超古代知性説

超古代文明

 

超古代知性説-1

 

現代文明は過去の文明より優れていると思っていること自体「現代人」の驕りである。

過去には現代文明より優れた「超古代文明」が存在していたことは、その「遺跡」から観て明らかであろう。

 

たとえば「縄文土器」一つを観ても、その創造性と芸術性の高さは驚くべきものがある。

人類のもつ「知性」は時代に関係なく存在し、「超古代」に優れた「知性」を持っていた人類がいたことは確かである。

 

「超古代知性説」が現代人の持つ「知性」を問う。

 

 

 

「遠い過去に、今よりも優れた文明があったのではないか?」

 

そして

 

「現代文明より豊かな超古代文明が存在していたのではないか?」

 

微かに残された「痕跡」から「真実」を確かめる

 

 

縄文時代

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

遮光器土偶・明治19年(1886)亀ヶ岡遺跡

 

 

ファイル:Dogu Miyagi 1000 BCE 400 BCE.jpg

 

土偶(宮城県恵比寿田遺跡)

 

土偶(どぐう)は、人間を模して、あるいは精霊を表現して作られたと考えられる土製品で、日本では、縄文時代(約1万2,000年〜1万1,000年前)に沖縄県を除く地域で製作された。

 

普通の人間の形を逸脱した極めて特徴的な形態から、一部では宇宙服を着用した宇宙人の姿を模ったものであるという説(古代宇宙飛行士説)、東北地方で広く信仰されたアラハバキ神であるという説、古代シュメールの女神イシュタル説も提唱されている。

 

 

遮光器土偶の謎

 

http://www.globe.sh/guzzi/joumon01/joumon-3.htm

 

 

 

超古代知性説-2

 

超古代文明とは

 

http://www.h4.dion.ne.jp/~mf124/sub-3-kodai-siryou.html

 

人類最初の文明はメソポタミア文明だといわれています。

今から5千年強前です。その後インダス文明や中国古代文明、古代エジプトなどが続きます。日本の縄文時代の始まりは1万3千年前ですが縄文文明とは言いません。また西欧文明の源泉といわれるギリシャも文明とは言い難いです。 

 

一般的に、有史以前の文明を“超古代文明”と呼んでいます。

 アトランチス文明、ムー文明、レムリア文明が有名です。

 

* 「超古代文明」は、有史以来の文明(四大文明など)が成立したとされる紀元前4,000年前頃より以前(先史時代)に存在したとされる、非常に高度な文明を指す呼称である。 

 

* 超古代文明は現在のところまだ考古学会で認められていません。

 

* 超古代文明人の末裔による再建文明が、いわゆる四大文明となった。(世界四大文明は、エジプト文明・メソポタミア文明・インダス文明・黄河文明を指しますが、最近発見された中南米遺跡(シクラス・カラル遺跡)から世界四大文明は、世界五大文明となりました。)人類文明は過去幾度となく消滅(過去4回滅び、ただいまは5度目の文明)を繰り返してきたとのことです。オーパーツはその名残でしょうか?最新の学説によると、約1万2千年前に彗星の接近で地球に宇宙規模の転変地災が起こり、そのときに一度文明が滅んだとのことです。

 

アトランティスは古代ギリシャの哲学者、プラトンの著書「ティマイオス」および「クリティアス」の中で、母方の親戚であるアテネの立法者ソロンからの伝承(そのソロンがエジプトの僧侶に聞いた話)として大西洋(または地中海)にあった大陸として記しています。

 

ムー大陸については、ジェームズ・チャーチワードの著書「失われたムー大陸」で太平洋にあった大陸として出てきます。

ちなみに、インド洋にもレムリアという失われた大陸の話があります。

共通しているのは、高度な文明を持ち、一夜にして海中に没した、という事です。

 

・文明国家で昔から学校で学んでいる人類の歴史は、権力者によって都合の良いように歪曲された事実と異なったものになっています。

 

・いわゆる四大文明 ・・・メソポタミア文明・エジプト文明・インダス文明・黄河文明の4つの大文明が最初に起こり、以降の文明は順次この流れにあると教えられてきましたが、近年この4大文明説を否定するような発見が相次いで報告されています。 

 

・「オーパーツ」と呼ばれている現代の常識ではあり得ないような物が世界中で発見されています。

 

・洗脳されてきた常識によって、これらのものが「オーパーツ」とされています。

 

