トーラス相対論 

 

トーラス相対論 

 

 

フリーエネルギー社会の形成に向けて

 

貧乏人には電力会社から電気を買うしかない。金持ちは持家の屋根に、補助金を貰って太陽光発電やガス発電機を設置する。家庭で使うだけならまだしも、余った電気は電力会社に高く買い取ってもらい、発電機の代金の足しにする。電力会社は電気料金に上乗せして儲かることは無いかもしれないが、一切損はしない。自治体、企業は大規模な太陽光発電所、風力発電所、水力発電所を補助金目当てに大金を使って効率の悪い電力をクリーンな再生可能エネルギー発電と銘打って、雨後のタケノコのように全国各地に作り、その電気を寡占電力会社に売りつけて儲けようとする。今の再生可能エネルギー政策の全ては、貧乏人から金を巻き上げて、金持ちが儲かる様にするための政策なのは誰でも知っている。騙されていると知っていても、貧乏人は電気代に金持ちの太陽光発電機の代金も追加請求されていても、電力会社から買うしかないのである。

 

フリーエネルギーとは貧乏人であろうが誰れであろうが、自分で電気を作って、自分で使うことにある。まさに「貧者のエネルギー」である。持ち運びができ、何処にでも設置でき、安い価格の携帯発電機の普及はフリーエネルギー社会形成の第一歩である。今は小さな電力しか生み出さないが、そのうちに簡単で、安くて、家庭で使う分ぐらいの電気を発電し、蓄電することが出来るようになるだろう。貧乏人を舐めたらいかんぜよ。日本は独占的な電力事情なので、携帯発電機の開発は外国製品の方が真剣に取り組んでいる。日本の大手電器会社と大企業や政府は、大資本の独占電力会社の顔色をみて、本格的なフリーエネルギー発電の開発に及び腰ではあるが、変化の兆しはある。大きな経済変化や経済破綻はエネルギー政策の改革をもたらすだろう。この社会のライフラインである系統電源が突然に断たれる可能生は何時でもある。貧乏人であればあるほど、電気が使えない状況は深刻だ。今から準備しておく必要がある。食糧が買えないのと、電気が使えないのとは同じくらい大変なことである。

 

これからは食糧の自給自足と電気の自給自足は考えておかないといけない。なぜなら、食糧と電気のエネルギー支配による人の支配は、より厳しい社会情勢になればなるほど進んでいくことが予想されるからである。電力の安定供給のためとか経済のためとか環境のためとか何とか言っているが、現状の支配構造や固定観念にしがみ付いているだけだろう。エネルギー源の枯渇は支配構造の破局をもたらすことは、支配層が一番に知っていることである。大きなものより小さなもの方が優れていることがある。集中型の大規模よりも、分散型の小規模なシステムが優位な場合がある。今は携帯の時代と言われているように、技術は小さくても効率的で高出力な装置の革新に向かおうとしている。小さなものを求めれば、大きな争いも起こらない。一人ひとりが小さくても、一人ひとりが自給自足できれば競争しなくても済む。より争いの少ない共生の社会が実現しやすくなるはずだ。これこそが「貧者のエネルギー」の目指すべき理想である。

 

 

完全オフグリッドライフ

http://eamag.jp/3450

 

堤未果 x 田中優「電気の自給生活 完全オフグリッドライフ」

http://blog.goo.ne.jp/banbiblog/e/043182f2f3a803ea6f498bfda8ba3149

 

自エネ組

http://jiene.net/index.html

 

わたしたち電力

http://wataden.org/about/#wataden

 


オフグリッドライフ

 

人類の歴史はエネルギー資源の覇権競争にあった。国家形成にとって最も重要なのはエネルギー源である。人力エネルギー、鉱物エネルギー、食糧エネルギーへの覇権が戦争を引き起こし、エネルギーの奪い合いは人を冷酷にさせる。まさに動物界の縄張り争いと同様に熾烈な争いが繰り広げられできたし、現在も進行中である。巨大企業の石油資本や電力資本は本来全人類の共有物であるエネルギーの独占によって膨大な利益を得ている。独占は支配のなかで成立しているのであり、支配なくしては独占は不可能である。日本の電力事情に於いても電力の安定化と言いくるめて電力の寡占、独占を電力会社に許している。

 

オフグリッドライフは支配社会への民衆のひとつの小さな抵抗であり、支配からの解放行動である。ライフラインである電気を、独占電力会社と繋がるラインからオフすることが、マイライフの自立への道を切り開く。エネルギーの自立意識は独占から共有への意識改革を生みだす。自然エネルギーは人類の共有資源である。石油資源も水資源も鉱物資源も全てこの地球が生み出したものであり、エネルギー資源の格差は人類が作り出したものである。ここに格差社会の根本原因がある。格差社会に生きる人類は、エネルギー格差を正当化しているうちは、共に生きる共有社会の形成を成し遂げることは出来ないだろう。

 

貧乏人から金を巻き上げて、自らが裕福になろうとする金権主義と資本主義社会が格差社会と差別社会を生みだしていることは必然であるが、何時かは変わる時代が到来するだろう。いつの時代に於いても大きな社会変革は大きな破壊と破滅を伴い既得権は瓦解する。支配からの解放による自由意識と自立意識の先にある共有意識を原理とする共存社会の形成は人類の悲願であるが、そんな社会に造りかえることが出来るのかは疑わしい。多種多様な社会の共存を認め合い、自由なる意識の試行錯誤の中に、人類が共有すべき豊かな思想の形成が、進化の先に待ち構えていることを願うしかない。エネルギーの自立は共有思想形成の第一歩となるだろう。


 

栄枯盛衰

 

