストルツェペクの提案、すなわち“21世紀は水が全ての人の問題であると理解し、持続可能な経済成長を遂げつつ人間と自然界の水需要を調和させること”には、真の意味で我々が取り組むべき問題が内包されているのではないか。

http://subsite.icu.ac.jp/people/yoshino/Kikuchi.NS3R12000.html

 

危機が迫る-4

 

発電とは

 

 工業製品の製造には必ず工業的に供給されるエネルギー資源の消費があります。その結果、工業製品の製品原価の一定割合が投入エネルギー量に対する費用になっています。製品原価に対するエネルギー費用の割合は製品の種類によって概ね決まっています。

 発電とは、原料としてエネルギー(資源)を投入して、これを工業生産プロセスを通して更に工業的なエネルギーや副次的な原材料資源を投入して加工し、最終的な製品である電力というエネルギーを生産するのです。エネルギー(資源)を投入してエネルギー(電力)を生産する極めて特殊な工業生産プロセスです。

 そのため、発電のために投入される工業的に供給されるエネルギー資源の総量に対する製品としての電力の総量の比率=“エネルギー産出比”によって、工業生産プロセスとしての優劣を比較することができます。現在の工業 化社会を支えている基本エネルギー資源は石油なので、石油換算のエネルギー量として比較するのが合理的です。

 ここでは例として石油火力発電に対して検討することにします。石油火力発電の電力生産図を示します。

<算定の仮定>

●燃料石油価格 25円/リットル

●燃料石油エネルギー量 9Mcal/リットル = 37.8MJ/リットル = 10.5kWh/リットル

●発電施設建設・運用費用の内のエネルギー費用の割合 20%
  

石油火力発電の発電原価は10円/kWh程度とします。

 石油火力発電の燃料として投入した石油の燃焼熱に対する発電の効率は40%程度なので、電力1kWhを生産するためには燃料石油を2.5kWh消費します。 その燃料費は、(2.5/10.5)×25円≒6円 になります。残りの4円/kWhは発電所の建設費と耐用期間中の運転・維持に投入される費用を総発電量で均等に償却するとした場合の費用です。発電所の建設費や運転・維持 費の一定割合はエネルギー費用です。ここでは割合を20%とします。それ以外の80%は発電所建設や運転・維持に投入する原材料資源の費用=固定設備費用とします。

 以上から、石油火力発電における発電電力量1kWh当たりに投入される工業的なエネルギー量の合計は、

2.5+0.33=2.83(kWh)

あるいはこれを経済コストで表すと

2.83(kWh/kWh)×25 円/10.5kWh=6.73円/kWh

エネルギー産出比=(発電電力 量)÷(投入エネルギー量)=1/2.83=0.35

 

自然エネルギー発電と発電コスト

 現在、原子力発電所事故の影響もあり、代替発電システムとして自然エネルギー発電を導入すべきであるという主張が広がっています。ただし、自然エネルギー発電の唯一の問題はコストが高いことであると言われます。これを科学的に検証することにします。

 まず、一般的な自然エネルギー発電の電力生産図を示します。 

 

 

自然エネルギー発電では、電力の原料は環境中に普遍的に存在する“自由財”である自然エネルギーです。工業生産システムとし ての優劣を判断するエネルギー産出比を求める場合、自由財=無価値である自然エネルギー量は投入エネルギー量に算入する必要はありません。

 自然エネルギーの例として、太陽光発電の電力生産図を示します。 

 自然エネルギー発電では電力の原料である自然エネルギーは自由財ですから、発電システムの本質とは工業製品で構成された発電装置の製造・建設ないし運用・維持なのです。

 家庭用小規模太陽光発電の場合、標準的な耐用年数を17年間程度とした場合の総発電量に対して、発電装置価格を単位発電量当たりに均等割した値を発電原価とすると50円/kWh程度になります。太陽光発電装置はメンテナンスフリーとして、運転・維持経費は無視することにします。

 太陽光発電装置は工業製品であり、その価格の20%は製造段階に投入された工業的なエネルギーの費用とすると、太陽光発電電力1kWhに対する工業的なエネルギー投入費は10円/kWhです。これは、太陽光発電という発電方式は、石油という工業的なエネルギー資源を燃料として発電を行う石油火力発電(6.73円/kWh)よりも大量の工業的なエネルギーを必要とすることを示しています。太陽光発電のエネルギー産出比は、

1/4.17=0.24<0.35

であり、火力発電よりも低いのです。つまり、同量の石油を石油火力発電と太陽光発電に投入した場合、太陽光発電は石油火力発電の0.24/0.35=0.69倍の電力しか供給できないのです。

 

 水力や地熱を除けば、一般的に自由財である自然エネルギーの持つエネルギー密度は極めて低く、非定常に変動しています。その結果、工業的に利用できるようなエネルギーを得るためには例外なく巨大な発電装置が必要になります。その巨大な発電装置という工業製品を製造し、運用・維持するために莫大な鉱物資源と同時に工業的なエネルギーを消費するのです。その結果、電力の原料として工業的なエネルギーを必要としないにもかかわらず、発電装置の製造・建設・運転・維持に投入する工業的エネルギー量が石油火力発電を上回るのです。

 

 このように、直接的に発電燃料として石油や石炭などを使用しなくても、発電施設が工業製品である限り、必ず石油を始めとする工業的なエネルギーの消費を伴うのです。このような分析に基づき、槌田敦はあらゆる工業的発電装置は全て間接火力発電であると述べていることは妥当だと考えます。しかも、太陽光発電の分析でも明らかなように、その間接火力発電の大部分はエネルギー産出比において火力発電以下の低効率な発電装置であるばかりでなく、膨大な鉱物資源を浪費しているのです。

 通常、熱力学におけるエネルギー効率は発電システムに投入される電力の原料となるエネルギー量に対する最終製品である発電電力量ですが、工業生産システムとしての優劣を判断するためにはまったく役に立ちません。あくまでも工業技術としての発電技術の優劣を判断する基準は、発電を行うために投入される工業的なエネルギー量に対する発電電力量なのです。

 

 エネルギー供給技術が高コストであるということはエネルギー産出比が低いことを示しており、発電技術として致命的に劣っていることを示しています。高コストの発電システムの導入は科学的な合理性を欠いた判断なのです。

 また、再生可能エネルギーと呼ばれているエネルギー供給技術は、既存の化石燃料によるエネルギー供給技術よりも低効率であり、呼称とは裏腹に、化石燃料に支えられた工業的な生産システムがなければ自らを単純再生産することも不可能であり、化石燃料の代替システムには成り得ません。

 