・「世界四大文明説」というのは、1900年に、清朝末期の支那の政治家梁啓超(りょうけいちょう)が日本に亡命中に唱えた政治論のようです。

 

何ゆえ、古代文明が消滅してしまったのか。

 

何ゆえ、古代文明が謎のまま、長年月葬り去られていたか。

 

① 最後はいずれも壊滅的大天変地変等だった為、遺跡その他の遺物がほとんど残らなかった。

 

② 長年経過するうちに、人々の記憶から消え去ってしまった。風化した。

 

③ 古代史等の情報は当時の人類が生活する上で、直接必要とする状況に無かった為。 

 

④ 時系列的に、常に現在の方が、“文明文化が進んでいる”,“文明は徐々に進化し現在が頂点である”(“文明の直線仮定”)という錯覚に陥ってしまっている為、そうした常識に反した証拠が出てきても、学者として発表すると、非常識扱いされ、つま弾きされてしまうことを恐れ、隠している為。更に、現代人より優れた科学技術をすでに発見応用していた、先を越された等と思いたくない感情が強く、また自分達の権威がなくなってしまうと考えて、隠蔽してきた。

 

“非物質領域(幽界・霊界・神界)の存在否定・隠蔽”により真実が隠れた。

 

⑤ 世の為政者・学者達が、都合のいい様に史実を歪曲・捏造した為。

 

⑥ いずれの文明も最後は壊滅的状態になってしまった為、移住生存者も僅少で、原始生活に後戻り状態になってしまった為。

 

⑦ 文明が崩壊することを事前に察知したトップが、数万年後再び文明が開化し始めるまで、この事実を確実に伝承する方法として、“神話”、“御伽噺”を選択した為。(寓話にしてしまえば、為政者達に抹殺される可能性が最も少ないと判断した。④⑤を洞察した結果)

 

⑧ “壊滅的な破壊につながる知識・情報を伝承すべきでない”と判断し、封印した為。

(特に古代核戦争)

       

⑨ 地球人類をコントロールしようとした人々(邪悪な宇宙人類や闇の権力者)によって史実が歪曲、捏造されてきたため。

 

※  今日まで世界全体が闇の勢力(シャドーグループ)等によって、真実が知られると自分たちの権力維持等に都合が悪いことになるので、完璧に情報管理されている。 

 

超古代文明の物的証拠が非常に少ないのはなぜか

 

* 数少ない“オーパーツ”を除いて、当時の物理的な遺跡が見つからない理由。

 

⇒ 数千万年前からは霊的文明から物質的文明も開花しましたが、幾度となく繁栄と滅亡を繰り返していたようで、最後の約1万2千年前のアトランティスが崩壊するまでは、地球大気圏外には氷の粒子から成る2層の幕(アイス・シールド)でガードされていたため、地上は全域で亜熱帯状の均一平穏な気候環境に保たれ、地震や気象災害等がなく、現代の強固なビル等の必要性が無く、草木など自然の素材しか使わなかったことで、約1万2千年前の地球規模の大転変地変によって天然素材の構造物は消滅し、巨石群以外の痕跡が見当たらない結果になったと思われます。

 

・「超古代文明」というのは、「とてもエコで地球にやさしい文明」であった。 建造材料は天然素材だけを利用していたため、遺物が残らなかった。 

 

 

 

超古代知性説-3

 

古代遺跡と巨石技術の謎

 

 

超古代には現代の技術を凌ぐ文明があったことは確かである。

 

「古代宇宙飛行士説」とは別に、超古代文明による多くの

 

「遺産」から「知識」と「技術」を学ぶべきである。

 

さすれば人類誕生の「真理」が解き明かされるだろう。

 

人類の「知性」は「真実の探求」から生まれる。

 

なにも現代人が人類史上最高の「叡智」をもっているわけではない。

 

人類の持つ「知性」は遺伝子(DNA)としては伝承されない。

 

忘れ去られた超古代人の「遺跡」から現代文明として

 

後世に残すべき「遺産」の「真価」を問うことが必要であろう。

 

 

 

 

超古代知性説-4

 

超古代のエネルギー技術

 

超古代人が電気を使っていたとしても驚くに当たらない。なにも近代において電気が発明されたのではなく、ファラデーの電磁誘導による起電力は電磁場があれば電気が発生する原理を理解しただけである。磁界が発生する環境はこの自然界に何千年、何億年前からあり、古代から重力と物質がもつ自然界の摂理は変化しておらず、何十億年前にも電気発生の条件は整っていたのである。

