トーラスデザインシステム論

 

トーラスデザインシステム論

 

デザインとは

design

 

企画立案を含んだ設計あるいは意匠。「指示する,表示する」という意味を表すラテン語designareから出た語。一般にそれぞれの分野を冠して,アーバン・デザイン (都市計画) ,建築デザイン,インテリア・デザイン,グラフィック・デザイン,工業デザイン,ファッション・デザインなどと呼ぶ場合が多い。

 

ブリタニカ国際大百科事典


デザインは日本語では「設計」にもあたり、「形態」や「意匠」と訳されてきたが、それだけに限らず、人間の行為(その多くは目的を持つ)をより良いかたちで適えるための「計画」も意味する。人間が作り出すものは特定の目的を持ち、それに適うようデザイナー(設計者)の手によって計画されるのである。デザインの対象は、衣服、印刷物、工業製品、建築などにとどまらず、都市や人生計画にもおよぶ。物や環境を人が自然な動きや状態で使えるように設計する工学、あるいは、人の物理的な形状や動作、生理的な反応や変化、心理的な感情の変化などを研究して、実際のデザインに活かす学問という意味において、人間工学と共通している。考慮すべき要因には、機能性、実現性、経済性、社会情勢など、目的を実現することに関わる全てが含まれる。

 

「ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典」

 


 

この世の全てはデザインされている。それは自然物のデザイン、人工物のデザイン、精神のデザインであり、この世はデザインによって形づくられているのである。

 

単に職業としてのデザイナーなどではなく、デザイナーは創造者であり、デザイナーは求道者であり、デザイナーは表現者であり、人は知性をもつデザイナーである。

 

「デザインする」とは人生そのものであり、人は「デザインする」ことによって生きている。人はデザイナーであり、「デザインする」ことこそが人のもつ知性の存在理由である。

 

デザインの本質とは思考を形にすることであり、その方法の習得には技術鍛練と表現能力が重要である。そこには精神世界と物質世界の一体化を可能にする自己形成システムの構築が必要である。

 

 

単に機能的なとか実用的な物の形のデザインなのでなく、人の持つ心理的な感情を表現するデザインの奥深さが他者に感情を波及させる。感情とは喜怒哀楽愛憎によって表現されるが、それは複雑であり人それぞれであるが、社会形成の根底を成す構成要素である。

 

人の感情表現として、楽しければ笑い顔になり、悲しければ泣き顔になる。しかし人は、楽しくなくても作り笑顔ができ、悲しくなくても嘘泣きができる。この感情がもつ二面性の奥深さこそが人たる所以である。人は顔の表情を何時もデザインして生きていかなければならない役者を演じている悲しき生き物である。

 

造られた笑顔をテレビ映像によって日夜見せられていると、現実の狂気が隠蔽される。悲惨な映像を解説する悲痛な表情の後に「次はスポーツです」と一瞬に笑顔に変わるアナウンサーは、疑問を持つことさえも許されていないのであろう。それは感情さえもコントロールされている狂気なる社会である。

 

狂気に侵された多くの人は、他者の悲しみを自らの喜びとし、他者の喜びを妬み、蔑み、自らがもつ恨みの情念に支配されている精神構造から逃れ得る術を失っているのであり、自らの感情をデザインすることすら、不可能になっているのである。


 

感情を強制する支配構造からは、新たな創造は生れてこない。何かを支配しようとすればするほど、事象は陳腐化される。解放される精神からデザインされる創造的な物質形態に意味がある。

 

支配と解放が織りなす精神構造が文明の精神レベルを表現しているのであり、能面的な表情に潜む人のもつ情念のレベルは計り知れない。その情念を表現するデザインが進化を創り出す。

 

人の心情の美しさと醜さは、人のもつ精神的な受動と他動の多面的表現であり、人の感情の流動性が世の流れを創り出す。この世は感情に支配されデザインされているのである。


豊さとか貧しさは物理的な現象の現れだけでなく、より以上に精神的な表れである。心の豊かさと貧しさの価値判断に於いて、人のもつ知性が深化される。デザインはこの知性の進化から創造される。


 

醜き心が醜き人を創っている。醜き心が醜き社会を創っている。そして単純には人の美しき心などを信じることはできないのであり、美しさは醜さの裏返しである。醜さを否定するのではなく、自らの醜さを自覚する意識のなかに一瞬の美しさが垣間見えてくるのである。その美意識をデザインするには高度な空間認識と技術を必要とする。それは自らの知性を弛まなく磨きをかける鍛練なしには到達できない境地である。

 

人は自らをデザインすることによって生きる価値を形に表現しようとする。観ることが出来ないが、確かに存在する知性の形態を追い求めているのであり、醜さと美しさの共存する内なる世界を如何に表現しデザインしたかが、ひとつの生命体の生きた証しなのである。