自然エネルギー発電規模の試算

 冒頭の写真は横浜市のハマウィングという愛称の2MW風力発電装置です。この風力発電装置は、総工費5億円程度、年間の運転・維持費5,000万円程度です。ハブ高さ78m、ブレード直径80m、上部工(地上部の構造物)の重量は250t程度です。定格出力は2MWですが、設備利用率の実績は12%、平均発電能力は240kW(=326.3PS)程度です。

 例えば、326.3PS(仏馬力)程度といえば、ちょっとしたスポーツカーの出力程度です。また240kW出力のディーゼル発電機やガスタービン発電機の重量は6t程度です。風力発電装置がいかに巨大な発電装置が必要であるのかが想像できるのではないでしょうか。そればかりではありません、風力発電電力はあまりにも不安定でそのままではとても使えないのです。ハマウィングの発電実績データを示しておきます。

 

次に、同じ仕事率を得るために必要な太陽光発電装置=メガ・ソーラーの規模を考えてみます。240kW出力の装置が1年間稼動した時の総発電量は 240kW×24h/日×365日/年=2,102,400kWh/年です。太陽光発電パネルの日本での平均的な運用実績は100kWh/年・m2程度ですから、必要な太陽光発電パネルの面積は2,102,400kWh/年÷100kWh/年・m2=21,024m2≒145m×145m程度、野球場ほどの広大な面積になります。定格出力1kWを得るために必要な太陽光発電パネル面積が10m2として、その価格が100万円程度とすると、太陽光発電パネル価格は21,024÷10×100万円≒21億円程度になります。

 日本の年間の最終エネルギー消費量は1.6×1019J=4.444×1012kWh程度です。仮にこれをすべて2,000kW級の風力発電装置で賄うとした場合、必要な基数は4.444×1012(kWh/ 年)÷2,102,400(kWh/基年)=2,113,986基

ということになります。47都道府県で均等割すると、44,978基/県ということになります。太陽光発電ならば145m×145mのメガ・ソーラー発電所が44,978箇所/県必要ということになります。あるいは4.444万km2、 国土面積の12%に太陽光発電パネルを敷き詰めることになるのです。

 

 しかもこれはエネルギーの絶対量だけに着目した少なめの見積であり、実際には更に不安定電力の安定化や電力需要に対応するための巨大な蓄電装置やバックアップ用発電施設、広域大容量送電線網などが必要になります。

 風力発電や太陽光発電の耐用年数が20年とすれば、1年あたり2,249基/県の風力発電装置あるいは2,249箇所/県のメガ・ソーラー発電所を常に更新し続けることになります。例えばメガ・ソーラー発電所の更新費用は、

21億円/箇所×2,249箇 所/県・年×47県≒222兆円/年

これを実現するためには、工業生産設備を飛躍的に拡大しなければとても賄うことはできません。現実的にはこの生産設備の増強と莫大な発電装置生産の経済的な負担だけで現在の日本の国家予算を超えることになり、実現不可能なのです。

 

固定価格買取制度の失敗

 現在欧州では金融危機が進行中です。その原因の一つが科学的な合理性のない自然エネルギー発電の大規模導入なのです。スペインは言うに及ばず、ドイツでも再生可能エネルギー発電に対する全量高額買取制度=FITは既に破綻しました。今年4月からは買取価格が大幅に引き下げられ、来年からは全量買取制度は破棄され、部分的な買取制度になります。

 

ドイツでは、FITの導入によって個人契約の電気料金は日本をはるかに越えて世界最高額になっています。

産業用電力もFIT導入前の3倍程度に高騰し、日本と同程度になっているのです。科学的な合理性のない再生可能エネルギーの政策的な導入は社会・経済シテムまで破壊することになります。  

 

http://www.env01.net/index02.htm

 

 

危機が迫る-5

 

エネルギー危機と地域社会

 

人類は豊かさを追求するあまり、化石燃料エネルギーの消費を増やしつづけ、生存基盤である地球環境を自らの手で破壊するという愚行を続けてきました。 しかも、作り上げた人間社会は格差に溢れ、いたるところから悲鳴が聞こえます。 いやでも鳩山前首相が引用したガンジーの「資本主義の7つの大罪」を思い出します。 さらに、このまま地球環境が悪化すれば、人間の豊かな生活など、あっという間に崩壊することになると思われます。

 マハトマ・ガンジーの「20世紀資本主義の7つの大罪」は以下のようなものです。

  (1)原則なき政治

  (2)道徳なき商業

  (3)労働なき富

  (4)人格なき教育

  (5)人間性なき科学

  (6)良心なき快楽

  (7)犠牲なき信仰

 21世紀に入って顕在化してきた多くの問題はエコロジカル・フットプリントからも判るように、人類の活動の規模が地球の許容範囲を越えるほど肥大化してきたことに深く関係しています。 すなわち問題の解決のためには地球との共存関係の再構築を意識して進める必要があります。

 

問題点の整理

 これまで検討して来た問題点を思いつくままに関連付けて見ました。 19世紀の化石燃料によるエネルギー革命に続いて人類が構築してきた工業化社会は、鉱物資源および化石燃料資源の消費に支えられて大量生産/大量消費/大量廃棄をベースとした経済を発展させた結果、人々の生活レベルは向上し、人口も増加を続けました。 一方、その結果として広域の酸性雨、オゾン層破壊に続いて大気中炭酸ガス濃度の上昇によるとされる温暖化や地球規模の問題が資源の枯渇とともに表面化してきました。 一方、人口増加の問題は”緑の革命”と呼ばれる近代農業の普及によって化石燃料資源の消費の増加を伴いながらも一定の成果を挙げてきたと考えられます。

 

環境問題のまとめ

 

 図から以下のことがわかります。20世紀の工業化社会は経済成長と人口増加を支えてきましたが、まず、化石燃料資源の枯渇が話題となりました。続いて化石燃料から排出される硫黄酸化物、窒素酸化物による大気汚染や酸性雨が広域の環境問題として認識されるようになり、さらに炭酸ガスによる地球温暖化などが地球環境問題として現れてきました。ほかにも、大量生産経済の副産物として大量の廃棄物による環境汚染問題が発生しています。これらの環境問題の原因は、一言で言えば、人類の活動は長い地球の歴史の中で育まれた自然の循環を考慮していないため、自然界の微生物に相当する”分解者”が用意されていないことにあります。 したがって、活動の規模が巨大化した時点で、この自然の循環が滞り始めたと言えそうです。とくに難分解性のものが多い化学物質の多用は土壌等への残留・蓄積を増やし続け、ローカルな環境の汚染を酷くしたと考えられます。

 

 また、近代農業の成功の見返りとして、化石燃料資源の消費拡大とともに化学肥料・農薬の大量使用が進んだ結果、たとえば人為的な窒素使用量は自然界における地球の循環量に近づき、多くの硝酸態窒素が土壌中に残留して水質汚染を起こし、海洋の富栄養化の範囲を拡大しています。この結果、人類はローカルな生態系からのサービスを十分に受けられなくなりつつあるだけでなく、これらの汚染は食物連鎖による生物濃縮を通して影響はグローバルに拡大し、再び人類の生活にフィードバックされる可能性を高めていると言えます。