 

超古代のエネルギー技術が現代のそれよりも優れていたとしても、なんら不思議ではない。ただ、現代科学の専門家がそれを認めようとしないだけである。

 

地球上のモノリスを結ぶエネルギー・グリッドやピラミッドの発電所システム、巨石建造技術や彫刻技術そして古代核開発技術と空間輸送技術など何千年、何億年の長い時間に耐えた超古代の遺跡と空間のなかに超古代のエネルギー技術の真実が隠されている。

 

今の文明が絶えた時に何億年先の未来に残せるものが何か存在しているのか?

鉄とコンクリートとガラスの現代構造物は何一つ残されていないのだろう。

ただ放射能汚染で人類が滅んだ形跡が残っているだけかもしれない。

 

 

 

 

オリオン座

 

 

超古代知性説-5

 

古代の地球の神の概念は全世界でひとつだった?

: 世界中の最古の遺跡から見つかる「同一の構図の神のシンボル」

 

In Deepさんのサイトより

 

http://oka-jp.seesaa.net/archives/20131018-1.html

 

<転載開始>


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上のものは、エーゲ海のクレタ島で紀元前 2000年頃に栄えたミノア文明の装飾品なのですが、このように「中央の人物(多分、神を表している)が両サイドに蛇や龍のような動物を持つ構図」のことを、日本語での言葉が見つからないのですが、英語では「ロード・オブ・ザ・アニマルズ(Lord of the animals / 動物の王)と呼ぶようです。

 

そして、この構図の神のシンボル。

 

これが実に世界の古代の遺跡のいたるところで見られるということを知りました。

 

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▲ 古代の神の構図であると思われる「ロード・オブ・ザ・アニマルズ」の構図を持つ古代の遺跡の一部。本記事でこの何倍もの写真をご紹介します。

 

現在の学説の主流は、「その地域での最初の古代文明は、各地域で個別にバラバラに誕生した」ということになっています。なのに、なぜ、遠く離れた地域で独自で発祥した文明での信仰のシンボルがこれほど同じ構図なのか?ということが書かれてある記事を見つけまして、興味深いものでしたので、ご紹介しようと思います。

 

これらが示すことは「全世界が単一の、あるいは宇宙的な概念の神を持つ古代の時代が存在したのではないか」というようなことが書かれてありました。

 

ギリシャから古代南米にまで続く「同じ構図の神のシンボル」

 

下の記事は、 2003年の科学誌「ネイチャー」のものです。

 

 
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▲ Nature News より。

 

これは 4000年前のアンデス文明跡で見つかった「スタッフ・ゴッド Staff God 」と呼ばれているアンデスの神のシンボルだそう。

 

この「両手に棒、あるいは蛇や龍のような動物を持っているという神の構図」が、一体どのくらいの古代文明の遺跡に描かれてきたかということが、リチャード・カッサロという人の昨日の記事にあったのです。

 

写真の量がかなり多いですので、あまり前振りをせずに、その記事の概略をご紹介しておきたいと思います。

 

ここからです。

 

ものすごい量の世界の古代の遺跡にある「動物の王」の写真が出てきますが、これでもこちらで選んだもので、実際の記事にはさらに数多く出ています。

 

異教の「神自身」の偶像が見つかったことにより世界歴史は書き換えられ、失われた黄金時代の存在が明らかに

 

新しい発見が世界の歴史に挑戦している。仮にそれによって、歴史が書き換えられなくとも、世界中の最初の古代文明が同じ宗教(信仰)の偶像を共有していることを示すというミステリアスな事実は確かにある。

 


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▲ 左はボリビアのにあるティワナク遺跡の「太陽の門」。右は、トルコのエフェソスのハドリアヌス神殿。

 

この数十年の間、世界の主流の学者たちは、世界初の文明はそれぞれが別々に独立して誕生したと主張している。

 

しかし、次々と見つかる驚くべき新しい発見は、それらの理論に重大な疑問を投げかけている。

 

これらの発見は古代文明がどのように世界全体に広がっていったかを示している。学者たちが個別に誕生したと述べる文明は、実は、世界全体のひとつのスビリチュアルなシステムか、あるいは同一の「宇宙的宗教」だったことを示しているということかもしれないのだ。

 

