トーラス建築論

 

私的ガウディ考

 

異彩を放つ

 

ガウディのもつ表現力の源泉は自然が創り出す形態への賛美に由来していることは確かだろう。そして無限ともいえる生物多様性をもつ自然界における物質の形状が決定されている法則は存在するのか、との問いかけに対するひとつの答えを提示しているように思える。機能性と利便性への偏重は、人の持つ知性の廃退と物質主義による支配をもたらす。支配からの解放を建築で表現しようとしたことが、現代に於いてもガウディの建築が異彩を放っている理由である。

 

異様なる形態を放つ

 

人は物の形態に意味を求めようとする。自然界が創る形態と人が創る形態の完成度の差は歴然としている。地球上に存在する有機物である様々な動植物から無機質の山河に至るまでの無限ともいえる自然形態が、どのような意図で存在しているのかについて様々なことが語られている。人類の学問は自然摂理の解明に多くの時間を費やしてきたのは確かだ。この解明へを答えを追い求めたとしても真の解明は成し得ないだろう。それは対象である異様なる形態を放つ自然界の創造物は人類の知力以上に進化し続けているからだ。人類の存在理由も理解しえない人類に真の自然界の存在理由を理解することはできない。

 

狂気の感性を放つ

 

人の持つ感性とは知力のレベルであり、創造力と想像力の知的レベルである。この狂気渦巻く世界に生きている中で、自らを正常と思うことこそ狂っている。狂気の感性は画一性を拒み、多様性を生み出す原理となり、進化の原動力になる。規格化された物質文明から観ればガウディのもつ想像力が生み出した建築は狂気の世界の反映と受け取られるだろう。しかしそれは人の持つ精神世界が生み出す情念の投影であり、時空間がもつ存在意義の認識に対する次元レベルを示している。低次元から高次元への進化は狂気の世界に内在する多様な感性によって惹き起こされるのだろう。だからこそガウディのもつ想像力を読み解く感性の次元レベルを自らに問う必然性がある。

 

創造の起源を放つ

 

「人間は何も創造しない。ただ発見するだけである。新しい作品のために自然の秩序を求める建築家は、神の創造に寄与する。故に独創とは、創造の起源に還ることである」

 

とはガウディの遺した言葉である。自然界の創造力に比べれば、人の造った人工物などは稚拙なものであることは確かである。自然界が創造した空気・水・海・大地そして動植物は数億年の時の中で循環形成され多様性を維持しながら秩序をもって存在している。そして創造の原理は有機質の動きと進化にある。現代建築の主要素材である、コンクリート・鉄・ガラスの無機質の建築や構造物は数百年の歳月には耐えられないだろう。しかし人は人工物に永遠の幻想を求め、自然界と対峙するのみで、自然への謙虚さを失い、自ら滅びへ向けて狂気しているのである。ガウディから学ぶべきは人は自然と同化し、生命創造の摂理と潮流のなかに還ることである。

 

凄しい情念を放つ

 

芸術は人の感情を表現したものである。中国の五情によると、人間の持つ代表的な感情を、

 

喜 (よろこび)

怒 (いかり)

哀 (かなしみ)

楽 (たのしみ)

怨 (うらみ)

 

の五つにまとめて表している。そして情念とはこれらの感情が複合化されたものであり、さらに理性的な理解を超えるものであり、自らのもつ情念を真に表現するときに常識とは異なる狂気が伴う。それは人の持つ日常的なものを捨て去る中に狂気迫る非日常の空間が現出される。その時空間に隠された凄しい情念を放つことによって、人に対する相互作用としての感動を生み出すことが可能になるのである。ガウディが創造した空間がもつ情念への理解は、自らのもつ情念のレベルによって理解され昇華され進化する。

 

光と闇を放つ

 

この世界は二面性によって成立している。生物には生があるからこそ死が訪れる。人には精神があってこそ肉体が生きる。そして空間には闇があるから光を感じることができるのである。宇宙から原子にいたる自然界の創造の原理は、プラスとマイナスの電磁的相互作用によって、引き付け合いそして反発し合う螺旋渦巻き運動の中で分子構造が形成され、ひとつの形態をもった物質として創造されているのである。そして自然界によって創造された光と闇の空間の中でしか人は空間を感じ取ることができないのであるならば、まず光と闇を与えくれた自然の原理に感謝しなくてはならない。