人の生きている時間感覚はそれぞれであり、多くを求めれば短く、求めないのであれば長く感じる。そして人の一生はトーラスの如く流転し、変化し、形を変え、膨張し、収縮している。人も悠久の時間をもつ自然の一部であり、素粒子が集合し、長い時間を経て、ひとつの形態としてデザインされ物質化されているのである。


デザインには必ず何らかの意図と意志と目的と使命があるはずだ。その理解は果てしない探求の先にある知性の進化によって果たされる。自らのもつ知性は自らの感性のなかでしか理解しえないという世界観によって自らをデザインする術をシステム化する。

 

 

人のもつ顔の表情が創り出す感情表現システムは優れて緻密である。喜び、悲しみ、怒り、諦め、驚き、嫌悪、憎しみ、恐怖などの精神的な感情を、顔面を使って表現する。さらには人の知性レベルが無意識に表情として表現され、知性のレベルが顔に出るのである。だからこそ目は口ほどにものを言い、人の目を観て話をすることが大事だと言われている。このネット社会によって情報のスピード化を果たしたが、情報発信者の顔が見えなくなり、より情報が隠蔽され嘘が社会に蔓延されている。

 

表情は人の非言語コミュニケーション手段のひとつと位置づけられが、無意識と意識的の両面の領域を持っている。そして無意識なる表情によって人の深層心理を読み取ることが可能であるとされる。他者の表情を観れば、その考えを知ることが可能と言われるが、そう単純ではないことは能面を観れば理解できる。無意識と意識的な表情の両面を表す能面の如く、人の表情に隠された感情を読み取ることこそが真実を知るコミュニケーションには重要なのである。


感情をコントロールするための理性は、感性を鍛えるなかで醸成されるが、人が自由に生きるために大事な感情発現が、意図的に造られた情報化社会によって抑制され、支配され誘導されている。感情の支配からの解放に必要なことは、人によってデザインされた仮面に隠された真の感情や情念を、自らの感性によって、より深く相互理解することである。

 

人には生きている領域があり、地域があり、場所があり、自らの知り得る時空間的な範囲とレベルがある。観て知ることと情報として知ることには違いがあり、広く浅く知ることと、狭く深く知ることにも違いはある。自らにとっての真実は自らしか理解できない。そして情報化、グローバル化という造られた幻想によって世界的支配が強まっていると感じる自らの感性を磨き、自らが自らをより良くデザインしていくことが必要である。

 

 

人の創り出したデザインと比べ自然界の創り出す風景、風物に優るデザインはないだろう。人は自らが自然の一部であることを自覚すれば、大自然との共鳴を果たすことが可能となる。覚醒した意識によってマクロコスモスとミクロコスモスとの織りなす世界の摂理が解き明かされる。

 

自然界のデザインは、鳥は空を飛べるように、魚は水中を泳げるように、動物は大地を早く走れるように、植物は太陽光を有効利用する形態を創り出した。しかし人類のもつ体の形態は何を得るためにデザインされているのだろうか。

 

自然は多種多様性の形態と生命を生み出し、進化への可能性を求めている。自然界は多様な生命が引き継がれることに意味を求めているが、人間界は自己のもつ支配欲のために、他の生命を奪い合うことに意味を求め、破壊者として君臨している。


進化する世界観を創造することが可能となるようにデザインされている人類に課せられた使命は、デザイナーとして覚醒し、新たな世界観を創造し進化することである。世界観をデザインしてこそデザイナーとしての創造主が誕生する。


 

この世は自然なるものにデザインされ創られていて、そのデザイナーである創造主を神と呼ぶならば、この世は神によって創られたのだろう。そして文明とか文化と呼ばれるものは、神によって創られた人類によって創られている。

 

鳥のように空を飛べる飛行機、魚のように水中を泳ぐ船、動物のように大地を走れる車、などの文明の利器を創ってきた人類は自然界を創った神と同様な力をもつ創造神なのであろうか。そして空を飛ぶ爆撃機、水上を進む戦艦、大地を走る戦車などの兵器によって人類同士の殺し合いを繰り返してきた人類、大気汚染、森林伐採、動物絶滅を繰り広げる人類は自然界で生まれた破壊神でもある。

 

万能の神は創造と破壊がもたらす世界の行き着く先を用意しているのだろうか。神の言う、極楽と地獄の世界観を信じるしかないのだろうか。信じる者は救われるとは、支配のための最強の教義である。支配者は国家を信じろ、宗教を信じろ、教育を信じろ、と言う。全ては自らの欲による支配のためであることを隠し、信じる者は全てから救われると嘘を付いているのである。

 

