レオナルド・ダ・ヴィンチに憧れて

 

レオナルド・ダ・ヴィンチに憧れて-1

 

ダ・ヴィンチといえば、日本では「モナ・リザ」「最後の晩餐」が知られ「画家」として有名です。何十年か前にNHKの連続ドラマで「レオナルド・ダ・ビンチの生涯(1972)」が放映されていた。今でも忘れない「ダ・ヴィンチへの憧れ」を持っています。それは人の持つ「知性」に対する「憧れ」です。

 

「レオナルド・ダ・ヴィンチ」の考察の中で、今必要な「知性」について考えていきたい。

 

 
トリノ王宮図書館が所蔵するレオナルドの自画像。1513年 - 1515年頃

 

「多くの人々がそれぞれに優れた才能を持ってこの世に生を受ける。しかし、ときに一人の人間に対して人知を遥かに超える、余人の遠く及ばない驚くばかりの美しさ、優雅さ、才能を天から与えられることがある。霊感とでもいうべきその言動は、人間の技能ではなく、まさしく神のみ技といえる。レオナルド・ダ・ヴィンチがこような人物であることは万人が認めるところで、素晴らしい肉体的な美しさを兼ね備えるこの芸術家は、言動のすべてが無限の優雅さに満ち、その洗練された才気はあらゆる問題を難なく解決してしまう輝かしいものだった。」

ジョルジョ・ヴァザーリ『画家・彫刻家・建築家列伝』

 

レオナルド・ダ・ヴィンチ

 

 (伊: Leonardo da Vinci、1452年4月15日 - 1519年5月2日(ユリウス暦))はイタリアのルネサンス期を代表する芸術家。本名はレオナルド・ディ・セル・ピエーロ・ダ・ヴィンチ (Leonardo di ser Piero da Vinci) で、絵画、彫刻、建築、音楽、科学、数学、工学、発明、解剖学、地学、地誌学、植物学など様々な分野に顕著な業績を残し、「万能人 (uomo universale)」 などと呼ばれている。

レオナルドはルネサンス期を代表する博学者であり、「飽くなき探究心」と「尽きることのない独創性」を兼ね備えた人物といわれている。史上最高の画家の一人とされているとともに、おそらくは人類史上もっとも多才な人物である。アメリカ人美術史家ヘレン・ガードナー (en:Helen Gardner) は、レオナルドが関心を持っていた領域分野の広さと深さは空前のもので「レオナルドの知性と性格は超人的、神秘的かつ隔絶的なものである」とした。しかしながらマルコ・ロッシは、レオナルドに関して様々な考察がなされているが、レオナルドのものの見方は神秘的などではなく極めて論理的であり、その実証的手法が時代を遥かに先取りしていたのであるとしている。

 

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レオナルド・ダ・ヴィンチに憧れて-2

 

これまでの人類史上、生まれてきた何百億の人間のなかで「飽くなき探究心」と「尽きることのない独創性」を兼ね備えた人物が輩出する確率はとても低い。

 

500年前の中世イタリア生まれのレオナルド・ダ・ヴィンチは数少ない傑出した人間であろう。それは残された「手稿」から読み取れる。

  

 

 『ウィトルウィウス的人体図』、1485年頃、アカデミア美術館(ウィーン)

レオナルド・ダ・ヴィンチ手稿

 

ルネサンス人文主義では、科学と芸術をかけ離れた両極端なものとは見なしてはいなかった。レオナルドが残した科学や工学に関する研究も、その芸術作品と同じく印象深い革新的なものだった。これらの研究は13,000ページに及ぶ手稿にドローイングと共に記されており、現代科学の先駆ともいえる、芸術と自然哲学が融合したものである。手稿には日々の暮らしや旅行先でレオナルドが興味を惹かれた事柄が記録されており、レオナルドは自身を取り巻く世界への観察眼を終生持ち続けた。

レオナルドの手跡はほとんどが草書体の鏡文字で記されている。この理由としてレオナルドの秘密主義によるものだとする説もあるが、単にレオナルドが書きやすかっただけだとする説もある。レオナルドは左利きであり、右から左へと文字を書くほうが楽だったと思われる。

 

レオナルドの手稿とそのドローイングには、レオナルドが興味と関心を持ったあらゆる分野の事象が書かれている。食料品店や自身の召使いの一覧といった日常的なものから、翼や水上歩行用の靴の研究にいたるまで、極めて幅広いジャンルにまたがっている。そのほか、絵画の構成案、詳細表現や衣服の習作を始め、顔、感情表現、動物、乳児、解剖、植物の習作や研究、岩石の組成、川の渦巻き、兵器、ヘリコプター、建築の研究などが手稿に書かれている。

 

科学に関する手稿

 