 

 もちろん、このような事態を招いたのは20世紀以降の大量生産・大量消費・大量廃棄に基づく工業化社会によるものですが、この社会は今でもより多くの生産を求めてより安い労働賃金を探し、かつ、人間から機械への転換を強めています。

 さらに市場拡大とともに”もの”を生産、消費する経済に飽き足らず姿のない金融商品を創り出し、グローバルな金融資本主義への移行を狙っています。結果として、社会は格差に満ち溢れ、ギリシャ、イタリア、スペインと金融危機が頻発するようになりました。また、その金融危機対策では、もっぱら金融緩和が繰り返されるため、金がだぶつき、ホームレスマネーがますます暴れるという構図になっているように思えてなりません。一番の心配は、このようなグローバルな金融経済の流れの中で、もはや個々の国家は自国の経済をコントロールする能力を失ってしまったかのように思えることです。

 http://www7b.biglobe.ne.jp/~sumida/Solution.html

 

危機が迫る-6

 

地球温暖化による気温の上昇

 

最近、昔に比べて夏は暑くなり、冬も暖かくなってきています。この気温変化は、地球の平均にすると100年前に比べてわずか0.5度しか上がっていません。

国連の機関(IPCC)の最新報告では、「今後100年で、最大6.4度の気温上昇」、つまりこれまでの100年間に比べて10倍以上の気温上昇が予測されているのです。

 

地球温暖化による影響

地球温暖化により、降雨量の変化や異常気象が多発するようになります。

植物への影響も大きく、森林の消滅や生物種の絶滅などが予測されています。50年後にはアマゾンの森林は砂漠化すると予測もあります。(イギリス政府報告)

また世界各地で異常気象が多発するなど、すでに地球温暖化の影響は始まっているのです。

 

地球温暖化による海面の上昇

気温上昇により南極などの氷がとけることで海面が数m上昇します。バングラデシュ、モルジブなど数十カ国で国土の大半が水没することも警告されています。

日本でも海面がおよそ1メートル上昇するだけでも、水没域の東京、大阪など都市部を中心に90兆円以上の資産が失われるなど、大きな被害を受けることが予測されています。

南極の氷の10分の1が融解するだけで海面が7メートル上昇します。すでに南極の気温は2.5℃上昇し、房総半島くらいの大きさの巨大氷山がいくつも流出し始めています。今後100年で両極の気温は10℃以上の上昇が予測され、今世紀末には北極海の氷がなくなるとNASAが警告しています。

 

海に沈む東京 気温2~3度上昇時の海面上昇

 

 

2002年世界の異常気象(気象学会誌より)

 

世界的な水不足・食料危機

地球温暖化の最大の問題は、水や食料が世界的に不足してくることです。 15年後(2025年)には世界人口の大半にあたる約50億人が水不足になると予測されています。また、今後100年以内に、中国で米の収穫は8割減、ブラジルやインドでは小麦などの収穫が大幅に減少するなど、深刻な食糧不足が警告されています。(国連IPCC報告)

すでにかんばつや洪水が多発しており、こうした水不足や食糧危機の兆候が現れ始めています。

日本は、食糧の大部分を他国からの輸入に頼っており、日本は食糧危機の危険性の最も高い国なのです。

http://www.chikyumura.org/environmental/earth_problem/global_warming.html

 

危機が迫る-7

 

自然環境を維持するための自然の循環

 環境経済学は,地球環境と社会の関係を論ずるのであるから,地球環境の熱物理学も視野にいれる必要がある。熱物理学で考えれば,図11で示すように,地球環境もエンジンである。

図11 地球エンジン

 

 太陽光を地表で常温(15℃)で入力し,対流圏上空から宇宙へ低温(-23℃)で放熱して回る自然の循環がある(槌田,1992,pp126-140,TSUCHIDA,1999)。

 ここで自然の循環とは,大気と水と栄養を作業物質とする物質循環である。これにより,環境は毎年復元し,また同じことを繰り返すことで,維持されてきた。

 

 

①大気の循環

 大気が,地表で太陽熱を常温で得て上昇気流(低気圧)となり,上空で宇宙に低温で放熱して下降気流(高気圧)となる。この途中で風が吹く。これにより地球の熱エントロピーは宇宙に処分される。

 

②水の循環

 水が,地表で太陽熱を得て蒸発し,大気の流れに乗って上昇し,大気の減圧で冷却されて雲となり,雨となって地表に戻る。雲となるとき熱を大気にわたす。大気循環はこの熱も宇宙に放熱する。水循環は熱エントロピーを地表から大気上空へ運ぶことで大気循環を補完している。

 

③栄養の循環

 栄養の地域循環。土に存在する栄養(肥料分)は,植物に吸収されて光合成され, これを動物が食べる。植物や動物の死骸は微生物に分解されて栄養は土に戻る。その土からふたたび植物が育つ。この物質循環は地球上の物エントロピーを熱エントロピーに変換する重要な機構である。

 栄養の広域循環。栄養は水に溶け,重力で流れ落ちて,海の生物となり,魚などに食べられて,糞となる,糞は海水よりも重いので深海に沈む。しかし,深海水の湧昇でふたたび海面に現れ,海洋生態系となり,動物がこれを引き上げて陸上生態系が成立する。この栄養はふたたび水に溶けて流出し,海に戻る。

 

 

危機が迫る-8

 

自然の循環と社会の循環をつなぐ

 人間社会も,成立以後,絶え間なく活動を続けてきた。熱物理学で考えれば,人間社会も図13に示すようにエンジンということになる。

 

図13 社会の構造

 

 この社会の活動を維持するには,資源の導入が必要で,廃物と廃熱を放出している。社会の物質循環とは,動物の血液循環にも例えられた物流である。これはたとえではなく,本質的に同じである。これは自然から資源を得て,社会の各部分に運び,社会の各部分から廃棄物を集めて自然に返し,社会の状態を復元し,社会にまた同じことをすることを保証している。

 この社会の循環が,図14のように,自然の循環とつながって,自然の循環の一部になっているとき社会の持続的活動は保証される(槌田,1999a)。廃物を適切に処理して自然の循環に返すと,自然の循環はこの廃物の物エントロピーを熱エントロピーに変えて,宇宙に廃棄し,また資源を提供してくれるからである。

 

図14 自然の循環と社会の循環をつなぐ
 

 この図14で,自然の循環にとって,人間の廃物は太陽光と同じ入力であることに気づく必要がある。この廃物の入力のないまま,出力としての資源を収奪されれば,自然の循環はやせ細ることになる。人間の廃物を処分場に捨てて,自然の循環と切り離したことは失敗であった(槌田,1999a)。