共同幻想として存在する造られた神が支配するこの欺瞞なる世界のなかで、生きる術としての自らのデザイン力が描く世界観を得ることによって、この世の真実を明らかにすることが可能となる。

 

 

人は何時も仮面を纏い生きている。本当の顔を観られることを恐れ、権威に溺れ、欲に塗れ、権力に束縛され、真実なる感情を隠し、そして思想は堕落する。人は隠し続けることによって何時しか真実さえも見失い、狂気のなかで生き続けようとする愚かなる存在である。自らの愚かさを知れば限界を理解し、新しい世界観をデザインし、次なる高次元を選択することが可能となる。

 

人の持つ秘めたる想像力によって構築される世界観を持つことが、人が人として生きている存在理由であり、自己意識によってデザインされた世界観は、善も悪もない唯一の自由なる自己表現である。

 

善人の様な悪人と悪人の様な善人が共存する狂気なる世界のなかで、自らを偽っている仮面を脱ぎ棄て、自らが自らを信じるに値する存在になる以外に、この狂気から逃れる術は無い。

 

自らのひとつの世界観として、万物創生の摂理であるトーラス構造と万物創生の理解であるインテリジェント・デザイン理論を解明するためのシステム構築を目指すトーラスデザインシステム論を確立するデザイナーとしての自らの使命を果たす。


勝手創千界への

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2013年

6月

09日

勝手創千界から世界へ

この世界が持つ多くの問題への解決は待っていては果たせない

より良き社会を目指して我が「勝手自由なる提案」を創り上げていく

そして「勝手創千界」の描く世界から解決に向けての一歩を踏み出す

10 コメント

2013年

1月

01日

勝手にエネルギー論を構築する

人類の行く末は「エネルギー」を如何に獲得していくかである。

日本の社会も経済も「エネルギー問題」の解決抜きには語れない。

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2012年

10月

02日

新しいエネルギー開発に向けて

「水危機」と「エネルギー危機」が目前に迫っている。この二つの「危機」だけでも「人類の生存基盤」の危機である。 一刻も早く、地球と人類にとって安全・安心な「自然エネルギー」「再生可能エネルギー」の開発が求められている。

10年、100年先の「危機管理」として、今から行動しなければ遅いことは明白だ。

「消費社会」から「循環社会」「持続可能社会」「自然共生社会」「エネルギー自立社会」へ向けての「意識改革」と「構造改革」が重要である。

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2012年

7月

08日

新しい日本改造に向けて

国の言う「国民のための判断」が本当でないことが明らかにされているいま

国民の持つ価値観として、何が大事で何が大事でないかという判断や、ものごとの優先順位づけ、ものごとの重み付けの体系の価値判断から、3.11震災を契機にした「新しい価値観」と「国民全体の幸福度」についての「提言」が、いまこそ日本に必要である。

10 コメント

2012年

6月

04日

勝手に発想法を研究する

差し迫る「少子高齢化の縮小社会への突入」「産業の空洞化」「エネルギー問題」「雇用問題」「財政問題」等々・・・日本社会が抱える問題は多岐に渡るが、政治や行政や官僚に「問題解決能力」の欠如が著しい。

さらに日本の技術を支える産業界や学界の「研究開発機関」においても「劣化」が進んでいる。

今こそ「フロンティア精神」と「新しい発想」が連動して「革新的なイノベーション技術」を生み出していくことが必要だ。

6 コメント

2012年

5月

01日

自然エネルギーと共に生きる

日本の自立と未来を切り開くためには、日本の国土に適合した再生可能エネルギーの社会が必要であり、最先端の日本技術を結集して「世界に誇れる日本」を創っていかなければならない。

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2012年

4月

07日

勝手創千界から「尊敬される日本」へ

まず、現状のまま進行した100年後の日本の未来を想定し、その想定社会状況から、今必要な「方策」を考えてゆく視点が必要ではないかと思っています。新しい視点が必要です。

「勝手創千界」による「勝手な発想」が「脳内停止」状態の人々に「インパクト」を与えなくてはいけません。

13 コメント

2012年

3月

11日

3.11震災から海上都市計画へ

3.11震災を契機として、日本という国家のもつ様々な問題点が明らかにされ、新しい国家像が求められている。たぶんこのままでは、さらに日本の解体状況は進んでいくだろう。ラブーン海上都市計画がひとつの方向性を提示できればと思う。

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2012年

2月

19日

勝手に復興計画 in 石巻を提案

3.11震災からの新しきまちづくりとして「勝手に復興計画 in 石巻」を発進いたします。

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2011年

12月

31日

ホームページ開設

3.11震災以降、如何にすれば「津波につよいまち」が可能なのか?考えてきました。

その「ひとつの答え」を提示できればと思います。実現に向けて多くの人の意見を求めています。

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