 

生命の躍動を放つ

 

宇宙空間のもつ永遠の時空間の中にあって、人は限られた時空間をもって誕生し、ひとつの生命の躍動を放ち、そして終焉を迎える。その繰り返される循環運動によって生じる微かな変位が次なる進化過程へと導いている。自然界に誕生したひとつの生命に使命があるとすれば、それは高次元への進化に少しでも寄与することである。そして生命の本質は動きであり、躍動であることを理解すれば、ガウディの生命の躍動を放つ高次なる時空間の知性を認識することが可能となる。

 

多様性を放つ

 

自然界を見回せば多様性に満ち溢れている。そして無限ともいえる多様な形態(morphogenic 形態形成)と生物を生み出し、その試行錯誤のなかにひとつの確たる進化が創造されるという自然の摂理が存在する。しかし現代文明は支配のために多様性よりも画一的なるものを求めてきたために、本来進化すべき機会を逃してきたのかもしれない。未だに低次元の争いを繰り返す様相を観ると、人類が一向に進化していないことは明らかである。ガウディが多様性を生む自然の摂理を掌握していたことは確かであり、ガウディの多様な形態をもつ空間創造は、画一化に進む狂気の現代文明へのアンチテーゼであると理解する。

 

進化への原理を放つ

 

人は限られた時空間の中にあっても進化していかなければならない。それこそがひとつの生命とした誕生した存在の意義と使命である。人が持つ精神と肉体の進化は自由な自然と同化することによって生れる。そして躍動する自由なる精神と肉体の中でこそ進化が可能であり、支配と抑圧された社会によって進化が断たれることを知らなければならない。ガウディの創造した空間には、生命の躍動する様相と進化への原理が表現されている。それは自由なる精神をもつ人にしか理解しえない領域が存在しているのである。

 

 

自らの情念を放つ

 

―ポエム―

 

GAUDiよ

 

宇宙創造と生命創造の原理を解明しようとする飽くなき悲壮なる挑戦

 

沸き起こる衝動と慟哭なる意志を表現する空間創造

 

あなたの悲しき情念を纏う異形なる美意識は自然への憧れか怖れか

 

ああ、ガウディよ アントニオ・ガウディよ

 

狂気する世界にあって今まさにあなたの時空間意識が甦る時である

 

躍動する魂の進化構造が内在する遺された夥しい数の装飾と建築群

 

変わりなき光と闇の時空間に何を観るのか

 

創造された空間がもつ情念は自らのもつ情念のレベルによって理解されるだろう

 

高次元なる時空間に存在し進化する知性の探求に向かう孤独なる道程

 

そして私は今どこへ向かおうとしているのか・・・・・

 

GAUDiへ捧げる

 

私的ガウディ考

 

2014年07月26日

 

トーラス建築論-1

 

「近代化」という言葉のなかに、何か豊かで輝かしい未来が待ち受けているような感情を抱いていた様な気がする。新しい時代を切り開こうとした先駆者の建築はやはり思想的な力強さを今でも発している。優れた建築物はその造られた時代の思想性を表現している。そして美しい。

 

 

ファンズワース邸 (1950年 アメリカ イリノイ州)

 

ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ

(Ludwig Mies van der Rohe 1886年3月27日 – 1969年8月17日)

 

「Less is more.」(より少ないことは、より豊かなこと)

「God is in the detail」(神は細部に宿る)

 

 

美的感覚は人それぞれであるが、美しさを感じる精神性は豊かである。人類が創り出した芸術の基本思想は、自然界のもつ美しさへの憧れと尊敬の表現である。近代建築の先駆者の建築は新しいスタイルを持ちさらに、自然環境と調和しているからこそ美しいと感じるのである。ファンズワース邸は豊かな自然環境と調和し一体化しているからこそ成立しているのであり、雑踏の都会の中では存在しえない。この建築表現を可能とした至高なる精神の確立には、豊かなる美的感受性を備えた空間認識力と空間表現力が必要となる。

 

 