拡大と縮小はミクロからマクロに於ける世界の原理であり、世界の至る所で繰り返され、栄枯盛衰が常であるとし、全ての儚さを知る。意識の拡大が進歩ならば、意識の縮小は衰退である。拡大過程しか求めないのであれば、縮小過程のときには人は恐怖し、従順か反発かの選択を迫られる。理性が恐怖に打ち勝つとは限らない。人の一生も誕生と成長と老化の果てに死を向かえる。死への恐怖心は死を受け入れることによってしか打ち勝つことができない。人は誕生を選択できないが死は選択できる。選択が自覚に繋がり、自覚が覚醒に繋がり、覚醒が創造に繋がり、創造が進化へと繋がる。拡大と縮小、繁栄と衰退を繰り返しながら、人は進化していくのだろう。

 

貧しき者と富める者との違いは精神と物質に表現される。物質的に貧しくても精神が豊かな者もいれば、物質的に豊かでも精神が貧しい者もいる。物質的に豊かで精神も豊かな者は何故か少ない。物質的に貧しくて精神も貧しい者は何故か多い。貧しき生れで富める者になった人もいれば、富める生まれで貧しくなった人もいる。世の常として貧しき者は貧しき人生のままで、富める者はそのまま富める人生を送ることが多い。自己認識として物質的には豊かでも、何時も不幸だと感じている人もいれば、物質的には貧しくても、何時も幸せだと感じている人がいる。この世界の全てが相互作用の原理の中で存在していることを理解すれば、共有の知性が創造される。

 

人は限られた意識の中で存在している。人の意識によって観えるものと観えないものがある。意識は認識であり意識が広ければ多くが観え、意識が狭ければ観えるものも少ない。認識は感性であり感性が良ければ多くを感じ、感性が悪ければ少ししか感じない。感性は知性であり知性が豊かであれば多くを知り、知性が貧しければ知ることが少ない。人はこの世の創生原理である素粒子の世界を観ることができない。このミクロの世界は振動し共鳴し結び合って存在し、マクロの世界を形成している。人の持つ知性でしか観ることができない世界が存在している。これこそ観念の世界であり、人の持つ世界観である。知性の進化が共有の世界観を創造する。

 

 

差別と支配

 

縮小と淘汰は自然界の摂理である。人は淘汰されようとすると狂気し、差別と支配を強め自らが生き残ろうとする。それを生存権というが支配側からの法支配であり淘汰の正当化である。生態系の摂理による生物多様性のなかでの淘汰は、循環と連鎖の継続性を維持するための淘汰であり、生物界の食物連鎖による殺し合いは進化への摂理であり、そこには差別も支配もない。人だけが今だに、人が人を差別し支配し、人同士の殺し合い社会から抜け出すことができていない。差別や支配は人が作り出した幻想であるにもかかわらず、支配する側も支配される側も何故か、既成概念の差別思想と支配思想に支配されている。

 

既得権と既成概念もまた幻想である。全てが幻想であると自覚したときに自己が覚醒される。自らは何者であるのか。自らは誰かよりも優れているのか、劣っているのか。自らが何を信じているのか、信じていないのか。自問自答を繰り返す無益なる思考過程の果てに、全てが幻想であることを知れば支配の無意味さが観えてくる。既得権者が自らの既得権にしがみ付こうとするための、支配として作り出された既成概念を崩す唯一の方法は、試行錯誤の果ての自由なる意識による選択と自己の確立による覚醒へと辿り着く、人の持つ豊かなる創造力を共有することにある。創造力がエネルギーを物質化し、進化した新たな世界を創り出す。

 

差別とは違いの強調であり、時として人の優劣を意識させ、優越感と劣等感が差別を作り出す。人よりも優れていることを強調する意味もないのに関わらず、自らのつまらぬ存在意義を強調し、劣等感を持つゆえに優越感に浸ろうとする。人への差別は自らの劣等感から作り出され、優越感が差別を助長する。差別が人への支配を作り出し、差別社会と支配社会が築かれていく。そこは劣等感が強い者が、支配者として君臨するつまらない社会である。人を差別すればするほど、共通認識は薄れ、独善が進行し、孤独感に苛まれ、人への支配欲が高まり、狂気なる幻想に侵され、知性が劣化していき、暴力による支配が蔓延する。差別は最も恥ずべき思想である。

 

 

意識と知性

 

人類という種は脳を発達させることによって、自意識を獲得した生命体である。生命誕生からすぐに自己意識が芽生え、自己主張し、他者との違いが認識され、自己が確立される。しかし「汝自身を知れ」が何時の世にも命題である。現代社会において、他者からの評価が重要視される。汝自身を知ることなく、人からどう思われているのかが問題にされる。自己意識が萎えてきているのである。評価を求めるための意識、知性ばかりに向かう情報化社会の行く末は暗い。情報は自らが分析、理解しなければ、情報に支配される。他者が作り出す情報を自らの理解の基準にすべきではなく、自らの構築した情報を真実として認識し知性を高める意識のなかにしか、知性の進化が生れないことを汝自身が知る。


情報化社会と言われてから、世は良い社会になっているのだろうか。「情報化社会とは情報がゴミと化す社会のことだ。」と言う。そして情報処理能力に長け、情報へのアクセスに恵まれた一部の人間と、それ以外の人々の間の情報の格差と貧富の格差が広がり、より強固な意識支配の構造が打ち立てられる社会が進行している。情報による詐欺社会であり、自らに有利な情報を発信し、自らの利益へと誘導するためなら、嘘だろが真実だろうが関係なく情報操作し、情報を金に換えようとする知性なき社会。人としての尊厳や人間性がどこかで否定されていく、まさにディストピアの社会が現実と化している。自らの政治体制をプロパガンダでユートピアに見せかけ、多くの人を洗脳し、体制に反抗する者には制裁を加え、排除する社会が到来する。