レオナルドの科学への取り組み方も観察によるものだった。ある事象を理解するために詳細な記述と画像化を繰り返し、実験や理論は重視していなかった。レオナルドはラテン語や数学の正式な教育を受けておらず、独力でラテン語を習得したものの、当時の多くの学者からは科学者であるとは見なされていなかった。1490年代にレオナルドはルカ・パチョーリのもとで数学を学び、1509年に出版されることになるパチョーリの『神聖比率』の挿絵に使用する版画の下絵として、正多面体骨格モデルのドローイングを複数描いている。残された手稿の内容から判断すると、レオナルドはさまざまな主題を扱った科学論文集を出版する予定だったと考えられる。平易な文章で書かれた解剖学を扱った手稿は、枢機卿ルイ・ダラゴンの秘書官がフランスを訪れていた1517年に実施された解剖を、レオナルドが見学した体験から書かれているといわれている。弟子のフランチェスコ・メルツィが編纂した解剖学、光や風景の表現手法に関するレオナルドの手稿が、1651年にフランスとイタリアで『絵画論 (Trattato della pittura)』(ウルビーノ手稿とも呼ばれる (en:Codex Urbinas))として出版された。1724年にはドイツでも出版されている。『絵画論』がフランスで出版後50年間で62版まで版を重ねたこともあって、レオナルドは「フランス芸術学教育者の始祖」と見なされるようになっていった。科学分野でレオナルドが行った実験は当時の科学理論に適ったものだったが、物理学者フリッチョフ・カプラのようにレオナルドを徹底的に追求した研究者たちは、後世のガリレオ・ガリレイ、アイザック・ニュートンといった科学者たちと比べると、レオナルドは本質的に全く別種の研究者であるとし、レオナルドの科学的理論と仮説は芸術、とくに絵画と一体化したものだったと主張している。

 

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レオナルド・ダ・ヴィンチに憧れて-3

 

ダ・ビンチの精密に描かれたドローイングを見ると世界をみる観察眼と世界を理解しようとする知性が感じられる。並外れた表現力によって世界を理解するダ・ビンチに憧れる。

 

 

 

腕骨格の研究手稿、1510年頃

 

解剖学に関する手稿

 

レオナルドが人体解剖学の正式な教育を受け始めたのは、ヴェロッキオの徒弟時代のことで、これは師のヴェロッキオが弟子全員に解剖学の知識の習得を勧めたためである。レオナルドはすぐに画家にとって必要とされる局所解剖学の知識を身につけ、筋肉、腱など、人体の内部構造を描いた多くのドローイングを残している。

著名な芸術家だったレオナルドは、フィレンツェのサンタ・マリーア・ヌオーヴァ病院 (en:Hospital of Santa Maria Nuova) での遺体解剖の立会いを許可されており、さらに後にはミラノとローマの病院でも同様の立会いを許されている。レオナルドは1510年から1511年にかけてパドヴァ大学解剖学教授マルカントニオ・デッラ・トッレ (en:Marcantonio della Torre) とともに共同研究を行った。レオナルドは200枚以上の紙にドローイングを描き、それらの多くに解剖学に関する覚書を記している。レオナルドの死後、これらの手稿を受け継いだ弟子のフランチェスコ・メルツィが出版しようとしたが、手稿の言及範囲の広さとレオナルド独特の筆記法のために作業は困難を極めた。結局メルツィの存命中には出版することができず、メルツィの死後50年以上にわたって作業は放置されてしまった。結局、1651年に出版された『絵画論』にも含まれることになる、解剖学に関する僅かな手稿のみが、フランスで1632年に出版されただけとなった。メルツィはレオナルドの手稿を出版するにあたってその編纂を任されていた時期に、多数の解剖学者や芸術家たちがレオナルドの手稿を研究しており、画家のヴァザーリ、チェッリーニ、デューラーらが、この手稿の挿絵をもとにした多くのドローイングを描いている。

レオナルドは筋肉や腱などと同じく、人体骨格を扱った手稿も多数制作している。骨格と筋肉の機能に関するこれらの研究は、現代科学でいうバイオメカニクスの初歩にも適用可能な先駆的研究ともいわれている。レオナルドは心臓や循環器、性器、臓器などの手稿も残しており、胎児を描いた最初期の科学的なドローイングを描いている。芸術家としてのレオナルドは綿密な観察によって、加齢による影響、生理学的観点からみた感情表出を記録し、とくに激しい感情が人間に及ぼす影響について研究した。また、顔部に奇形や罹病跡をもつ人物のドローイングも多数描いている。

レオナルドは人間だけではなく、解剖に付されたウシ、鳥、サル、クマ、カエルといった動物の解剖画も手稿に描いており、人間との内部構造の違いを比較している。また、ウマに関する手稿も多く残している。

 

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レオナルド・ダ・ヴィンチに憧れて-4

 

「芸術と自然哲学の融合」の世界が500年前の中世ルネサンス社会を創り出していた。取り巻く自然環境と鋭い分析を表現する芸術がダ・ヴィンチのパンセ(思考)のなかで一体化する。

 

 

 

 オーニソプターの概念図、1488年頃、フランス学士院

 

工学と創案に関する手稿

 