 最近,『資源循環型社会』,すなわち廃棄物のリサイクルが強調されている。しかし,すでに述べたように需要のない廃棄物の再利用は不可能であって,廃棄物の山を作るだけである(加藤,1999)。

 いわゆるリサイクルとは,需要のない廃棄物を需要のある資源にすることであるが,そのためには,エントロピーの法則にしたがい,別の資源を消費する必要がある(図15)。

 

図15 廃棄物をリサイクルするには,別の資源を消費しなければならない

 

したがって,このリサイクル作業をした方がよいかどうかは,得られた再生資源の価値と消費した別の資源の価値を比較する必要がある。

 これを考慮せずに『資源循環型社会』を空想することはひどい誤りである。たとえば,1キロ3円程度の再生ペットボトルの樹脂を得るのに,600円程度の費用をかける(つまり石油などの資源を消費する)ことは,ばかばかしい限りである。

 需要のない廃棄物を資源にする循環をいうなら,図14に示したように,自然の循環を通して考えるべきである。廃棄物を自然の循環に受け入れられるように適切に処理して,返すだけでよい。このようにすれば,自然の循環は,廃棄物の物エントロピーを処理して熱エントロピーに変えて宇宙に廃棄し,新たに資源に作りなおして,提供してくれる(槌田,1999a)。リサイクルではなく,サイクルである。

 なお,エンジンとしての社会の循環と資源循環型社会でいう循環とは,まったく別ものであることに注意しなければならない。社会の循環とは,社会を駆動する物流の循環であり,資源循環型社会の循環とは,資源を繰り返し再生して使うという循環である。

 この資源循環で,ゴミゼロ社会ができるなどという人がいるが,エネルギーを再生し続ける永久機関の主張と同じで,エントロピー増大則に反し,幻想に過ぎない。

 

http://www.env01.net/index02.htm
 

 

危機が迫る-9

 

エネルギー資源循環型社会-1

 

エネルギー貯蔵とは

 

エネルギー貯蔵(エネルギーちょぞう、energy storage)媒体とは、エネルギーを何らかの形で格納する物質であり、後から利用可能な形でそれを引き出せるものである。貯蔵するエネルギーの形態としては、位置エネルギー(例えば、化学エネルギー、重力エネルギー、電気エネルギー)と運動エネルギー(例えば、熱エネルギー)がある。ぜんまいを巻いた時計は位置エネルギーを蓄え(この場合は、ばねの弾性力)、電池はコンピュータの電源が切れているときでもそのクロックチップを動かし続けるために即座に変換可能な化学エネルギーを蓄え、水力発電用ダムはその貯水池に重力位置エネルギーを蓄えている。氷の貯蔵タンクは、夜間に氷(熱エネルギー)を蓄え、ピーク時の冷房需要に備える。石炭や石油といった化石燃料は過去の太陽エネルギーを貯蔵している。さらに言えば、食品(化石燃料と生成過程は同じ)は化学物質の形でエネルギーを貯蔵している。

 

エネルギー貯蔵の歴史

 

自然の過程としてのエネルギー貯蔵は、宇宙そのものと同じぐらい古くからある。宇宙が生まれたとき存在したエネルギーは太陽などの恒星に貯蔵し、人類はそれを直接的(すなわち太陽熱)または間接的(すなわち、作物の成長や太陽電池で電気に変換するなど)に利用している。エネルギーを貯蔵することで人類はエネルギーの需要と供給のバランスをとることができる。今日商用で使われているエネルギー貯蔵システムは大まかに、力学、電気、化学、生物、熱、核に分類できる。

 

エネルギー貯蔵は意図的な活動として有史以前から存在していたが、エネルギーを貯蔵していると明確に意識して行われていたわけではない。力学的エネルギーを意図的に貯蔵した例として、丸太や石を古代の砦の防御に使った方法がある。丸太や石を丘や城壁の上など高いところに集め、そうして蓄えた位置エネルギーを敵方が範囲内に入ってきたときの攻撃に使った。もっと最近の例では、水路を制御して水車を回し、粉をひいたり機械を動かしたりした。貯水池とダムの複合システムは水(とその位置エネルギー)を蓄え必要に応じて解放して利用するために建設された。

 

発電やガソリンやケロシン、天然ガスなどの精製化学燃料が19世紀末に広く普及したことで、エネルギー貯蔵が経済発展の重要なファクターとなった。それまでの木や石炭などによるエネルギー貯蔵とは異なり、電気は発電したものを即座に使うという使い方だった。電気を大規模に貯蔵するということはこれまで行われてこなかったが、今後はその状況に変化が予想されている。2009年アメリカ復興・再投資法に基づき、エネルギー貯蔵法とスマートグリッドへの応用の研究が行われている[1]。電気は閉回路内を流れ、基本的にはどんな実用的用途であっても電気エネルギーそのままの形で貯蔵することができない。これは電力需要の急激な変化に対して供給低下(電圧低下や停電)を全く起こさないことを保証できず、別の媒体に電気エネルギーを格納しなければならないことを意味している。再生可能エネルギーも供給安定のためには貯蔵する必要がある。風は間欠的に吹くので、無風状態の期間を埋めるために貯蔵が必要だし、太陽エネルギーも天気が悪ければ使えないので、太陽エネルギーが使えない間の補填のための貯蔵が必要となる。

 

電気を貯蔵する手段としては、まず電池という電気化学装置が開発された。しかし、容量が小さくコストが高いため、発電システムでの利用は今のところ限定的だった。同様の問題の似たような解決策としてはコンデンサがある。1980年代、空調への電力需要増を満たすため、一部の製造業者は慎重に熱エネルギー貯蔵 (TES) を研究した[2]。今日ではごく少数の企業がTESの製造を行っている。熱エネルギー貯蔵のよくある形式は、氷を貯蔵しておいて冷却する方式である。氷は水よりも少ない量でより多くのエネルギーを貯蔵でき、燃料電池やフライホイールより安価である。熱エネルギー貯蔵は日中のピーク電力需要をギガワット単位でシフトさせ、コストもかからず、35カ国以上の3,300以上の建物で使われている。TESは、夜間の安い電力で氷を作って熱エネルギーを貯蔵し、翌日の日中にその建物の空気を冷やすのにその氷を使う。

 

化学燃料は、発電とエネルギー輸送の両方で支配的なエネルギー貯蔵の形式となっている。主な化学燃料としては、処理された石炭、ガソリン、軽油、天然ガス、液化石油ガス (LPG)、プロパン、ブタン、エタノール、バイオディーゼル、水素などがある。これらは全てすぐに力学的エネルギーに変換でき、それを熱機関(タービンなどの内燃機関、ボイラーなどの外燃機関)に使って発電し電気エネルギーに変換できる。熱機関を使った発電機はほとんどどこでも使われており、数キロワットを発生する小さなものから800メガワット程度の大型のものまで様々である。