マルチメディア社会、デジタル社会、知識社会、ネットワーク社会、高度情報化社会、情報ネットワーク社会、グローバル・ネットワーク社会と呼び方は色々だが、如何にして情報という媒体を利用し支配するかの社会である。豊かな社会を築く情報革命への期待などは、既に色あせている。情報化が知性の劣化を招いていることは確かだろう。自らの意志なしに情報が意識を支配し、情報に溺れて、情報なしには生きられない、麻薬患者のような人々が蔓延している。今は知性なきスマートフォン時代であり、支配の道具として、単に麻薬がスマートフォンに置き換わっただけのようだ。麻薬が人の意識と知性と人格の破壊を招くように、情報に依存するスマートフォンも狂気の道具と化している。


 

縮小と拡大

 

少子化社会であり、高齢化社会である。そして縮小社会が到来している。拡大の中にしか希望が見いだせないなら、縮小は絶望と言うべきか。経済も生産も人口も、全てが縮んでゆくことに恐怖することだろう。売れなくなり作れなくなり保てなくなる。真綿で首を絞められるようにジワジワと苦しくなっていく。縮小社会はこれからが本番である。村も町も少しずつ小さくなって、いつの間にか無くなり、商店街もシャッターを閉めていく。すでにシャッター通りは進行しているが、次は人のいないスラム街が目につくようになるだろう。すでに解りきっていることだが、社会に活気が無くなっている。政治家や評論家などの詐欺師だけが威勢の良いことだけを叫んでいる。縮小は煮詰まっていくことである。何が残るのだろうか。真黒なコゲだけしか残らないこともあり得る。はたまたうまい味の煮物が残るのだろうか。今は過渡期であり、まさに鍋の中がグラグラと煮たってきたことはだけは確かだ。

 

風船も空気を入れ続ければ何時かは破裂し、人口も増え続ければ食糧も水も尽きる。物も作りすぎれば溢れてしまう。経済人は物を作り続け、売り続けない限り経済が持たないという。給料を安くし続け、物が買えない人が増えていけば、物が売れなくなるのは当たり前だ。ゴムのように膨らんだり縮んだりするのは柔軟性があるからだ。柔軟性の失ったゴムはボロボロになって崩れていく。柔軟性を失った人の思考は凝り固まり、頑固になり、独善的になっていく。脳が委縮していけば病気になる。体が委縮していけば老人になり何時か死んでいく。全て当たり前であり、社会が縮小していけば経済も産業も国も縮小していくのは当然である。いくら再生だ創生だと叫んでみても、落ちるところまで落ちていくしかない。もうこれ以上落ちることが出来ない状況が生まれるまで落ち続けていくのだろう。人生と同じである。人は堕落し、落ちていき、これ以上落ちることのできない、死ぬしかないという最低最悪の情況の中で気づき、変革し創生がある。そして喜びがある。


循環システムは縮小と拡大を繰り返す。生物の心臓のようにドックン、ドックンと縮小と拡大を繰り返し、血液を体全体に送り出すポンプ機能をもち、正確に縮小と拡大のリズムを刻むことによって生命活動が維持されている。圧縮と膨張も同様である。エンジンのピストン機構はガソリンの燃焼力によって空気の圧縮と膨張のリズムを刻むことにより運動している。自然活動も経済活動も人間活動も循環しているのであって、縮小と拡大、圧縮と膨張を繰り返しているのであり、拡大一辺等など在り得ないのである。だが消費社会と言われ、消費の拡大一辺等のために、この世はコマーシャルに溢れかえっている。何としても売り上げの拡大のために、政治やマスコミやマスメディアは企業の道具と化し、大企業に支配されている異常なる社会である。政治が大企業に支配され、物が売れれば何でも良くなり、嘘や隠蔽が支配する。武器を売るために戦争を起こそうとしていることなど当たり前になっている。拡大への狂気から解放され、この世は縮小することもあることを冷静に受け止めなくてはならない。

 

 

大と小

 

この世には大きな世界もあれば、小さな世界もある。大きな気持ちもあれば、小さな気持ちもある。大きな望みもあれば、小さな望みもある。大乗と小乗の思想もある。大我と小我の意識もある。大金持ちもいれば小金持ちもいる。マクロコスモスとミクロコスモスで世界は成立している。大きな宇宙は小さな素粒子からできている。大きな装置は小さな部品からできている。大きな気持ちで、小さなことに悩まないで生きていこうという。大きな希望を抱いて、小さな一歩を歩んでいこうという。大きなものも、小さなものも理解しなければならないという。主観によって大きく観えることもあれば、小さく観えるときもある。この世は人それぞれの観かたによって違っている。大きな事を語る人もいれば、小さな事しか語らない人もいる。大きな社会を観える人は少なく、日常の小さな周囲しか観えない人は多い。

 

人は大脳と小脳を持ち、大脳は思考を司り、小脳は運動を司るという。全てはバランスよくできているが、全ての人がバランスよく生きることはできていない。近代以前は人は自然環境のなかでバランスよく生きてきたし、体も自然とバランスよく生きるために造られてきた。人はバランスとしての「均衡」「平静」「安定」を求めるが、バランスが崩れると「不均衡」「動揺」「不安定」になり、人は恐怖し狂気する。大きな会社と小さな会社、大きな組織と小さな組織、大きな国家と小さな国家、大きな政策のなかの小さな個人の生き方。大きいものが小さいものを虐げ、支配しようとするバランスが崩れる。大自然を支配しようとして、小さな人類のバランスが崩れてきている。大きなものは力が強く、小さなものは力が弱いが、大きなものは小さなものからできている。大きなものは鈍くて、小さなものは素早い。

 

大きな機械も、小さな部品からできている。大きな装置も、一つの小さな歯車が壊れたら動かなくなる。人も小さな素粒子の集合体である。人には小さな素粒子は観えないが、感じとることができる。小さなものも一つひとつ意味があって存在している。宇宙の大きさから比べれば人など素粒子の如く小さい存在である。大きな宇宙のもつ時空間バランスのなかで小さな人の世のバランスが保たれている。大きいものも小さなものもバランスによって成立している。人も精神と肉体のバランスによって保たれている。バランスは安定であるが、不安定になるとバランスが崩れ、精神も肉体も崩壊する。この世に安定したものなど存在しないため、安定は幻想であり安定を保とうとすれば、強靭なる精神か、強い自己暗示が必要となる。人のもつ大いなる意志と知性が、この世のバランスを理解する。