存命時のレオナルドは工学技術者としても評価されていた。ミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァに宛てた書簡で、レオナルドは自らのことを都市防衛、都市攻略に用いるあらゆる兵器を作ることができると書いている。1499年にフランス軍に敗れたミラノ公国からヴェネツィアへと避難したレオナルドは、当地で工学技術者の職を得て、都市防衛のための移動要塞を考案している。また、ニッコロ・マキャヴェッリも参画していたアルノ川流路変更計画にも、土木技術者として加わった。レオナルドの手稿には、数多くの現実的あるいは非現実的な創案があり、楽器ヴィオラ・オルガニスタ (en:Viola organista)、水圧ポンプ、迫撃砲、蒸気砲などの創案が含まれている。

1502年にレオナルドは、オスマン帝国スルタンのバヤズィト2世が構想した土木工事計画のために長さ200メートルにおよぶ橋の設計図を制作している。この橋はボスポラス海峡入り江の金角湾に架けられる予定だった。しかしながらバヤズィト2世はこのような大規模な土木工事は不可能だとして、この工事計画を承認しなかった。このときレオナルドがデザインした橋は、2001年にノルウェーで実施された「レオナルド・ブリッジ・プロジェクト (en:Vebjørn Sand Da Vinci Project) で実際に建設された。

レオナルドはその生涯を通じて空を飛ぶことを夢見ていた。1505年ごろの『鳥の飛翔に関する手稿』 (en:Codex on the Flight of Birds) などで鳥の飛翔を研究し、ハンググライダーやヘリコプターのような飛行器具の概念図を制作している。イギリスのテレビ局チャンネル4は2003年のドキュメンタリー番組『レオナルドが夢見た機械 (Leonardo's Dream Machines)』で、レオナルドの手稿に残る設計どおりにさまざまな器具を製作した。設計どおりに動作したものもあれば、全く役に立たないものまでさまざまな結果となった。 

 

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Codex Atlanticus 7 recto-a

 

Codex Atlanticus 7 recto-a

アトランティコ手稿

 

レオナルド・ダ・ヴィンチは古代ギリシアの科学者、アルキメデスの研究からも多くのインスピレーションを得ている。

例えばアトランティコ手稿f.1069rに描かれた「アルキメデスのポンプ」。これは塔のてっぺんのタンクに水を汲み上げる装置で、螺旋状のパイプを回転させて水を汲み上げる仕組みはアルキメデスによって考案されたアルキメディアン・スクリューを採用している。川の水流により回転する水車から動力を得て、自動的に作動する装置となっている。

 

 

レオナルド・ダ・ヴィンチに憧れて-5

 

ダビンチ・ノートよりー1

 

世の全ての事象を理解しようとする「知の探求」に生涯をかけた証明として、500年前のダ・ヴィンチの手稿が保存されていることに感謝しなくてはならない。

 

パリ手稿

Aの一葉で、地球を巡る水の循環について書かれたメモ。

 

宇宙(マクロコスモス)と人体(ミクロコスモス)を対比して考察しているところは、古代ギリシア・ローマ時代のピュタゴラスやウィトルウィウス等の影響が大きい。

ルネサンス期には、古代のコスモロジーを継承しつつ、宇宙全体を「マクロコスモス」と呼び、それに対してひとりひとりの人間や人間の魂・心を「ミクロコスモス」と呼んだ。それらふたつのコスモスが交流・照応している、という思想がレオナルドにも影響していることが分かる内容だ。

 

      パリ手稿Afol 55 v水の循環

 

世界に存する熱について、生命のあるところに熱あり、生命の熱あるところに蒸気の運動あり。

このことは火原素[火層圏]の熱がいつも自分のほうへ、海その他湖沼、河川、池沢殻放出された湿った蒸気、濃い霧や厚い雲を引き寄せることが認められるところから証明される。

それらの蒸気をおもむろに寒冷圏に引き上げるが、そこで最初の部分は停止する。熱と湿潤とは寒さおよび乾燥と共存しえないから。そしてこの最初の部分が停止しているうちに他の部分を迎えて、すべての部分が互いに相結合して濃い暗い雲を形作る。やがてその雲たちはしばしば風によって一つの圏から他の圏へと吹き漂わされるが、ついにそれが濃密にすぎてあまりにも重くなると激しい雨となって落下する。

しかしもし太陽の熱が火原素の力に加わるなら、雲たちはもっと高くまで引き上げられてもっと冷たいところに至り、そこでついに凍って降雹が発生することになる。さて雲から降る雨でわかるように、あんなたいへんな目方を支えている熱こそ、低いところにいる水たちを呼びさまして、山の麓から引っ張りあげ、そして山頂にしまっておくものである。するとその水たちはどこか隙間を見出して、たえまなく流れ出て河を創り出す。