カウフマン邸(落水荘)(1935年 アメリカ ペンシルベニア州)

 

フランク・ロイド・ライト

(Frank Lloyd Wright、1867年6月8日 - 1959年4月9日)

 

「プレイリースタイル」(草原様式 Prairie Style)

 

 

このカウフマン邸ほど自然との融合を果たした建築は今までないだろう。自然環境の風景を構成する植物、岩、水、風、そして音、色、匂が一体混然として佇む様は意図して形作られている。この思想は東洋思想とりわけ山水画に感化されているのだろう。新しい動なる建築構造であっても、自然環境と決して争うことなく融合を果たす静なる思想が根底にあるからこそ、このような建築が創造された。その静と動、光と影、自然物と人工物、物質と精神が織りなす空間表現と意図を感受する。

 

 

サヴォア邸 (1931年  フランス ポワッシー)

 

ル・コルビュジエ

(Le Corbusier、1887年10月6日 - 1965年8月27日)

 

「住宅は住むための機械である」(machines à habiter)

「近代建築の五原則」(ピロティ、屋上庭園、自由平面、水平連続窓、自由立面)

 

 

サヴォア邸によって新しい時代を創る新しい発想は、人の持つ空間認識力によって進化することが理解される。建築は思考によって創りだされた空間であり、その思想が高次元になるほど、創りだされた建築は時空間を超越して存在する。

 

 

2014年07月28日

 

トーラス建築論-2

 

「近代化」という言葉によって、効率や経済が優先され建築空間の持つ芸術性が失われてきたのは確かだ。人の創る建築空間は、自然環境からの防御機能をもつ住空間の確保のみだけでなく、優れた建築は自然環境との共存と調和の優位性を表現している。そして物質と精神の融合を果たそうという意志が空間に込められている。

 

数寄屋造り

 

 

 

合掌造り

 

 

 

長屋

 

 

2014年07月29日

 

トーラス建築論-3

 

原爆堂計画 1955年

 

白井 晟一 (1905年2月5日 - 1983年11月22日)

 

 

原爆堂について   白井晟一

 

 私ははじめ不毛の曠野の中にたつ堂を考えていた。惨虐の記憶、癈墟の荒涼たる連想からであつたとおもう。しかし構想を重ねてゆくうちにこのような考え方の畢竟は説話的なニュアンス・メイクの偏執から自由になつて、観念・典型の過去をきりはなした。自分の中の、可能性だけを集約して造型を純粋にしたいとおもう努力にかわっていつた。メモリイを強いる造型でなく、永続的な希待の象徴を志すことになったといえるかもしれない。人間社会の不朽な共存への祈りとこのような自分のなかの造型発展とは、素直にむすんだ。

 

 このたてものは黒花崗を貼つた直径5間のまつくろな円筒が、眼にみえぬほど静かに流れている澄明な水の中にたち、1辺12間の方堂を支えているとみえるが、軸としてのシリンダア全体と梁としてのスラブ全体が一つの鋳型であって架構構造ではない。アトミック・ハンマアも試験の時代を通過した今日では、私の考えてきた原理向上の進展ものぞむなしとしない。いずれにしても経済や工法の上から、今後も構造担当の坪井研究室とともに研鑽をつづけてゆきたい。

 

 堂は美術館(本館)のエントランス・パビヨンと地下道でむすばれている。円筒内壁に沿つたスパイラル階段でギャレリイに導かれ、内部採光はドオム円蓋と光路を経た間接外光に人工光線で補う。

 

 さてこの計画を実施する組織はまだできているわけではない。原爆図をかいて世界の人びとを感動させたといわれる丸木・赤松さん等、この計画案の熱心な支持者達とともに、戦争のない永久平和を祈念するおなじ願いの民衆の洽き協働によって、またぜひともそういう成り立ちからでなければできない建物であると思つている。

(1955年3月)

 

 