 

 

絶対と相対

 

相対性理論によって、この世の時空間は絶対ではないことが明らかにされた。全ては相対なものであり、あらゆるものが条件によって変化するのである。時空間が変化するということは、この世には絶対なものは何一つ無いということであり、絶対というものが無い以上、人のもつ思考においても絶対というものは無く、いつも相対であり変化している。絶対と相対は対峙ではなく、絶対という言葉や認識自体が無いものなのであり「絶対に違う」「絶対反対」などは意味がない。何故か人は相対の上に絶対を求めようとする。自らの絶対を主張し、単一の価値観のみを絶対化する考えである絶対主義が、固定観念と独裁支配を生み、腐敗と堕落が支配する。絶対に正しい理論、絶対に正しい政策、絶対に正しい宗教、絶対に正しい神、など存在しないし信じない。全ては支配の道具であり、有りもしない絶対を信じ込まそうとしているだけである。

 

この世を支配している、お金や人の絶対的な価値など無いのである。金持ちと貧乏人の違いによる差別、人種による差別、などは金の価値や人の価値を絶対と判断するがゆえに、違いを認めずに絶対を求め自らの絶対主義が差別と抑圧を生みだいていることに気がつかない。何か正しいことを主張しているかのように振舞っているが、絶対の信念や心情を声高に叫ぶものは信用できない。浅い考えは絶対なるものに縛られているために、威圧的で偉そうであり、深い知性は相対の意味を理解しているために、柔軟であり静かである。空間も時間も絶対的なものとする既成概念を打ち破った相対性理論が、この世の真理であり、東洋思想の無常思想につながる哲学である。最先端の物理学である相対性理論を理解しようとせずに、今だに既成概念や既得権に取りつかれている社会は反知性主義である。絶対の押し付けによって、絶対主義が差別と格差社会を作り出している。相対への知性が重要だ。


色即是空は、この世の宇宙に存在するすべての形ある物質や現象は、固定した実体がなく空虚であるという。「色」は、目に見えるもの、形づくられたものという意味で、それらは実体として存在せずに時々刻々と変化しているものであり、不変で実体はなく、すなわち「空」である。「空」は、存在する宇宙のすべての物質や現象の根源には目には見えないが、エネルギーがあり、宇宙に存在するすべてのものはこのエネルギーが形を変えているものであるとする。これは相対性理論であり、この世に絶対は無く、全ては相対で「空」であることが知られていたのである。

 

摩訶般若波羅蜜多心経

観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識亦復如是。舎利子。是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。無無明・亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。無苦・集・滅・道。無智亦無得。以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃。三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。故説、般若波羅蜜多呪。即説呪曰、羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶。般若心経

 

觀自在菩薩、深般若波羅蜜多を行じし時、五蘊皆空なりと照見して、一切の苦厄を度したまえり。舎利子、色は空に異ならず、空は色に異ならず。色はすなわちこれ空、空はこれすなわち色なり。受想行識もまたまたかくのごとし。舎利子、この諸法は空相にして、生ぜず、滅せず、垢つかず、浄からず、増さず、減ぜず、この故に、空の中には、色もなく、受も想も行も識もなく、眼も耳も鼻も舌も身も意もなく、色も声も香も味も触も法もなし。眼界もなく、乃至、意識界もなし。無明もなく、また、無明の尽くることもなし。乃至、老も死もなく、また、老と死の尽くることもなし。苦も集も滅も道もなく、智もなく、また、得もなし。得る所なきを以ての故に。菩提薩埵は、般若波羅蜜多に依るが故に心に罣礙なし。罣礙なきが故に、恐怖あることなく、一切の顚倒夢想を遠離し涅槃を究竟す。三世諸佛も般若波羅蜜多に依るが故に、阿耨多羅三藐三菩提を得たまえり。故に知るべし、般若波羅蜜多はこれ大神咒なり。これ大明咒なり。これ無上咒なり。これ無等等咒なり。よく一切の苦を除き、真実にして虚ならず。故に般若波羅蜜多の咒を説く。すなわち咒を説いて曰わく、羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提娑婆訶 般若心經

 

 

強と弱



肉体の強者と弱者もいれば、精神の強者と弱者もいる。強い肉体を持つものは強い精神を持っているとは限らない。弱い肉体を持つものは弱い精神を持っているとも限らない。弱肉強食の世ではあるが、強いものが必ず勝つとも限らない。この世は強者のみで成り立っている訳ではなく、強者もいれば弱者もいる。肉体的に劣っていても、精神的に優位であれば勝てるときがある。肉体と精神のバランスが必要である。現代社会は肉体的なものより、精神的な情報の弱肉強食の世ではある。肉体労働者よりも頭脳労働者、ブルーカラーに対して、ホワイトカラーが優位であり、肉体労働者が精神的な頭脳労働者に使われ管理されている社会である。管理社会によって、人の肉体と精神のバランスが崩れているのである。現業系や技能系の職種が作られ、肉体労働者は「低学歴でもできる仕事」「勉強ができないために仕方なく体を使って働く人間」という差別支配によって管理されている。

 

現代は労働の分化により、肉体労働と精神労働に分けられ、ますます人の肉体と精神のバランスが崩れていく。支配者と被支配者、生産労働で生活する者と、余剰生産物で生活する者とに、階級の分化が極端に進んでいる。それは既に予測されていた社会であり、この腐敗した社会は崩壊し、より高度な無階級社会である共産主義社会へ移行するとされていた。その予測は今や完全に崩れ去った。強い資本主義が、弱い共産主義を駆逐している。資本家と労働者の対立は隠蔽され表立っていないが、階級の分化としての支配者と被支配者の関係は、1パーセントの裕福層と99パーセントの貧困層として格差社会が出現している。少数の強者と多数の弱者の社会的不平等の社会であり、支配の強化である。その格差のレベルは、封建時代に匹敵するとされていて、格差社会は定着し、貧しき者は貧しいままで、裕福な者は益々裕福になっていく。