人間は古人によって小世界(ミクロコスモス)と呼ばれた。確かにその名称はぴったりあてはまる。というのは、ちょうど人間が地水火風から構成されているとすれば、この大地の肉体も同様だから。人間が自分の内に肉の支柱で枠組みたる骨を有するとすれば、世界は大地の支柱たる岩石を有する。人間が自分の内に血の池、そこにある肺は呼吸するごとに膨張したり収縮したりする、を有するとすれば大地の肉体はあの大洋を有するが、これまた世界の呼吸「潮汐」によって6時間ごとに膨張したり収縮したりする。

もし上述の血の池から人体中に分枝してゆく血管が出ているとすれば、同様に大洋は大地の肉体を限りない水脈で満たしている。大地の肉体には神経[および腱]が欠けている。ここに神経のないのは、神経というものは運動のためにつくられたものであるがゆえである。だが世界は永遠に安定しているので、どんな運動も生じない。運動が生じないのだから、神経を必要としないわけである。しかしその他あらゆる点で両者は非常によく似ている。  

 

パリ手稿Afol 56 r水の循環

 

ある海の水が非常な高山の頂よりもっと高い、それゆえ水はそういう頂に押し上げられるのだと主張する若干の人々の説、水は低さに惹かれないかぎり、一地点から他の地点へと移動するものではない。

また自然のコースに従えば、最初の地点、すなわち水が山から発して明るみに出たところ、のような高所へ決して帰還することはできない。それゆえ、誤てる想像に従って君が高山の頂に流れを注ぐほど高かったと主張する海のその部分は、幾世紀かの内にそういう山脈の出口を通ってすっかり流れ尽きるべきではなかったか。

君には十分想像することができるだろう、いつもいつもティグリスやユーフラテスはアルメニアの山々の絶頂から流れ出ているが、その間に大洋の水全体が何千回となくその口を通過していると信ぜざるをえないことを。さてまた君は、ニーロ河に現に存在する水の原素全部よりもたくさんの水を海に注いだとは信じないのか。たしかにそうだ。そしてもしその水がこの大地の肉体の外へすっかりこぼれてしまったとすれば、この[大地という]機関はすでにとうの昔水なしになっていたことだろう。以上のようであるから、水は河より海へ、海より河へと行き、こうしてつねに同じぐるぐる廻り続けている。そして一切の海も河も無限回数ニーロ河口を通過したことがあると結論することができる。

 

レオナルド・ダ・ヴィンチのノートより

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レオナルド・ダ・ヴィンチに憧れて-6

 

500年前に自然力を知り、利用する方法に対する試行錯誤がダ・ヴィンチのノートから読み取れる。

 

ダビンチ・ノートよりー2

 

例えば風力を利用する技術というのは、紀元前36世紀にエジプトで灌漑に使われていたという記録が残っており、以外に歴史が古い。

1世紀にはアレクサンドリアのヘロンが、アネムリオン(風車を動力として風を送るオルガン)を設計している。

10世紀になるとペルシャでウィンドミル(製粉用風車)が発明され、十字軍やモンゴル帝国の遠征により、ヨーロッパと中国に伝えられた。

当時の風車は方位制御機構が不要な垂直軸風車だったらしく、方位制御機構を備えた水平軸風車が北西ヨーロッパに現れたのは12世紀末のことである。

レオナルド・ダ・ヴィンチのノートにも垂直型と水平型の両方のタイプの風力製粉機のスケッチが描かれている。メモの内容は製作費の見積もりについて書かれており、実際にこの風車を製作したのかも知れない。  


マドリッド手稿Ⅱ43v_風力製粉機
 

この風車は、骨組みを除くと、全部布でできている。風車の羽根は、布幅1つの横幅があり、また高さは25ブラッチョかそれ以上ある。というのも、羽根の高さを高くすればするほど、それだけ多量の風をはらむからである。羽根cdは布幅3つの横幅で、前期の羽根と尾内ほどの高さがあり、全体で布幅32であるから、ブラッチョ当り4ソルドとすると、

各6リラの計算で、27ドゥカート金貨7分の3となる。材料と労賃もほぼ同額となる。機材は8個の部品からできている。この風車は、非常に強力で、この製粉機は、二個の挽き臼を作動するほどの性能があることを承知されたい。それは強力で、どんな風によっても作動する。

 

こちらは垂直軸風車を備えた風車小屋のスケッチである。このような建物が当時のイタリアにあったのだろうか?  

 

マドリッド手稿Ⅱ55v_風車

 

風車は、風がそれを転覆させることのないように、その高さの中央において、8つの支脚nmによって支えられている。この風車のファンは、高さ20ブラッチョ、幅はリンネル布の幅一つ、つまり1ブラッチョ2分の1である。また布と心柱は半ブラッチョの太さであるから、ファンのところの直径は併せて5ブラッチョ2分の1となる。脚Smの感覚は10ブラッチョ、建物の高さも10ブラッチョであるから、風車は全体で、丁度30ブラッチョとなる。

 

レオナルド・ダ・ヴィンチのノートより

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レオナルド・ダ・ヴィンチの手稿と歴史

 