 

燃料電池という電気化学装置は電池とほぼ同時期に発明された。しかし様々な理由から燃料電池は開発が進まなかった。その状況が変わったのは、有人宇宙船(ジェミニ計画)で軽量で発熱しない(高効率の)電力源を必要としたことが発端だった。近年では、炭化水素や水素燃料が持つ化学エネルギーを高効率で電気エネルギーに変換すべく、燃料電池の開発が進んでいる。

 

現在、液体の炭化水素燃料が輸送の際のエネルギー貯蔵形式としては支配的である。しかし、自動車、トラック、列車、船舶、航空機の燃料としてこれを使うと、温室効果ガスが発生する。水素などの炭酸ガスを発生しない燃料や、ある種のエタノールやバイオディーゼルなどの実質的に炭酸ガスを増やさない燃料は、温室効果ガス増加の懸念への対応策と見なされている。

 

世界の一部地域(例えば、アメリカ合衆国ではワシントン州やオレゴン州、イギリスではウェールズ)では、地形の特徴を利用して電力消費が低い時間にポンプで水を高地の貯水池に汲み上げ、電力需要ピーク時にその水を使ってタービンを回して発電している。

 

その他にもフライホイール・バッテリーや地下の洞窟に圧縮空気を貯蔵する方式など、様々なテクノロジーの研究が進んでいる。

 

the Solar Project や Solar Tres Power Tower では、太陽熱エネルギーを貯蔵するのに溶融塩を使い、必要に応じて発電に使う方式を研究中である。太陽熱で熱した溶融塩を断熱コンテナに貯蔵し、必要なときに水をそれで熱し、発生した蒸気でタービンを回して発電する。

 

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

 

危機が迫る-10

 

多くの世界的な危機

 

人口増加と食糧危機、水危機

 

 世界の人口は、まだ、増加を続けています。しかし、穀物を生産する農地の面積は増えず、農薬による生産量増加も頭打ちの傾向にあります。この問題を解決するには肥料の増産、農地開発などが考えられますが、いずれも、現状では化石燃料エネルギーの大量消費が必要です。また、世界の水の消費量世界の人口は、まだ、増加を続けています。とくに、世界の水消費量は人口増加と工業化、食のグルメ化により急増を続けています。この水危機を避けるには海水淡水化や森林などによる保水力の向上などが考えられていますが、いずれも実行には大量のエネルギー消費を伴うのでエネルギー問題にも深く関連しています。また、最近の1次産業の衰退によって森林が荒廃の一途を辿り、森林の保水力の向上も期待薄になりつつあることも気がかりです。

 

豊かさの拡大と食糧危機、資源枯渇

 

 さらに追い討ちを掛けているのは、人間の飽くなき”豊かさ”の追求、すなわち成長経済への憧れです。このため大量生産、大量消費、大量廃棄の流れからなかなか脱却できそうにありません。もし、放置すれば、次は資源・エネルギーおよび食糧の奪い合いが起こり、さらにエネルギーを大量消費する戦争への道を歩くことになりそうですが? このような事態への芽を摘み取るためにも化石燃料エネルギーの削減努力は必要でしょう。結局、この問題も根はエネルギー問題と深く関係していると言えます。

 

市場経済と格差社会

 

 人間生活の豊かさは本来、人類が発見し、使ってきたエネルギーによってもたらされたと考えられるのですが、この豊かさに満足できない人類は、さらなる成長を目指して自由主義経済の流れを生み、全世界のエネルギー消費は急増しています。その一方で、あらゆるものが商品化され(”かね”すらも)、グローバルな金融資本主義へと突き進んでいます。その結果、1次産業の崩壊した地域の環境は破壊され、社会には富の集中から深刻な格差が産まれています。この経済の流れがサブプライムローン危機に続いて今回のギリシャ、イタリア危機のような金融危機を誘発したといえます。このままでは繰り返し同じような危機を経験することになるでしょう。何よりも怖いのは、経済のグローバル化によって国に経済危機・金融危機を解決する能力が失われてしまったことです。 今こそ、グローバル化の意義を見直し、”かね”中心の富ではなく豊かさ本来の意味を考え直す時期に来ているのではないでしょうか?

 

膨大なエネルギー消費と環境破壊

 

 人類は化石燃料エネルギーの利用によって豊かさを得てきましたが、その結果、1年間に排出する炭酸ガスの量は、地球のバランスに影響を与える可能性を持つ量(全大気中の炭酸ガス量の約1%)に近づき、毎年、地球大気が陸圏、水圏との間で行っている炭素循環量の約3%にもなって来ています。

 

http://www7b.biglobe.ne.jp/~sumida/WEO.html

 

 

危機が迫る-11

 

水需要と水資源問題

 

 地球の陸地上に降る水の年間総量は約 111兆トンありますが、蒸発せずに地上に残る水は約 40兆トンと言われています。しかし、淡水資源は地域的にも季節的にも変化するので、全ての水を利用することはできません。 使えるのは河川、湖沼からの0.001億km3と地下水からの0.11億km3です。

 

この水の利用法については図から明らかなように世界全体では農業用として70%、工業用に20%、生活用として10%の割合になっていて、農業用の水資源使用量が多いことが特徴です。その農業用の使用水量も年とともに伸びていますが、これは世界の人口増加を背景にして進められた緑の革命など、農産物の生産向上と関係しているようです。 緑の革命では品種改良、化学肥料の採用および灌漑(かんがい)の普及などが行われています。その結果、このベージの初めで見たように世界の耕地面積はほとんど増えてないのに生産量は確実に増加しています。 また、生産量増加に対する要因分析では、たとえば米の例では図のように灌漑の普及による効果が大きいことが判っています。このように農業における水利用量の増加は、とくに、地下水、河川や湖沼からの取水による”灌漑農業”の発達によって穀物生産量は大きく伸びましたが、反面、上記したように世界各地で問題が顕在化し始めています。

 