 

正規雇用と非正規雇用なる労働形態が生み出され、どちらも被支配者の労働者であるにもかかわらず、正規が勝者で非正規が敗者なる差別意識が助長され、労働者同士の対立と差別によって格差と支配が強化され、さらに進行している。格差は既に頂点に達し、この社会は歪み、腐敗し、堕落してストレスによる精神の崩壊を招いている。この狂気の社会の中で狂気する者は弱者になり、狂気社会を進める者が強者になるという歪んだ社会が隠蔽され、陰で進行している。格差が生み出す社会全体の不安定化・閉塞感によって少子高齢化が進んでいるが、経済崩壊まで格差社会は先鋭化されていくのだろう。誰が勝者で誰が敗者かは知れず、誰が強者で、誰が弱者かは、何時か決着が着くかも知れないが、この歪んだ社会は何時かは崩壊していくのだろうが、狂気する崩壊過程での醜い争いは避けられない。支配者からの差別洗脳が深まるが被支配者同士の対立と差別だけは避けなくてはならない。

 

 

厚と薄



短小軽薄の世である。薄っぺらい世である。薄さがもてはやされ、人までが薄くなって軽薄な人が闊歩する。軽薄な感情、軽薄な思考、軽薄な思想が世に溢れかえっている。奥行きのない ・ 平板な ・ 薄っぺらい ・ 奥深さのない ・ 浅薄な ・ 浅い ・ 深みのない ・ 上滑りした ・ 表面的な ・ 軽々しいのであり、人として味気無く奥行きが無く面白くないのである。致し方ない面もあり、この社会が短小軽薄の人を大量生産してきた結果なのである。支配にとって、難しく考える人よりも浅薄に考える人のほうが現状を受け入れやすく、支配しやすいのである。ネット社会が更に短小軽薄の社会に拍車をかける。短く薄い言葉しか理解できず、長く難しい言葉はダサイのである。一見平和な世ではあることは確かだが、薄い人は薄情であり、冷酷でもある。薄い思想は差別的であり、薄いから厚さと深さを知らず短絡的である。身の回りの出来事しか理解できない。

 

知性が劣化している世である。脳内停止の世である。考えて生きていくには辛い世である。考えなくても生きていける世でもある。それぞれの人の人生は経験の積み重ねであり、経験された内容によって、人生を厚く生きているのか、薄く生きているのかが違ってくる。何かを考え、計画し、行動し、実行するには、人の持つ脳内思考による発想力や創造力のエネルギーが必要だ。この世の全てがエネルギーであり、人の思考もエネルギー原理のなかに存在している。エネルギーの質によって、創造される現象も違ってくる。厚い人生と薄い人生は人それぞれの相対的エネルギーの形成と蓄積にある。生物多様性はエネルギーの多様性であり、思考の多様性である。多くの事象の形成という膨大な試行錯誤の大海なかで、一滴の進化に必要な優れた質の良いエネルギーが創造される。エネルギーの進化過程のなかに漂う生々流転の人生と呼ぶべきエネルギーの流れのなかに日々生きている。

 

この世に存在し、空間を埋め尽くしているとされるダークマタ―という物質の存在は科学的に立証はされていないが、空気とは違う何かによって満たされているように感じる。色即是空の「空」は無ではなく、存在する宇宙のすべての物質や現象の根源には目には見えないが、エネルギーがあり、宇宙に存在するすべてのものはこのエネルギーが刻々形を変えているものであるとする。エネルギーが「空」であり、「空」から生み出される形象が「色」と解釈されるという。まさにダークエネルギーの存在を暗示する。この世は、今だ解明されずに見ることは出来ないが、厚いエネルギーに満たされ、そのエネルギーは相互作用である共鳴と共振によって、物としての形を変えている。人の持つエネルギーはダークマタ―という物質によって伝わる。テレパシーとか念動力とか瞬間移動とかの、人の持つエネルギーによる解明されていない能力が、進化過程によって実証される日が来るのかもしれない。

 

 

明と暗

 

見るからに明るい人と暗い人がいる。人生は明と暗に分かれるという。明るい顔をした暗い人もいれば、暗い顔だが明るい人もいる。人生の全ては相対的に表現されている。観る意識によって捉え方が異なってくる。明るいものを好む人もいれば、暗いものを好む人もいる。人それぞれである。明るい昼と暗い夜があり、その狭間の時空間の中に、人は明と暗の感性をもって生きている。「夜へ急ぐ人」のかんかん照りの昼は怖い、正体あらわす夜も怖いという言葉は、人の本能として受け継がれてきた感性を言い当てている。明と暗は過ぎると恐怖に変わるのである。

 

夜へ急ぐ人

 

作曲:友川かずき 

作詞:友川かずき

 

夜へ急ぐ人が居りゃ

その肩 止める人も居る

黙って 過ぎる人が居りゃ

笑って見てる 人も居る

かんかん照りの昼は怖い

正体あらわす夜も怖い

燃える恋程 脆い恋

あたしの心の深い闇の中から

おいで おいで

おいでよ する人 あんた誰


にぎやかな 夜の街角で

かなわぬ夢の別れいくつ

勇気で終わる 恋もありゃ

臆病で始まる恋もある

かんかん照りの昼は怖い

正体あらわす夜も怖い

燃える恋程 脆い恋

あたしの心の深い闇の中から

おいで おいで

おいでよ する人 あんた誰


人も自然環境に左右されて暮らしてきたし、有史以前から人は明るい昼に活動し、暗い夜は寝るという日常リズムを繰り返してきた。これ以上何を望んで生きていこうとしているのか。お金を得るために人としての生きるリズムを崩している。この社会では、多くのお金を得れば明るく、お金がなく貧しければ暗いのだろうか。お金によって明と暗の境目ができるのは虚しいし、明と暗の感情は脆く移ろいやすい。人のもつ表面的な明るさと暗さと内面的な明るさと暗さをは自らしか理解できない。心の深い闇は、いつしか狂気として表面化し、理解しようとする理性が、理解できない感情によって破綻する時がある。