レオナルドが研究した科学や工学、芸術、人体解剖、建築の成果を記した手稿(手書きノート)は、その約3分の2が失われ、現存するものは下記3722紙葉+素描類(合計約8000ページ近く)と言われている。

これらの手稿を最も多量に所蔵するのは、ミラノのアンブロジアーナ図書館、その次はパリにあるフランス学士院であり、次がイギリスのウィンザー王立図書館、次がマドリッドの国立図書館、次がロンドンの大英博物館とヴィクトリア・アンド・アルバート美術館である。

 

<レオナルド・ダ・ヴィンチの主な手稿リスト>

・アトランティコ手稿  1119紙葉 アンブロジアーナ図書館所蔵

・パリ手稿A~M及びアッシュバーナム手稿Ⅰ~Ⅱ  1113紙葉 フランス学士院所蔵

・ウィンザー紙葉及び解剖手稿  589紙葉 ウィンザー王立図書館

・マドリッド手稿Ⅰ~Ⅱ  342紙葉

・アランデル手稿 154紙葉 大英博物館所蔵

・フォースター手稿Ⅰ~Ⅲ 298紙葉 ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館所蔵

・トリブルツィオ手稿 51紙葉 トリブルツィアーナ図書館所蔵

・鳥の飛翔に関する手稿 20紙葉 トリノ王立図書館

・レスター手稿 36紙葉 ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団所蔵

 

レオナルドは晩年になってから、フランソワ1世の庇護を受けてフランスのアンボワーズに暮らした。1517年10月のアントニオ・デ・ベアディスの記録によれば、「レオナルドの画室で3点の絵画(モナ・リザ、聖アンナと聖母子、洗礼者ヨハネ)と、解剖図や機械工学に関する膨大な手稿を見た。それらは俗語で書かれているので、もし出版されるなら、大変有益で人々の興味をひくだろう。」と書かれている。

レオナルドの手稿は、レオナルドのが他界した1519年5月2日に、弟子フランチェスコ・メルツィに遺贈された。メルツィは他の遺品とともに手稿をたずさえて家郷に帰り、ミラノ近郊のヴァプリオ・ダッタの館に収めている。

1570年にメルツィが他界した時から、手稿は散逸の歴史をたどる。ミラノ生まれのアンブロージオ・マゼンタは、ピサで法律の勉学をしていたとき、レオナルドの手稿を大量に持ち歩く不審な人物に出会う。この男はかつてメルツィ家の家庭教師をしていた人物で、メルツィ家からレオナルドの手稿12冊(1冊の単位は不明)を持ち出し、換金しようとしていた。マゼンタは男から手稿を取り上げてメルツィ家に届けたが、レオナルドの手稿に興味を持たなかったメルツィの息子オラーツィオは、それらを全てマゼンタに与えてしまう。

レオナルドの手稿を初めて意図的に集めたのは、ミケランジェロの弟子であり、スペインのフェリペ二世に彫刻家として仕えたポンペオ・レオーニである。レオーニは宮廷彫刻家としての地位を利用して、かつてメルツィ家からマゼンタに贈られた手稿を取り返させた。

レオーニは蒐集したレオナルドの素描や手稿を226紙葉からなる「レオナルド・ダ・ヴィンチの素描集」と、405紙葉からなる「レオナルド・ダ・ヴィンチの機械、秘技、その他の諸技に関する素描集」という2冊の本に分類した。主に芸術的なデッサンを集めた前者は後のウィンザー素描集であり、そして主に機械工学的なデッサンを集めた後者は、後のアトランティコ手稿である。

レオーニの死後、手稿は再度散逸する。いつ頃どのような経緯でドーヴァー海峡を渡ったかは、明らかではないが、イギリスにあるレオナルドの手稿は何れもレオーニから出ていることは確かである。チャールズ一世を初め、イギリスの富豪・貴族が美術品や貴重本を競って蒐集しており、一説ではチャールズ一世がまだ、プリンス・オブ・ウェールズだった頃、スペイン王女との縁談があってマドリッドに渡ったが、彼は王女の代わりにレオナルドの手稿を携えて帰国したとも伝えられている。

レオナルドの手稿の一部は、レオーニの弟子クレオドール・カルキを通じてマドリッドの名門ドン・ファン・デスピーナが購入。その後この2冊は行方を絶っていたが、1967年にマドリッドの国立図書館で発見された。

レオーニの編集した機械工学的な一冊は、レオーニの死後、やはりカルキの手を経て、1625年ガレアッツォ・アルコナーティ伯に売却。アルコナーティはそれをミラノに持ち帰って、他の手稿(パリ手稿やトリヴルツィオ手稿等)とともに1637年にアンブロジアーナ図書館に寄贈した。1674年にはK手稿、1790年にはD手稿が加えられ、トリヴルツィオ手稿はカルロ・トリヴルツィオの手を経て同じミラノのスフォルツェスコ城に入っているが、この後およそ150年間はアンブロジアーナ図書館に静かに保管されていた。