 地下水では、インド、中国など、たとえば華北平原では35年間に地下水位が50メートル低下していると言われています。 米国でも中西部のオガララ帯水層での過剰な取水による水位の低下が問題化しはじめました。河川では中国の黄河で、1990年代終わり頃から農業取水による流れの断流(1999以降は発生してないそうですが)が頻繁に起きています。このほか、河川からの取水にからむ国際紛争も各地で発生しています。 湖沼からの取水ではソ連の農業政策により、取水源となった中央アジア、アラル海は取水のため面積が60%に減少するとともに、塩害が発生して、農業生産が激減し、漁業が壊滅したという例はよく知られています。一方で、地球全体における異常気象の発生は年々激しさを増し、オーストラリアや東アフリカの干ばつなど水だけでなく食料にも影響を及ぼしています。 とくに雨量の少なかったエチオピアをはじめケニア、ソマリア、タンザニア、ルワンダ、ウガンダ、スーダンなどでは食料不足が深刻化しています。 欧州の南東部から南部では干ばつやそれに伴う大規模な森林火災が発生し、米国でも中西部で干ばつの被害が広がり、各地で山火事が頻発しました。中国では北部から中・南部の各省で少雨のため干ばつとなり、農業生産が大きく落ち込み、飲料水の不足がしました。水不足は世界で毎年8000万人以上の人口増が水需要を押し上げ、これに水質汚染が拍車をかけ、各地で慢性的な水不足が顕在化しています。また、人口増加、経済発展に伴う都市化や多くの開発事業による水源破壊や、発生する廃水による健康被害なども問題化して来ました。

 

さらにグローバル化によって農産物の生産が特定の国や地方に偏る傾向があり、水資源の問題はより深刻化しています。日本などは農産物を大量に輸入するため、輸出国側に多量の水の消費を強いていることになっています。この問題は農産物の輸入と同時に、農産物の生産に使用する水も輸入する(仮想水)という考え方で議論されています。

 一方、世界の人口は増え続けていて、人口の急増と社会の変化にともない、多くの国で水不足が発生していますが、今後さらにこの問題が深刻化することが懸念されています。右の図は2050年における水の供給状況を予想し、それぞれの国の水の使用量(年)をその国の水資源量で割った値を水ストレスとして表した図です。水ストレス値は40%以上を高ストレスと分類されます。ちなみに2000年前後におけるわが国の水ストレスは約20%で中程度のストレス、世界平均は7%で低ストレスに分類されます。

 

いま、世界的な水危機が叫ばれているのは、まず、世界的な水需要の増加傾向があります。また、個々の原因としては以下のようにまとめられています。

 

・人口増加による食料需要増に伴うかんがい用水需要の増加

・生活レベル向上に伴う、たとえば食生活の肉食化による飼料用穀物需要に伴う生活用水需要の増加

・発展途上国の経済発展による工業化に伴う工業用水需要の増加

・都市化および過剰な開発に伴う水源の破壊

・温暖化による干ばつ、洪水など降雨の時間・地域の変化による水資源の偏在増加

・生活廃水・工業廃水・農薬汚染および過剰な化学肥料の施肥による水資源の劣化などです。

 

さらに、この水危機は、人口問題やエネルギー問題と密接な関係があります。図はこの関係をまとめたものです。

 また、水の循環を妨げ、生態系に影響を及ぼしている淡水の汚染原因には次のような項目があります。

・生活廃水による汚染

・工業廃水による汚染

・産業廃棄物・し尿による汚染

・船舶からの油流出や排水

・降雨・降雪に伴う大気汚染物質による汚染

・農薬や過剰な化学肥料による地下水・河川水の汚染10)

 

いずれも豊かさを追いかける人間活動の結果であり、エネルギー消費と関連しています。

 

 

とくに、地球上で多くの人が日々の生活のなかで、安全な水を手に入れられない状況にあることに注目が必要です。2006年のデータでは9億人(世界人口の13%)が、汚染から保護されていない水源を使っているといわれています。

 わが国でも、各地で地下水の低下が見られ、夏季には渇水による給水制限などがたびたび見られるようになっていることはよく知られるとおりです。

 

http://www7b.biglobe.ne.jp/~sumida/Food.html#00

 

危機が迫る-12

 

低炭素でしなやかな持続可能な水循環社会に向けて(案)

―50年後を目指して、明日から歩むー

 

水の安全保障戦略機構

 

Ⅰ、共通認識

21世紀に待ち受けるもの

地球規模の課題

・気候変動(大洪水、大渇水、氷河融解、異常高潮)

・環境の悪化(湖沼枯渇、水質汚染、大気・土壌汚染、地下水低下、砂漠化)

・資源のひっ迫(化石エネルギー、リン鉱石)

日本国内の課題

・人口減少(123 百万人から100 年後70 百万人へ)

・公共予算の縮減

・福島第1 原発及び周辺地域の汚染

 

Ⅱ、議論の目標

・国内の持続可能な水インフラ施設の更新・維持管理

・しなやかで安全な国土

・水ビジネスを通した持続可能な国際貢献

 

Ⅲ、指摘された水循環・水インフラの問題点

 

(1)水道

1、水道事業喫緊の課題

 ① 料金収入の低迷(人口減、工場撤退)

 ② 老朽化施設の更新停滞、耐震対策の遅延(予算縮小、首長・議会の無理解)

 ③ 技術人材の枯渇(熟練職員の大量退職、職員制約下の人員配置)

 ④ 大量エネルギー消費構造(下流取水によるエネルギー消費)

2、地下水利用増加による水道事業運営の危機

3、水道事業広域化の阻害要因

 ① 料金・財政の事業体間格差

 ② 議会・住民等ステークホルダーへの説明困難

 ③ 市町村単独起債事業のしがらみ

 

(2)下水道

1、老朽化施設の更新

2、中小規模事業体での経営悪化、人材高齢化

3、予算減少による税金公共事業の限界

4、首長の理解不足

 

(3)農業用水

1、農業水利施設の老朽化(耐用年数を超過した用排水路が約10,000km、

  用排水ポンプ場が約1,600 ヶ所)による維持費増

2、過疎化、高齢化、混住化による施設保全管理の困難

3、農業作付け変化と気候変動による渇水頻発

 (直近5 ヵ年の渇水調整協議会等は前5ヵ年と比べて約1.6 倍)

4、不法投棄増加による維持管理費増

 

(4)水資源開発及び管理

1、工業用水の余剰

2、水道用水の余剰

3、地下水利用増加による表流水主体の水利秩序の形骸化

4、水力エネルギーの増強の必要性

 

(5)水環境

1、窒素肥料消費量の増加と地下水中窒素濃度の増加

2、家畜の糞尿未処理による水質・土壌汚染

3、抗生物質による耐性菌問題

 

(6)安全

1、都市集中豪雨の頻発

2、異常洪水、異常高潮の頻発

3、治水予算の減少

4、計画を超える巨大災害対応

 

http://www.waterforum.jp/twj/wscj/mtg/doc/topic_document_web/1.pdf#search='%E6%B0%B4%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%95%E3%83%A9'

 

危機が迫る-13

 

常識の欠如したお人好しの国民

年金・エネルギー問題/無知は犯罪

 

「例えばエネルギー問題。現在、脱原発を訴える大多数の人々は、なんの疑いもなく再生可能エネルギー導入促進を正しいことだと“信じ込んで”いる。脱原発が自然科学的・技術的判断として正しいことは勿論である。しかし、再生可能エネルギーの大規模導入もまた行うべきではないというのが自然科学的・技術的判断である。

 どうも環境団体の皆さんの間には、遠目には牧歌的で優雅で気まぐれに回る風力発電や、クリーンなイメージの太陽光発電に対して、無条件に“環境にやさしい”という宗教的な信仰がある。やさしいなどという言葉自体が宗教性を示しているが・・・。

 環境団体の皆さんの多くは、工業化されすぎた現在の工業文明を超えて、自然との共生を目指すと言う。私もこれには全面的に賛成である。しかしそのために風力発電や太陽光発電を増やすというのでは全く台無しだということが理解できないようだ。

 仮に、とりあえずの目標を生活の豊かさのゼロ成長だとする。その中でエネルギー供給システムだけを火力発電から再生可能エネルギーに変更すると、どうなるであろうか?