精神性を表現した建築として、未だに原爆堂計画を超えるものを知らない。異端の中に生れる真実を知ることが生きている意味であり理由である。そして知の創造物は高次元なる時空間の存在を明らかにする。トーラスの如く渦巻く思考の果てしない運動エネルギーは相互作用を続け、いつしか物質化するのだろう。人の持つ想像力の深淵は計り知れなし、現在の様々な事象を捉え、未来を創造する思考の中に進化が存在するが、それは外からは窺い知れない。白井晟一の原爆堂計画が映し出す時空間の意味を理解する唯一の方法は、言葉では表現できない精神世界に於いて、仮想現実と実体現実との狭間の中で対峙することから生み出される運動エネルギーによる共振現象を自らに取り入れることである。人の持つ精神も肉体も悠久の時空間の動きと変位の中に存在し、進化し続けようとする創造原理の深淵への自由なる探求こそが、自らが存在する意味であり理由であり証である。

 

 

自然物も人工物もその本質はエネルギー体である素粒子で構成されているのであれば、そこには創造の原理作用が存在している。エネルギーの物質化はトーラスによるエネルギーの回転渦巻き構造によって形作られ、そしてそれは極めて意図的であり、意志によって構造形態が決定されていく。目にする物質的実体は、空間に存在するエネルギーの動きと振動によって密度が高まり凝縮され、目に見える残像を作り出している。全ての現実は突き詰めていけば目にすることのできない意志エネルギーの固体化によって生み出される錯覚によって成り立っている。言い換えれば空間に込める意志エネルギーのもつ相互作用により、物質的実体としての人工的建築空間が創造されている。

 

 

白井晟一は異端であった。真実を突き詰めれば精神は日常から乖離し狂気するが、その狂気の中にこそ新たな精神が生まれる。しかし現状からの新生を望まない者達によって、それは異端と呼ばれる。高次元なる精神から創造された建築空間からは、その表現された精神性の残像を感じとることが可能となる。日常のなかに潜む精神的葛藤から生まれる異端なる空間創造にこそ生存空間としての意味がある。

 

 

2014年08月03日

 

トーラス建築論-4

 

世界遺産

 

いつの時代にあっても権威の象徴としての建築物があった。世界各地に現存する墳墓、宗教建築、宮殿などの建築遺産は、当時の権力者によって権力の誇示のために最高の技術力と建造力と経済力と人力を建築に結集させ、それは質、形態、規模に於いて現代でも威容を誇っている。しかしそのディティールは一人の存在した特定の人のエネルギーの集積によって創り出されていることは確かである。一人の職人の厳しい環境の中での執念と情念を見過ごすことは出来ない。トーラスは全てのエネルギーの流れのシステムであり万物創造の原理として、まさに人の持つ精神の物資化現象を建築遺産から垣間見ることができる。

 

 

今でも多くの建築物の構造は、自然環境から生れる石と木に依存している。そして近代建築は人工加工物である鉄、コンクリート、ガラス、プラスチックが主要構造材として使用されている。建築物はその時代の文明、文化の構造レベルが反映される。だからその文明が滅びれば、その文明が造った建築物は廃墟と化すのである。いつしか今の文明が滅びるだろうが、次世代の人々が廃墟と化した都市に何を観るのだろうか。無常なる世界である。

 

 

2014年08月05日

 

トーラス建築論-5

 

近代都市

 

現代文明の到達点として、世界中の巨大都市に多くのエネルギーが集中している。これは人類の進歩の結果なのだろうか。そして更に進化していくことが可能なのだろうか。近代化がもたらした大量生産、大量消費社会のなかで、都市には人の欲望が渦巻いている。人の持つ狂気なる欲望によって、果てしない人類間による生存競争の舞台が都市の本質である。この世界に永遠なるものなど存在しないように、いつしか人類の造り上げた大都市も滅びの時を迎え、その時こそ本当の狂気の世界が表面化する。限りあるエネルギー資源の奪い合いの結果として、繁栄した全ての都市が廃墟と化する時が来るのは歴史的必然だろう。

 

 

未来都市

 

 

ドバイ

 

 

廃墟

 

愚かなる人類が造った巨大都市の行き着く先は、廃墟と化した文明の形跡さえも残らない荒れ果てた広大な大地である。人類間の争いが果てることなく続いていけば残るのは廃墟だけであることは理解できているだろうが、理性よりも欲望が優先する人のもつ本能を超えることができないことによって、文明が崩壊するまで気づきはしない。そして人類という種が今後も直線的に繁栄していくことは不可能なことが理解できれば、この世界は循環的な栄枯盛衰の世であることを知る。欲深き人々は未だ、争いの先にあるのは勝者なき繁栄と衰退でしかないことを理解できずにいる。