明と暗もまた相対的である。明るさが無ければ暗さもなく、暗さが無ければ明るさもない。日々全ての時空間は変化し、確定できるものなど何一つないことが、相対性理論が示している。宇宙に存在するブラックホールは深い闇に例えられるが、物質も光も飲み込む暗闇の先に何が存在するかは解明できていない。知らない高次元の世界が存在しているのだろうか。この世界はパラレルワールドであり、人それぞれの世界が多重的に絡み合い存在している。それぞれがもつ生命エネルギーによって一つの時空間が変化し変形しながら進化し、いつしかブラックホールに全てが吸収される時が来るまで、明と暗の世界が存在し続けていく。


 

有と無

 

有限と無限の世界。身の回りの小さな有限の意識の世界と、宇宙に広がる広大な無限の意識の世界が存在する。人は有意識と無意識の狭間のなかで生きている。有るようで無く、無いようで有る。全てが有耶無耶である。この世は有名無実が闊歩する。反対の無名有実は少ない。 有り金を使い果たし無一文で、おけらになるもまた一興。無事は有事の如く、有事は無事の如く。

 

賢は賢なりに、愚は愚なりに

一つのことを何十年と継続していけば、

必ずものになるものだ。

別に偉い人になる必要はないではないか。

社会のどこにあっても、

その立場立場においてなくてはならぬ人になる。

その仕事を通じて、世のため、人のために貢献する。

そういう生き方を考えなければならない

ー安岡正篤活学一日一言ー

 

  自処超然(自ラ処スルコトチョウゼン)

  処人藹然(人ニ処スルコトアイゼン)

  有事斬然(有事ザンゼン)

  無事澄然(無事チョウゼン)

  得意澹然(得意タンゼン)

  失意泰然(失意タンゼン)

ー陽明学六然訓ー

 

有効と無効の判断は自らの意志によるが、この社会は法によって判断される。法は秩序維持のためであり、人が作ったものである以上、支配の道具と化す。有罪と無罪によって人の行為が判断される社会である。

 

有情と無情の感情。有情は感情や意識など、心の動きを有するものであり、無情は、いつくしむ心がなく思いやりのないことである。人は有情と無情の狭間のなかに漂い生きている。時には非情である。

 

有無とは、存在と非存在。仏教では存在するものはすべては一時的な仮のものであり,諸条件によって生滅するものであるから,存在それ自体に不変常住な固定的実体はないという。

 

無常とは、この現象世界のすべてのものは生滅して、とどまることなく常に変移しているという。東洋思想の無常観を宿す東洋人には、絶対的なものを求める西洋思想は馴染まない。

 

無知であることは先入観や偏見から自由であることをも意味する。知らないことを知っていると考えるよりも、知らないことは知らないと考えるほうが優れている。

 

苦しみの原因は無明より始まり、老死で終わるとされる、それぞれが順序として相互に関連する12の因果の理法をいう。無常苦の中を行き続ける自己を見つめることで、喜と楽による幸福の儚(はかな)さを物語る。

 

十二支縁起

 

無明 - 明るくないこと。迷いの中にいること。

行  - 志向作用。物事がそのようになる力=業

識  - 識別作用=好き嫌い、選別、差別の元

名色 - 物質現象(肉体)と精神現象(心)。実際の形と、その名前

六処 - 六つの感覚器官。眼耳鼻舌身意

触  - 六つの感覚器官に、それぞれの感受対象が

           触れること。

受  - 感受作用。六処、触による感受。

愛  - 渇愛。

取  - 執着。

有  - 存在。生存。

生  - 生まれること。

老死 - 老いと死

 

 

表と裏

 

この世は観える表の世界と観えない裏の世界が表裏一体で存在している。表の表情から窺い知れない裏の感情。人は視力の判断と知力の判断が表裏一体で作用し、観ることのできない世界を知ろうとする知力が具わっている。物質現象(肉体)と精神現象(心)の狭間の中に、仮想現実と実体現実が相互作用しながら、相対的思考過程が生み出す時空間エネルギーの速度と方向と質量を決定している。3次元物質に必ず表と裏が有るように、多次元精神にも表と裏が在る。精神が創り出す世界はパラレルワールドであり、多次元世界である。

 

表社会の欺瞞から裏社会の真実は観えてこない。表の理解は裏の探求から生まれる。表の見栄えばかりを気にしていると、裏の構造が疎かになる。この世の全ては表が在り、裏が在る。裏を知り、表を知る。表から裏が透けて見える。裏から表に滲み出る。表の感情に潜む裏の感情。表裏一体の構造を把握するには、高度な感性と知性を必要とする。六処六触の感受性から創造される名色の物質現象の肉体と精神現象の心が生み出す表裏一体の世界。強靭と脆弱を併せ持つ人の肉体と精神の相対性による、核心なき無常の心象風景が表裏一体で漂っている


表に現れる情報と裏に潜む情報。表の意図と裏の意図。表の表情と裏の感情。裏を理解できないと表は解らない。隠された裏の意志と現れる表の現象。人は表と裏を使い分ける。表の嘘と裏の真実。人は表情から感情を理解しようとするが、表情から感情の全てを理解できない。人は感情を表情によって表現しようとするが、感情は表情で全て表現できない。人の持つ感情は奥深く、表が在り、裏が在る。愛があれば憎しみがあり表裏一体である。


三字経「曰喜怒、曰哀懼、愛悪欲、七情具」

  1. 懼 (おそれ)
  2. 愛 (いとしみ)
  3. 悪 (にくしみ)

 

オンとオフ

 