ここから、世界中の古代の遺跡から発見された宗教、あるいは信仰としての偶像の写真を羅列する。

 

 

世界中の遺跡や廃墟から発見された偶像
 
 
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・古代アフガニスタン。

 


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・古代クレタ。



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・古代エジプト

 


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・古代ボリビア。

 


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・古代ナバホ(現在の米国アリゾナ州、ユタ州などの地域)。

 


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・古代スウェーデン。

 


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・古代ジロフト(現在のイラン南東部ケルマーン州)。

 


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・古代ケルト(現在のヨーロッパ西部)。



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・古代ウガリット(現在のシリアの地中海東部のあたり)

 


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・古代ルリスタン(現在のイラン西部)。



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・古代ウルク(現在のイラク南部)。

 


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・古代トラキア(現在のブルガリアの南東部からギリシャ北東部あたり)

 


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・古代イングランド。

 


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・古代ペルー。

 

 
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・古代ペルー。

 

 
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・古代トルコ。

 

 

(訳者注) ここから文章はまだ続き、さらに、話は、古代の密教や錬金術のシンボルの話にまで発展していきます。下のようなものを含めたシンボルの話です。

 

 

alchemical-1.jpg

 

 

しかし、ちょっと記事が長くなりすぎるのもありますし、何より、私自身が、昨日書きましたように、体調もまだ今イチで、今日はこのあたりが限界ということもありますので、また別の機会にでも。

 

今回は、「かつて、古代の地球上では、唯一の宇宙的信仰のシンボルに包まれていたかもしれない」ということが書きたかったのかもしれません。

 

<転載終了>

 

 

超古代知性説-6

 

­代宇宙飛行士説

 

ヒストリーチャンネルTV 古代の宇宙人シリーズ シーズン5

 

 

 

古代宇宙飛行士説

 

古代宇宙飛行士説(英: Ancient Astronauts Theory,または英: Space God Theory)とは、人類史上の古代または超古代に宇宙人が地球に飛来し、人間を創造し、超古代文明を授けたという科学の一説である。別名を「太古宇宙飛行士来訪説」、「宇宙人考古学」、「宇宙考古学」ともいう。この範疇でキリスト宇宙人説も唱えられている。

 

 

エーリッヒ・フォン・デニケン

 

スイスの実業家エーリッヒ・フォン・デニケン(表記は「デーニケン」とも)の独: Erinnerungen an die Zukunft(1968年 日本語訳『未来の記憶』、英訳英: Chariots of the Gods? Unsolved Mysteries of the Past、英題の直訳:「神々のチャリオット」)が1970年代に世界的ベストセラーとなり、一大宇宙超古代史ブームを引き起こし広まった説である。とくに『未来の記憶』で旧約聖書の『エゼキエル書』が宇宙人来訪の様子を描写しているとして話題になった。その他ナスカの地上絵も宇宙人に関連するものであるという説が有名である。その後独: Zurück zu den Sternen(『星への帰還』)、『太古の宇宙人-太古に地球を訪れた宇宙人』、独: Erscheinungen(『奇跡』)などの著作が邦訳され、話題となった。その主な内容は以下のとおり。

 

1、巨大な考古学遺跡やオーパーツは、宇宙人の技術で作られた。

2、宇宙人は、類人猿から人類を創った。

3、世界各地に残る神話の神々は、宇宙人を神格化したもの。

 

『未来の記憶』は1960年代にSFマガジン(早川書房)に一部掲載され1969年に『未来の記憶』(松谷健二訳 ハヤカワ・ライブラリ)として刊行されていたがその当時は話題となることはなかった。有名にしたのは角川春樹で、1974年(昭和49年)発刊の『未来の記憶』(松谷健二訳)が角川文庫の「超自然の謎シリーズ」刊行のきっかけとなり、「精神世界」というジャンル創設の草分け的存在である。

 

デニケンの著作がブームを引き起こしたのは『ノストラダムスの大予言』(五島勉)に象徴される終末論やユリ・ゲラーの超能力が話題を集めた時期と重なり、1970年代のオカルトブームの一翼を担った。

 