 

 

エコハウス

 

主流ではないが自然との共生を目指す建築物も多く存在する。文明が崩壊しようとも自然環境の中に身を潜め、静かに生きることは選択可能である。トーラスなる建築は万物創造のエネルギー体を包み込む精神と物質の調和する空間を目指す。

 


トーラス建築論-6

 

ガラスの家


トーラス建築論-7

 

タワー

勝手創千界への

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2013年

6月

09日

勝手創千界から世界へ

この世界が持つ多くの問題への解決は待っていては果たせない

より良き社会を目指して我が「勝手自由なる提案」を創り上げていく

そして「勝手創千界」の描く世界から解決に向けての一歩を踏み出す

10 コメント

2013年

1月

01日

勝手にエネルギー論を構築する

人類の行く末は「エネルギー」を如何に獲得していくかである。

日本の社会も経済も「エネルギー問題」の解決抜きには語れない。

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2012年

10月

02日

新しいエネルギー開発に向けて

「水危機」と「エネルギー危機」が目前に迫っている。この二つの「危機」だけでも「人類の生存基盤」の危機である。 一刻も早く、地球と人類にとって安全・安心な「自然エネルギー」「再生可能エネルギー」の開発が求められている。

10年、100年先の「危機管理」として、今から行動しなければ遅いことは明白だ。

「消費社会」から「循環社会」「持続可能社会」「自然共生社会」「エネルギー自立社会」へ向けての「意識改革」と「構造改革」が重要である。

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2012年

7月

08日

新しい日本改造に向けて

国の言う「国民のための判断」が本当でないことが明らかにされているいま

国民の持つ価値観として、何が大事で何が大事でないかという判断や、ものごとの優先順位づけ、ものごとの重み付けの体系の価値判断から、3.11震災を契機にした「新しい価値観」と「国民全体の幸福度」についての「提言」が、いまこそ日本に必要である。

10 コメント

2012年

6月

04日

勝手に発想法を研究する

差し迫る「少子高齢化の縮小社会への突入」「産業の空洞化」「エネルギー問題」「雇用問題」「財政問題」等々・・・日本社会が抱える問題は多岐に渡るが、政治や行政や官僚に「問題解決能力」の欠如が著しい。

さらに日本の技術を支える産業界や学界の「研究開発機関」においても「劣化」が進んでいる。

今こそ「フロンティア精神」と「新しい発想」が連動して「革新的なイノベーション技術」を生み出していくことが必要だ。

6 コメント

2012年

5月

01日

自然エネルギーと共に生きる

日本の自立と未来を切り開くためには、日本の国土に適合した再生可能エネルギーの社会が必要であり、最先端の日本技術を結集して「世界に誇れる日本」を創っていかなければならない。

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2012年

4月

07日

勝手創千界から「尊敬される日本」へ

まず、現状のまま進行した100年後の日本の未来を想定し、その想定社会状況から、今必要な「方策」を考えてゆく視点が必要ではないかと思っています。新しい視点が必要です。

「勝手創千界」による「勝手な発想」が「脳内停止」状態の人々に「インパクト」を与えなくてはいけません。

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2012年

3月

11日

3.11震災から海上都市計画へ

3.11震災を契機として、日本という国家のもつ様々な問題点が明らかにされ、新しい国家像が求められている。たぶんこのままでは、さらに日本の解体状況は進んでいくだろう。ラブーン海上都市計画がひとつの方向性を提示できればと思う。

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2012年

2月

19日

勝手に復興計画 in 石巻を提案

3.11震災からの新しきまちづくりとして「勝手に復興計画 in 石巻」を発進いたします。

6 コメント

2011年

12月

31日

ホームページ開設

3.11震災以降、如何にすれば「津波につよいまち」が可能なのか?考えてきました。

その「ひとつの答え」を提示できればと思います。実現に向けて多くの人の意見を求めています。

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