 優雅で気まぐれに回る風力発電やクリーンな太陽光発電は、火力発電に比較してとても穏やかな発電装置と言えるかもしれない。ご想像の通り、装置の大きさに対して生み出す電力はとても小さくなる。このような再生可能エネルギー発電装置で、強力な火力発電を代替することなど、とてもできないと考えるのが常識的な判断である。あるいは、再生可能エネルギー発電で火力発電を代替することになれば、日本中が風力発電装置と太陽光発電装置で埋め尽くされるだろうと想像するのが常識的な判断である。これは、言い換えれば電力供給のために必要な工業生産規模が爆発的に増加することを意味している。」

 

「太陽光発電のような資源とエネルギーを浪費する発電システムを大規模に導入するなど全く非科学的な選択だと考えます。

 原発が極めて危険で発電装置としても無意味なのは当然であり、同様に自然エネルギーもまた無意味だというのが私の主張です。

 太陽光発電装置は工業製品であり、工業生産の基本的要素であるエネルギー価格が高騰すれば太陽光発電装置価格も連動して高騰します。スペインでは太陽光発電装置を政策的に導入して、太陽光発電装置メーカーを輸出産業として育成しようとしました。ところが自然エネルギー発電を導入すれば電力価格が高騰し、したがって生産プロセスで大量の電力を消費するためスペイン製の太陽光発電装置は高価になり価格競争に敗れ、輸出するどころかスペイン国内の太陽光発電パネル需要までが、安い電力を調達できる海外の安い太陽光発電パネルメーカーに食われることになりました。

 生物が太陽光をそのまま利用することと、工業製品で捕捉して利用する太陽光発電は全く異なるものであり、比較の対象になりません。石炭・石油・天然ガスなどの優秀なエネルギー資源が掘り出されなくなった段階で工業生産は不可能になり、工業製品である太陽光発電も利用できなくなっるというのが理論的な帰結です(これを否定するためには、太陽光発電装置からの電力だけで同等の太陽光発電装置を再生産した上でさらに余剰のエネルギーを供給できることを示さなくてはなりません。)。」

 

自然エネルギー発電と発電コスト

「水力や地熱を除けば、一般的に自由財である自然エネルギーの持つエネルギー密度は極めて低く、非定常に変動しています。その結果、工業的に利用できるようなエネルギーを得るためには例外なく巨大な発電装置が必要になります。その巨大な発電装置という工業製品を製造し、運用・維持するために莫大な鉱物資源と同時に工業的なエネルギーを消費するのです。その結果、電力の原料として工業的なエネルギーを必要としないにもかかわらず、発電装置の製造・建設・運転・維持に投入する工業的エネルギー量が石油火力発電を上回るのです。

 このように、直接的に発電燃料として石油や石炭などを使用しなくても、発電施設が工業製品である限り、必ず石油を始めとする工業的なエネルギーの消費を伴うのです。このような分析に基づき、槌田敦はあらゆる工業的発電装置は全て間接火力発電であると述べていることは妥当だと考えます。しかも、太陽光発電の分析でも明らかなように、その間接火力発電の大部分はエネルギー産出比において火力発電以下の低効率な発電装置であるばかりでなく、膨大な鉱物資源を浪費しているのです。

 通常、熱力学におけるエネルギー効率は発電システムに投入される電力の原料となるエネルギー量に対する最終製品である発電電力量ですが、工業生産システムとしての優劣を判断するためにはまったく役に立ちません。あくまでも工業技術としての発電技術の優劣を判断する基準は、発電を行うために投入される工業的なエネルギー量に対する発電電力量なのです。

 エネルギー供給技術が高コストであるということはエネルギー産出比が低いことを示しており、発電技術として致命的に劣っていることを示しています。高コストの発電システムの導入は科学的な合理性を欠いた判断なのです。

 また、再生可能エネルギーと呼ばれているエネルギー供給技術は、既存の化石燃料によるエネルギー供給技術よりも低効率であり、呼称とは裏腹に、化石燃料に支えられた工業的な生産システムがなければ自らを単純再生産することも不可能であり、化石燃料の代替システムには成り得ません。」

http://www.env01.net/index02.htm

 

危機が迫る-14

 

環境問題と新エネルギー

 環境問題とは、現在社会が優れた石油エネルギーに過度に依存し、工業生産を肥大化させてしまったことが原因です。今では、農業生産物までが石油製品になろうとしています。
 環境問題の本質的な解決のためには工業への依存を少なくし、生態系に基盤を置いた社会構造を取り戻すことが必要です。そのための基本的な方向は、石油消費によって成り立つ工業生産規模を縮小していくことと同時に、これまでの工業的な社会で傷ついた生態系の豊かさを回復することです。

 新エネルギー技術が工業の産物である限り、それは石油消費の下で成り立つ技術であり、石油エネルギーを『代替』することなどはじめから期待出来ないのです。それどころか今回検討してきたように、新エネルギー技術とは石油利用効率の低い工業製品によって成り立っており、工業生産規模を飛躍的に肥大化させるだけでなく石油の浪費を加速し、本質的に環境問題を更に悪化させるのです。
 環境問題の改善のためには、エネルギー分野では新エネルギーだけでなく原子力発電や燃料電池に代表される石油やその他鉱物資源を浪費し、生態系に悪影響を及ぼす技術こそ真っ先に廃棄すべきです。

 環境問題を改善するために今なすべきことは、新エネルギー技術の開発ではなく、既存の工業生産システムを縮小していくことなのだという基本的な視点が必要です。都会的で便利で快適な現在の生活環境を更に工業的に豊かにしながら、同時に環境問題を解決するなどということは不可能なのだというところから議論を始めなければならないのです。