人のもつ脳による認識は、機械のようにオンとオフを繰り返している。オンによって観ることができ、オフによって観ないようにする。オンとオフの基準は人によって様々であり多様である。多様なる意志によって、肉体と精神がもつスイッチを、自らが選択することでオンとオフを制御している。人の肉体構造は精密な機械であり、指令と制御を司る脳と、動きと行動を司る身体機関と、エネルギーを生成する内蔵機関を備えている。この構造と機能は生命体の神秘であり、その生成理由と存在意義は謎であるといえる。人はオンとオフの制御機能を持つことによって安定した精神状態を維持できているが、有効に制御機能が働かなくなった時に、人は暴走し狂気する。



多くの人の制御基準は社会規範なる常識が創り出している。人の生き方が電脳社会に於けるコンピューターのプログラミングの如く、全てが制御され画一的で機能性のみが求められる。支配のプログラミングによって制御されているこの社会にオンしていることからオフすることは難しい。マトリックスの住民のように、制御されていることさえも認識できない。虚構の健全さよりも実体の廃退を好む。この廃退した社会の中で健全であることの方が異常なのである。画一化された制御社会から解放されたオフグリッドライフを確立することは、異端でありマイノリティになり、差別されることを覚悟しなくてはならない。

 

サイレント・マジョリティのもつ隠蔽された意志によって、静かであるが異様なる雰囲気が形成される。この社会は人のもつ果てしなき欲望というエネルギーに突き動かされながら、不安定な状態で流動している。この世を形成する全ての時空間エネルギーの相互作用によって空間ベクトルの方向が決定される如く、人のもつ認識の基準となる感性による選択は、自らの存在理由を問う自由意思によって、エネルギーの方向を決定する。この世は生命体のもつエネルギーが創り出す連続する仮想空間であるとする認識を持つならば、自由意思によって仮想空間のなかに、自らのオフグリッドなる空間を確立しなければならない

 


インとアウト




 

携帯発電機-1

 

「The PowerPot X」


水と火だけでタブレットも充電できるポータブル10W発電機「The PowerPot X」

 

http://gigazine.net/news/20131206-the-powerpot-x/

 

 


 

携帯発電機-2

 

「バイオライトキャンプストーブ」

 

薪を燃やしてスマホを充電しながらお湯も沸かせる小型のアウトドア用発電機「バイオライトキャンプストーブ」

 

http://gigazine.net/news/20120717-biolitestove/

 

 

 

携帯発電機-3

 

「Blue Freedom」

 

世界最小の水力発電装置「Blue Freedom」

キャンプなどで近くの川にこの装置を設置すれば、スマートフォンなどを充電できる。

 

http://matome.naver.jp/odai/2143125639591831701

 


 

携帯発電機-4

 

「M.A.R.S.」


風力発電システム M.A.R.S.

巨大なプロペラ型の風車を多数設置する現在の風力発電よりも大きな電力を得られる、新発想の風力発電システム。


http://rj3sp.blogspot.jp/2010/11/mars-magenn-air-rotor-system-floating.html


 

 

 

携帯発電機-5

 

「Windbelt」

 

Windbelt これは小規模な風力発電で、10mphの風で40ミリワットの電力を生成し、コストはわずか数ドルです。


http://www.physics.org/featuredetail.asp?id=47

 



携帯発電機-6


「Honeywell」


Honeywell 風力タービンは小型で軽量のギアのないシステムです。

従来の風力タービンと同じようなギアがありません。代わりに、ブレードの先端についた磁石が電力を生成します。


http://www.ecofriend.com/ja/868.html


 

 

携帯発電機-7

 

「The Saphonian」


The Saphonianは、羽根やハブ、変速装置が必要ないのでコストは

ほぼ半分。しかも発電効率も2倍だそうです。

チュニジアのSaphon Energyという会社が、400年前の羽をまわす形式から全く変わっていない風力発電の方式を刷新し、新しい風力発電システムを商品化までこぎつけようとしています。


http://greenz.jp/2012/08/21/saphonian/


 

 

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「nPower PEG

 

nPower PEGのPEGとは「personal energy generator(パーソナル発電機)」のことだ。中身は、ウエイト(おもり)、スプリング、誘導コイルとバッテリーでできている。携帯した人間が動くと、おもりが上下して発電し、内蔵バッテリーに電気が蓄えられる仕組みだ。

 

http://wired.jp/2012/10/05/this-charger-is-made-for-walking/

 

 

 

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ErockIt

 

足で漕いで蓄電する最大時速80キロの電動アシスト自転車 ErockIt

この自転車は、足で漕ぐとバッテリーが充電され、同時に電動モーターが動力をアシストしてくれる電動アシスト自転車。

 

https://de.wikipedia.org/wiki/ERockit

 

 

 

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「ポータブル風力発電機2」

 

サンコーは、自転車やバイクに取り付けられる風力蓄電器「ポータブル風力発電機2」を発売した。価格は4980円(税込)。

自転車やバイクなどで受ける風を活用して発電し、市販の単三形ニッケル水素電池(付属せず)を充電できるアイテム。


http://www.thanko.jp/product/6619.html

 

 

 

携帯発電機-11

 

「Cappa」

 

大人2人で持ち運べ、川や水路などの水流に沈めるだけで発電できる軽水力発電機「Cappa(カッパ)」

 

http://www.kankyo-business.jp/news/007735.php

 


 

携帯発電機-12

 

「Hydrobee」


Hydrobeeの本体は、川の中に置いておくか、走行するボートからつるしておくと、水流の速度が時速4マイル以上(毎秒1.8メートル)なら2時間から4時間で、この装置の専用電池を完全に充電する。


http://jp.techcrunch.com/2013/11/23/20131122hydrobee/



 

携帯発電機-13

 