2013年が幕を開けると、CSヒストリーチャンネルが「古代の宇宙人」シリーズを一挙(再)放送し始めたのだ。今年1月に再放送された(#38~40はこれから放送)番組(以下にそのタイトル)をいくつか見て、マンリー・P・ホール(フリーメイソン33階級)が予言した「ソロモンの封印が解かれる日」、「ドグマに対する運命のラッパが鳴り響く日」とはこのことではないかという思いに至った。そうでなければ人類が古代から宇宙人と接触していたことを「古代宇宙飛行士説」として40本もの番組を、それも文明の基礎を覆すような番組をシリーズとして作るだろうか。どれも息を呑むものばかり。人類にとって一番大事な秘密、勿論、私たちにとっても重要な秘密であり、これまで隠されてきた情報が一挙に開示された感がある。

#1.訪問者               
#2.任務                
#3.証拠                
#4.遭遇                
#5.再来                
#6.宇宙人による破壊        
#7.神と宇宙人            
#8.別世界への入口         
#9.宇宙人との接触         
#10.宇宙人と第三帝国       
#11.宇宙人のテクノロジー

#12.宇宙人と地下世界

#13.天使と宇宙人

#14.不可解な痕跡

#15.海底都市と宇宙人

#16.??? (放送なし)

#17.西部開拓時代の宇宙人

#18.宇宙人と神話

#19.宇宙人と聖地

#20.黄金と宇宙人
#21.宇宙人の謎めいた儀式    
#22.古代建築技術の謎       
#23.地球外ウィルス         
#24.古代遺跡の謎         
#25.凶器のルーツ         
#26.不吉なエネルギースポット  
#27.アメリカ建国と宇宙人     
#28.人類創世の謎          
#29.カルト教団と宇宙人      
#30.秘密の暗号

#31.宇宙人とゾンビ

#32.神と英雄、そして宇宙人

#33.マヤの陰謀

# 34.世界終末説

#35.グレイ

#36.宇宙人と自然災害

#37.NASAとの関係

#38.ピラミッドの謎

#39.宇宙人とビッグフッド

#40.アインシュタインとの接触

          http://reveillet.exblog.jp/19964816

 

 

超古代知性説-7

 

人類史に刻まれた、宇宙人の関与が想像できるミステリー10選

 

http://gigazine.net/news/20110807_alien_mysteries/

 

 


by Norman B. Leventhal Map Center at the BPL


発見された時代や場所とまったくそぐわない性能を持った遺物を「オーパーツ」と呼びますが、それらを作ったのは人類ではなく、他の惑星からやってきた宇宙人が当時の人々に超高度な技術を授けて手助けをしたか、もしくは宇宙人自らが作ったのだと主張する「古代宇宙飛行士説」という説があります。この説では人類を創造したのも宇宙人としていますが、謎に包まれたままの遺跡や遺物などをそういった観点からみていくと、合点がいくような部分もあるのではないでしょうか。

※「古代宇宙飛行士説」は広く認められた説ではなく、学問とも考えられていません。この記事は、あくまで知的好奇心を満たすための小話として捉えて下さい

10 More Ancient Alien Mysteries

 

10:ナスカの地上絵



「ナスカの地上絵」は、ペルーのナスカ川とインヘニオ川に囲まれている乾燥した高原の地表に描かれた多数の巨大な絵で、空から見なければ全体像の把握が難しいほどの大きさを誇っています。1939年6月22日に考古学者のポール・コソックによって動植物の地上絵が最初に発見されましたが、「何の目的で描いたのか」という部分はいまだに謎に包まれているそうです。

地上絵にはサル、リャマ、シャチ、魚、爬虫類、海鳥類といったモチーフが選ばれており、最大のものだと直径285mに達します。地上絵は紀元前200年から紀元後800年のナスカ文化時代に描かれたとみられていますが、ナスカの人々が飛行機を発明していたという証拠は全くありません。「古代宇宙飛行士説」を支持する人々の間では「地上絵は宇宙船が着陸する際の滑走路として使用されていた」と考えているそうです。


 

 

9:ヴィマナ


「ヴィマナ」は自由自在に空を飛ぶ架空の乗り物で、古代インド最古の古典である「リグ・ヴェーダ」、叙事詩「ラーマーヤナ」、そして叙事詩「マハーバーラタ」に登場します。まるで現在の航空機のようにいろいろな形式が存在し、中には大気圏外への航行さえ可能なものもあったそうです。

叙事詩の中では英雄たちが戦争で使用するヴィマナですが、UFOとの類似点が多いので「古代宇宙飛行士説」支持者たちは「古代インドに他の惑星から宇宙飛行士がやってきたのでは」と主張しています。


 

 