自然エネルギーの利用

 環境問題の解決の基本的な方向は『脱工業化』であり、より具体的には脱石油エネルギーです。石油は大変優れた資源ですが、今後ますます希少なものになって行きますから、出来る限り節約した上で有効に使うべきものです。ポスト石油文明において、主要な動力は畜力(牛馬など)と自然エネルギーになることは必然的な方向です。
 しかし、自然エネルギーの利用は工業的な利用ではないのです。新エネルギー政策における自然エネルギー利用の失敗の最大の要因は、制御できない自然エネルギーを無理やり完全な制御が必要な電力供給システムに組み込もうとしたことです。
 自然エネルギーを有効に利用するためには、制御できないなりにうまく利用することが必要です。工業化以前にはそうした技術が既に存在していました。

 風力発電と同じ風車の利用であれば、粉挽き用の風車であったり、揚水用の風車が存在していました(現在でも一部には存在しています)。


 完全に非工業的な技術で作られた風車によって、風任せで風のあるときに粉をひき、揚水すれば良いのです。この風任せの利用法こそ、自然エネルギーを最も有効に利用する技術です。
 また、この伝統的な風車活用技術において優れている点は、風の運動エネルギーを運動エネルギーのまま利用する点です。風力発電では運動エネルギーを電気エネルギーに変換して利用することによってエネルギー変換の損失が生じるのに対して、伝統的な風車では機械的な摩擦以外に損失は無いのです。更に、電気のように遠隔地への伝達のための付帯的な設備も不要で、風車で受取ったエネルギーは風車小屋で利用すればよいのです。

 日本において普遍的な動力源であったのは水車の利用です。これは水が豊富で傾斜の大きい地形という環境からの必然的な結果だと思われます。
 
 粉挽き水車

 日本の水車利用技術は様々なものがあります。一般的には粉挽き用の水車と水路から田んぼへ水を汲み上げる揚水水車が多かったと思われます。小さなものでは里芋の皮をむく芋洗い水車もあります。更に、大きな動力を得られるところでは製材用の水車もあります。

 

陶土を粉砕する唐臼(鎌倉・もやい工藝 仕入れ日記2006.12より)

 

水のエネルギーを利用するという意味では、水車ではありませんが、唐臼と呼ばれる動力装置もあります。これは日本庭園などにあるシシオドシ(鹿威し)と同じ構造で、音を鳴らす代わりに臼で粉をひくのに使われています。大分県日田市の小鹿田焼の窯元では陶土を砕くために利用されているのが有名です。

 将来的に、脱工業化社会において利用される自然エネルギーの利用法は、おそらくここにその一部を紹介したような伝統的な利用法の延長線上にあるものだと考えます。ただ、現状ではこれらの伝統的な自然エネルギーの利用技術は効率は良くても、石油を自由に使える工業化社会の必要とする『能率』と『規模』を満たすことが出来ず、現状で速やかに広がっていくことはありません。

 しかし、こうした技術を維持・発展させておくことが脱工業化社会の実現のためには是非必要なことです。環境NPOの方々には、風力発電や太陽光発電による『市民発電所』を作ることを考えるよりも、こうした経済性を度外視しでも本当に残すべき施設や技術の維持や研究にこそ助力して欲しいと考えます。

 

 

人類を取り巻く環境は既に目前までに、危機が迫っている。

その危機の捉え方は人それぞれではあるが、危機は「人類の生存基盤」である「大気と水」の危機に及んでいる。

少しでも「危機感」を持ち、解決案を模索していかなければならない。

 

(完)

 

勝手創千界への

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2013年

6月

09日

勝手創千界から世界へ

この世界が持つ多くの問題への解決は待っていては果たせない

より良き社会を目指して我が「勝手自由なる提案」を創り上げていく

そして「勝手創千界」の描く世界から解決に向けての一歩を踏み出す

10 コメント

2013年

1月

01日

勝手にエネルギー論を構築する

人類の行く末は「エネルギー」を如何に獲得していくかである。

日本の社会も経済も「エネルギー問題」の解決抜きには語れない。

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2012年

10月

02日

新しいエネルギー開発に向けて

「水危機」と「エネルギー危機」が目前に迫っている。この二つの「危機」だけでも「人類の生存基盤」の危機である。 一刻も早く、地球と人類にとって安全・安心な「自然エネルギー」「再生可能エネルギー」の開発が求められている。

10年、100年先の「危機管理」として、今から行動しなければ遅いことは明白だ。

「消費社会」から「循環社会」「持続可能社会」「自然共生社会」「エネルギー自立社会」へ向けての「意識改革」と「構造改革」が重要である。

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2012年

7月

08日

新しい日本改造に向けて

国の言う「国民のための判断」が本当でないことが明らかにされているいま

国民の持つ価値観として、何が大事で何が大事でないかという判断や、ものごとの優先順位づけ、ものごとの重み付けの体系の価値判断から、3.11震災を契機にした「新しい価値観」と「国民全体の幸福度」についての「提言」が、いまこそ日本に必要である。

10 コメント

2012年

6月

04日

勝手に発想法を研究する

差し迫る「少子高齢化の縮小社会への突入」「産業の空洞化」「エネルギー問題」「雇用問題」「財政問題」等々・・・日本社会が抱える問題は多岐に渡るが、政治や行政や官僚に「問題解決能力」の欠如が著しい。

さらに日本の技術を支える産業界や学界の「研究開発機関」においても「劣化」が進んでいる。

今こそ「フロンティア精神」と「新しい発想」が連動して「革新的なイノベーション技術」を生み出していくことが必要だ。

6 コメント

2012年

5月

01日

自然エネルギーと共に生きる

日本の自立と未来を切り開くためには、日本の国土に適合した再生可能エネルギーの社会が必要であり、最先端の日本技術を結集して「世界に誇れる日本」を創っていかなければならない。

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2012年

4月

07日

勝手創千界から「尊敬される日本」へ

まず、現状のまま進行した100年後の日本の未来を想定し、その想定社会状況から、今必要な「方策」を考えてゆく視点が必要ではないかと思っています。新しい視点が必要です。

「勝手創千界」による「勝手な発想」が「脳内停止」状態の人々に「インパクト」を与えなくてはいけません。

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2012年

3月

11日

3.11震災から海上都市計画へ

3.11震災を契機として、日本という国家のもつ様々な問題点が明らかにされ、新しい国家像が求められている。たぶんこのままでは、さらに日本の解体状況は進んでいくだろう。ラブーン海上都市計画がひとつの方向性を提示できればと思う。

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2012年

2月

19日

勝手に復興計画 in 石巻を提案

3.11震災からの新しきまちづくりとして「勝手に復興計画 in 石巻」を発進いたします。

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2011年

12月

31日

ホームページ開設

3.11震災以降、如何にすれば「津波につよいまち」が可能なのか?考えてきました。

その「ひとつの答え」を提示できればと思います。実現に向けて多くの人の意見を求めています。

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