1796年、ミラノに進駐したナポレオンは、国宝級の文化財を「保護管理」という名目でパリに送らせており、手稿は2個の木箱に梱包されてアルプスを越え、1個は国立図書館に、もう1個はフランス学士院に届けられた。戦後、オーストリアの大使は、押収された文化財の保護管理を解き、それぞれの場所に返還することを要求したが、1815年にアトランティコ手稿のみがイタリアに返還され、他は今なおパリにある。フランス学士院に留まった手稿は、B・ベントゥーリによってAからMまでの12グループと、アッシュバーナム手稿に分類されて、今に至っている。

 

アトランティコ手稿~レオナルドの遺稿小史~裾分一弘著 ㈱文流より抜粋

 

 

レオナルド・ダ・ヴィンチに憧れて-7

  

ダ・ヴィンチの残された膨大なノート(手稿)を観ると「飽くなき知の探求」を求める人間の生き方を知ることができる。

時代を超えて人の持つ「知」の存在に触れることができる。

 

ダビンチ・ノートよりー3

  

自らを「経験の弟子」と呼び、書物や教師からではなく現実の自然から直接学ぶことを第一としたレオナルド・ダ・ヴィンチ。その鋭い観察眼で自然を研究した結果が、芸術と科学の両方におけるレオナルドの作品にも表れている。その代表的なものが「螺旋=渦巻き」だ。

レオナルドは水面に流れ落ちる水の運動を詳細に記録しており、それらの線は円環を成しつつ互いに絡み合い、自らの渦巻きの輪を作り出す力の線となっている。

 

    ウィンザー素描集_RL12660v 濠の中に落下する水

 

古代ローマの博物学者プリニウスは、この不思議な石を手にした時に古代エジプトの太陽神アモンが持つ螺旋状に巻いた牡羊の様の角を連想し、同様の石を総称してアンモーニス・コルヌア、アモンの石と呼んだ。これがアンモナイトの語源だ。アンモナイトの美しい形状には「対数螺旋」や「ベルヌーイ螺旋」と呼ばれる数学的な構造が見られるが、この構造は台風や銀河系の渦、鳥や蜂の軌道、羊の角や象の牙に至るまで、自然界の様々なところで観察される。それらの共通性についてはレオナルドも何らかのインスピレーションが働いていたのかも知れない。

 

 

レオナルド・ダ・ヴィンチのパリ手稿(1487~1490年)に描かれた最も有名なスケッチが、この「空気ねじ」だ。ヘリコプターの祖先として知られるこのスケッチは、レオナルドがミラノに居た頃(35~38歳)に描かれている。

 

 

パリ手稿B_f.83v 空気ねじ(ヘリコプター)

 

もともとは古くからある玩具(コマのようにひもで回転させて空を飛ばす竹トンボのようなもの)の原理を使って、人力で空を飛ぼうという計画である。

このデッサンの価値は、おそらく人類史上初めて人力による機械を使って空を飛ぼうというアイディアが、紙に明確に記されていることだと思う。

 

らせん型のスケッチの周辺には、この回転する翼が空気にねじ込まれて行く過程など、様々なメモ書きがある。

「らせん軸には頑丈な鉄線を使用すること」

「直径は8ブラッチャ(約4.6m)」

「スクリューには空気を通さないように、表面にでんぷんを塗った布を張ること」

「軽くするために、長くて丈夫な葦の茎を使う」

「紙の模型を作って動作実験をすること」

下部には4本のハンドルが描かれていることから、4人でこの空気ねじを回転させようとレオナルドは考えていたと思われるが、実際には人力では飛ぶことは出来なかった。模型を作れと書いていることから、何らかの実験は行っているはずだが、もしこの勢いで回転したら乗組員は遠心力であっという間に吹き飛ばされてしまっただろう。もしかすると人間は地上に残して、回転する本体だけを飛ばそうという考えだったのかも知れない。結局ヘリコプターによる飛行の成功は、400年以上後の1907年まで待たねばならない。フランスのモーリス・レジェ、ルイ・ブレゲー、ポール・コルニュらがホバリングに成功し後、1937年にベルリンでハインリッヒ・フォッケが開発したFocke-Wulf Fw61が実用化に成功。トーマス・エジソンも燃焼の反動を利用したヘリコプターを研究しているが、爆発事故が発生して研究を打ち切っている。ちなみに「ヘリコプター」の名前はギリシャ語の螺旋 (helico-) と翼 (pteron) に由来しているので、これを「ヘリコプター」と読んでしまっても良いと思う。

 

レオナルド・ダ・ヴィンチのノートより

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レオナルド・ダ・ヴィンチに憧れて-7

 

知性とは -1

 

知識は力なり

 

15世紀後半 暗黒時代と呼ばれた中世に終わりを告げ新航路の発見や印刷機の発明などで活気づくヨーロッパにはルネサンスの花が開いていました。

その発信地であるイタリアにひときわ輝く巨星が出現します。

 