「The Archimedes windmill」


従来の風力発電機の発電効率は25%~50%ですが、アルキメデスの風力発電装置は最大で80%の発電効率を誇り、従来品の3倍以上の発電を行います。さらに直径が1.5m、重さが75kgと非常に小型で軽量。さらにブレードが螺旋構造で独特な形をしており、この形状によってブレードノイズと呼ばれる風力発電で問題となる騒音を出すことがありません。


http://commonpost.info/?p=94556


 

 

携帯発電機-14

 

「DualWingGenerator」

 

「DualWingGenerator」と名付けられたこの風力発電システムは、スマートバードというFesto社が開発した鳥ロボットの翼のアイデアが応用されています。装置には鳥の翼のような羽が付いており、風が当たると上下に動いて電気を生み出す構造となっています。羽に風が当たると揚力によって上下に動き、この上下運動のエネルギーがモーターを介して電気に変換されます。

 

http://commonpost.info/?p=90603

 

 

 

携帯発電機-15

 

「Invelox」


「Invelox」は、通常のブレードを回転させる風力発電システムとは異なり、風をタワーで取り込んで風力を増加させ、その力でタービンを回すというシステム。高い位置に設置された吸風口は全方向に開かれており、風をキャッチ。送り込まれた風は徐々に狭まっているチューブを通る課程で「ジェット効果」が発生し、空気の流れは爆発的に上昇します。この強い風によってタービンを回転させて発電します。


 

 

携帯発電機-16

 

「InStep NanoPower」

 

InStep NanoPowerは靴底に発電装置を装着し、走るだけで発電する。


http://www.hongkiat.com/blog/extraordinary-smartphone-chargers/

 

 

 

携帯発電機-17

 

「HYmini」

 

手のひらサイズのソーラーパネルと風力発電機からなり、どちらか一方を使用することも、両方同時に利用することも可能。ソーラーパネルは0.7ワット、風力発電機のほうは1ワットの発電能力があり、ポータブルデバイスのほとんどが採用している5V電源を供給する。

 

http://greenz.jp/2009/02/26/hymini/

 


 

携帯発電機-18

 

Suckerfish


コバンザメのように、車体にくっつき風力発電する懐中電灯“Suckerfish”

ジェットエンジンのような形をした“Suckerfish”は、その名の通り“コバンザメ”のように車体にくっつき風力発電する懐中電灯である。使い方は簡単、車体上部や側面に取り付けて走るだけ。内蔵したプロペラで風力発電された電力はバッテリーに蓄電され、懐中電灯として機能する。


http://irorio.jp/hayashihiroyuki/20140114/102260/


勝手創千界への

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2013年

6月

09日

勝手創千界から世界へ

この世界が持つ多くの問題への解決は待っていては果たせない

より良き社会を目指して我が「勝手自由なる提案」を創り上げていく

そして「勝手創千界」の描く世界から解決に向けての一歩を踏み出す

10 コメント

2013年

1月

01日

勝手にエネルギー論を構築する

人類の行く末は「エネルギー」を如何に獲得していくかである。

日本の社会も経済も「エネルギー問題」の解決抜きには語れない。

6 コメント

2012年

10月

02日

新しいエネルギー開発に向けて

「水危機」と「エネルギー危機」が目前に迫っている。この二つの「危機」だけでも「人類の生存基盤」の危機である。 一刻も早く、地球と人類にとって安全・安心な「自然エネルギー」「再生可能エネルギー」の開発が求められている。

10年、100年先の「危機管理」として、今から行動しなければ遅いことは明白だ。

「消費社会」から「循環社会」「持続可能社会」「自然共生社会」「エネルギー自立社会」へ向けての「意識改革」と「構造改革」が重要である。

7 コメント

2012年

7月

08日

新しい日本改造に向けて

国の言う「国民のための判断」が本当でないことが明らかにされているいま

国民の持つ価値観として、何が大事で何が大事でないかという判断や、ものごとの優先順位づけ、ものごとの重み付けの体系の価値判断から、3.11震災を契機にした「新しい価値観」と「国民全体の幸福度」についての「提言」が、いまこそ日本に必要である。

10 コメント

2012年

6月

04日

勝手に発想法を研究する

差し迫る「少子高齢化の縮小社会への突入」「産業の空洞化」「エネルギー問題」「雇用問題」「財政問題」等々・・・日本社会が抱える問題は多岐に渡るが、政治や行政や官僚に「問題解決能力」の欠如が著しい。

さらに日本の技術を支える産業界や学界の「研究開発機関」においても「劣化」が進んでいる。

今こそ「フロンティア精神」と「新しい発想」が連動して「革新的なイノベーション技術」を生み出していくことが必要だ。

6 コメント

2012年

5月

01日

自然エネルギーと共に生きる

日本の自立と未来を切り開くためには、日本の国土に適合した再生可能エネルギーの社会が必要であり、最先端の日本技術を結集して「世界に誇れる日本」を創っていかなければならない。

15 コメント

2012年

4月

07日

勝手創千界から「尊敬される日本」へ

まず、現状のまま進行した100年後の日本の未来を想定し、その想定社会状況から、今必要な「方策」を考えてゆく視点が必要ではないかと思っています。新しい視点が必要です。

「勝手創千界」による「勝手な発想」が「脳内停止」状態の人々に「インパクト」を与えなくてはいけません。

13 コメント

2012年

3月

11日

3.11震災から海上都市計画へ

3.11震災を契機として、日本という国家のもつ様々な問題点が明らかにされ、新しい国家像が求められている。たぶんこのままでは、さらに日本の解体状況は進んでいくだろう。ラブーン海上都市計画がひとつの方向性を提示できればと思う。

8 コメント

2012年

2月

19日

勝手に復興計画 in 石巻を提案

3.11震災からの新しきまちづくりとして「勝手に復興計画 in 石巻」を発進いたします。

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2011年

12月

31日

ホームページ開設

3.11震災以降、如何にすれば「津波につよいまち」が可能なのか?考えてきました。

その「ひとつの答え」を提示できればと思います。実現に向けて多くの人の意見を求めています。

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