- レオナルド・ダ・ヴィンチ ー

画家、建築家、音楽家、幾何学者、解剖学者、土木技師、発明家 etc. …

これら全てが彼一人の肩書きでありこの万能の巨人は、さらに地質学、気象学、天文学、都市計画などにおいても歴史的な業績を残しています。

ルネサンスの真っただ中に生まれ、誰知らぬもののない名画を生み出し時代を先取りした発明の数々で、ルネサンスに最盛期をもたらした万能の人、レオナルド・ダ・ヴィンチ。

ビューティフルワールド 18 より

 

 

「知識は力なり」は、16世紀から17世紀にかけてのイングランドの哲学者フランシス・ベーコンの主張に基づく格言である。

 

第1は、1597年に書かれた随想 "Meditationes Sacræ. De Hæresibus" (『聖なる瞑想。異端の論について』)においてであり、そこでは「そしてそれゆえ、知識そのものが力である」(Nam et ipsa scientia potestas est.)という文言がある。

 

第2は、1620年に書かれた彼の主著『ノヴム・オルガヌム』第1巻「警句」においてである。当該箇所を下に示す。

 

I. 自然の下僕かつ解釈者たる人間は、自然のふるまいに対する事実または思考の中に観測できた分だけを、実行・理解可能だ。これを超えては、何も知ることがないし、何も行うことができない。

 

II. 人間の素手にせよ、理解力にせよ、それだけでは、十分な結果をもたらすことは不可能だ。道具や補助器具を利用してこそ、[人間の手によって]仕事は成されるのだが、それら[助けとなる道具]は手だけではなく理解力にも必要とされている。手のうちにある道具が機能をもたらし手を導くように、精神の道具も理解力と注意力を補強する。

 

III. 人間の知識と力は一致する、というのも、原因を知らなければ、結果を生み出すこともできないからだ。自然を支配するためには、自然に仕えなければならない。思索における原因は、作業における規則に対応する。

 

IV. 仕事を成し遂げるために、人間ができる唯一のことは、自然の実体を、まとめたり、ばらばらにしたりすることだけだ。残りは、自然の性質によって、自然の内部でなされる。

(第5項以下は省略)

 

要約すると、ベーコンは、自然のふるまい(因果性でいう「結果」)を観察・思索し、そこから推測できた知識(因果性でいう「原因」)を、精神の道具として実利に用いる(人間が意図する「結果」を生み出す)ことを主張している。ベーコンは、彼以前の西洋哲学(とくにスコラ哲学)で主に用いられた演繹法ではなく、自然のしもべとして、自然に対する真摯な観測を重視した帰納法を提言しているのである。

 

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

レオナルド・ダ・ヴィンチに憧れて-8

 

知性とは -2

 

知能とは

  

知能(英: intelligence)は、論理的に考える、計画を立てる、問題解決する、抽象的に考える、考えを把握する、言語機能、学習機能などさまざまな知的活動を含む心の特性のことである。知能は、しばしば幅広い概念も含めて捉えられるが、心理学領域では一般に、創造性、性格、知恵などとは分けて考えられている。

 

 

1. 定義

 

知能には種々の定義があるが、比較的広く受け入れられているものを類型化すると、次の六つに大別される。

 

(1)抽象的思考力を重視するもの

(2)学習する能力とみなすもの

(3)新しい環境に対する適応性を強調するもの

(4)包括的に定義しようとするもの

(5)操作的定義

(6)情報処理の能力

 

(1)はターマンの「抽象的思考を行いうる程度に比例して、その人は知能的である」という定義や、スピアマンが認識の原理として掲げた経験の認知、関係の抽出、相関者の抽出の三つのなかの、関係の抽出と相関者の抽出を知能の本質とみた見解によって代表される。

 

(2)はディアボーンW. F. Dearborn(1878―?)の「学習する能力、または経験によって獲得していく能力である」という定義によって代表される。

 

(3)の定義の代表としてはシュテルンの「個人が思考を新しい要求に意識的に応じさせる一般的能力であり、新しい課題と生活に対する一般的精神的順応力である」という定義が代表としてあげられる。

 

(4)としてはストッダードGeorge Dinsmore Stoddard(1897―1981)の「困難性・複雑性・抽象性・経済性・目標への順応性、社会的価値、独創の出現を特徴とする諸活動を遂行し、かつ、精力の集中と情緒的な力への抵抗を必要とする条件下において、それらの諸活動を持続することができる能力」という定義や、ウェックスラーDavid Wechsler(1896―1981)の「目的的に行動し、合理的に思考し、その環境を効果的に処理する個人の総合的・全体的な能力」という定義があげられる。

 

(5)はボーリングの「知能検査によって測定されたもの」によって代表される。

 

(6)は1970年代以降発展してきた認知心理学に基づく考え方で、キャンベルJ. P. Campbellは、「情報処理課題を含む仕事の遂行にみられる個人差を決定する要因が一般的能力である」(1990)としている。以上に紹介した定義はいずれも知能の一面をよく示しているが、それぞれの欠点も指摘されており、いずれも完全なものとはいいがたい。1980年代以降の情報・通信技術の革命的発展に伴い、コンピュータにおける知的情報処理システムについての研究が進んでいるが、これらについては「人工知能」「認知科学」の項目を参照。

 

2. 知能の分類

 

知能を系統発生的にとらえたビオーG. Viaudは、人間と動物の行動を本能的行動と知的行動に分け、知的行動をさらに感覚運動的知能(実用的知能)と概念的・論理的知能に区分した。一方ヘッブは個体発生の見地から知能Aと知能Bとに分け、前者を知的機能の生得的潜在力とし、後者をその潜在力が環境との相互作用の結果として実現する範囲とした。また、教育心理学者ソーンダイクは具体的知能、抽象的知能、社会的知能の三つに分類した。

 

出典: yahoo百科事典[日本大百科全書(小学館)] 

 

 

レオナルド・ダ・ヴィンチに憧れて-9

 

我が心のダ・ヴィンチ

 

人類史上もっとも多才な人物と言われるレオナルド・ダ・ヴィンチの500年前の現存の絵画や手稿を観ると、「飽くなき探究心」と「尽きることのない独創性」のなかに人の持つ知性の最高峰が形づくられることを知る。

 

今とは生活様式も社会環境も大きく違っていたのだろうが、人の持つ知力は変わっていない。我が心象風景のなかで生きているレオナルド・ダ・ヴィンチに憧れて生きていく。

 

 

勝手創千界への

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2013年

6月

09日

勝手創千界から世界へ

この世界が持つ多くの問題への解決は待っていては果たせない

より良き社会を目指して我が「勝手自由なる提案」を創り上げていく

そして「勝手創千界」の描く世界から解決に向けての一歩を踏み出す

10 コメント

2013年

1月

01日

勝手にエネルギー論を構築する

人類の行く末は「エネルギー」を如何に獲得していくかである。

日本の社会も経済も「エネルギー問題」の解決抜きには語れない。

6 コメント

2012年

10月

02日

新しいエネルギー開発に向けて

「水危機」と「エネルギー危機」が目前に迫っている。この二つの「危機」だけでも「人類の生存基盤」の危機である。 一刻も早く、地球と人類にとって安全・安心な「自然エネルギー」「再生可能エネルギー」の開発が求められている。

10年、100年先の「危機管理」として、今から行動しなければ遅いことは明白だ。

「消費社会」から「循環社会」「持続可能社会」「自然共生社会」「エネルギー自立社会」へ向けての「意識改革」と「構造改革」が重要である。

7 コメント

2012年

7月

08日

新しい日本改造に向けて

国の言う「国民のための判断」が本当でないことが明らかにされているいま

国民の持つ価値観として、何が大事で何が大事でないかという判断や、ものごとの優先順位づけ、ものごとの重み付けの体系の価値判断から、3.11震災を契機にした「新しい価値観」と「国民全体の幸福度」についての「提言」が、いまこそ日本に必要である。

10 コメント

2012年

6月

04日

勝手に発想法を研究する

差し迫る「少子高齢化の縮小社会への突入」「産業の空洞化」「エネルギー問題」「雇用問題」「財政問題」等々・・・日本社会が抱える問題は多岐に渡るが、政治や行政や官僚に「問題解決能力」の欠如が著しい。

さらに日本の技術を支える産業界や学界の「研究開発機関」においても「劣化」が進んでいる。

今こそ「フロンティア精神」と「新しい発想」が連動して「革新的なイノベーション技術」を生み出していくことが必要だ。

6 コメント

2012年

5月

01日

自然エネルギーと共に生きる

日本の自立と未来を切り開くためには、日本の国土に適合した再生可能エネルギーの社会が必要であり、最先端の日本技術を結集して「世界に誇れる日本」を創っていかなければならない。

15 コメント

2012年

4月

07日

勝手創千界から「尊敬される日本」へ

まず、現状のまま進行した100年後の日本の未来を想定し、その想定社会状況から、今必要な「方策」を考えてゆく視点が必要ではないかと思っています。新しい視点が必要です。

「勝手創千界」による「勝手な発想」が「脳内停止」状態の人々に「インパクト」を与えなくてはいけません。

13 コメント

2012年

3月

11日

3.11震災から海上都市計画へ

3.11震災を契機として、日本という国家のもつ様々な問題点が明らかにされ、新しい国家像が求められている。たぶんこのままでは、さらに日本の解体状況は進んでいくだろう。ラブーン海上都市計画がひとつの方向性を提示できればと思う。

8 コメント

2012年

2月

19日

勝手に復興計画 in 石巻を提案

3.11震災からの新しきまちづくりとして「勝手に復興計画 in 石巻」を発進いたします。

6 コメント

2011年

12月

31日

ホームページ開設

3.11震災以降、如何にすれば「津波につよいまち」が可能なのか?考えてきました。

その「ひとつの答え」を提示できればと思います。実現に向けて多くの人の意見を求めています。

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