8:ギザの大ピラミッド



紀元前2540年頃に20年以上の年月をかけて建築されたとみられている、エジプト第4王朝のファラオであるクフ王の墳墓「ギザの大ピラミッド」。世界の七不思議の一つとされ、建設当時の146.6mという高さは14世紀まで世界で最も高い建造物でした。

長さと高さの比が黄金比となっていることや、非常に誤差の少ない石積技術もあって、「古代宇宙飛行士説」支持者たちは「他の惑星から来た訪問者が驚異的な建築技術で人間を手助けしたのだ」と信じているとのこと。


 

 

7:テオティワカン



メキシコの首都であるメキシコシティから北東に約50km行った地点にある20平方kmほどの巨大な宗教都市遺跡が「テオティワカン」です。紀元前2世紀から6世紀まで人々が住んでいたとされており、最盛期には10万~20万人が生活していたとのこと。

「古代宇宙飛行士説」支持者たちは「古代遺跡のいくつかは現代よりもはるかに高度な天文学の知識を持って作られた」と指摘しており、テオティワカンにある「太陽のピラミッド」や「月のピラミッド」といったピラミッドたちはそれぞれ太陽系の惑星の位置を意識して建設されていると主張します。


 

 

6:シュメール人
 

古代では、現在のイラクにあたるメソポタミアの南部をバビロニアと呼び、その南半分の地域を「シュメール」といいました。シュメールで興った都市文明は世界最古のものとされ、その文明の中心となったのがシュメール人です。紀元前9000年頃、どこからかこの地へ移住してきた人々が農耕を始め、紀元前3500年頃になると現在知られている文字体系で最古の楔形文字を発明しました。

彼らは自らを「混ざり合わされた者」と呼び、自分たちは「アヌンナキ」という神々の集団によって作られたと信じていたそうです。また、「アヌンナキは金を採掘するために他の星から地球へとやってきた」と信じていたともいわれており、シュメール人の古代神話を「アヌンナキは金を採掘する労働者を求めていたので、遺伝子操作によってシュメール人を作り出した」と解釈する「古代宇宙飛行士説」支持者もいるとのこと。


 

 

5:パレンケの石棺


 
7世紀に最盛期を迎えた、メキシコにあるマヤ文明の古代都市遺跡「パレンケ」。パレンケに多数存在するピラミッドの中でも最も高い「碑文の神殿」からは最盛期に在位したパカル王の遺体が見つかっており、エジプトのピラミッドのように王の墓としての側面を持っていたとみられています。

「碑文の神殿」の地下から発見された奇妙な石棺を「パレンケの石棺」といい、それを横から見てみると、描かれているパカル王の姿がまるでロケットに乗って操縦をしている宇宙飛行士のように見えました。そのために「古代宇宙飛行士説」支持者などによって「マヤ文明は宇宙人によって作られた文明である」と主張されましたが、パレンケにある他の神殿から発見されたレリーフと同じく縦にして観察すると、ロケットを操縦しているのではなく、当時の宗教観に乗っ取って十字架などが描かれたものだとわかります。




縦にするとこんな感じ。


 

 

4:マハーバーラタとラーマーヤナ



2000年以上前に書かれた古代インドの2大叙事詩である「マハーバーラタ」と「ラーマーヤナ」では、飛行する機械に男たちが乗り込んで大規模な戦いをする様子や、「インドラの雷」という核兵器を想起させるような巨大な爆発の描写、そしてあまりにも強力な武器の数々などが登場します。そのためにこれらの叙事詩に対して「超古代文明の痕跡説」を主張する人もいるそうです。


 

 

3:プマ・プンク



南米のボリビア多民族国にあるプレ・インカ期の遺跡を「ティワナク」といいます。ティワナクでは紀元前1~2世紀頃から独自の文化が形成され、紀元後400年頃に文化が広範囲に広がり、おおよそ750年~800年から1000年~1100年の間にかけて最盛期を迎えたと考えられているとのこと。

「プマ・プンク」は遺跡の中心部から外れたところにあるピラミッド状の建造物で、破壊がすさまじい状態ですが、数トンもある一枚岩でできた建築の一部が今も残っています。その石材加工技術は非常に優れており、長方形の石材の面は見事に平らな状態で切り出されている上に、加工には鉄を利用していないとのこと。どのようにしてこれほどの正確さで石材を切り出して加工したのかはわかっておらず、「古代宇宙飛行士説」支持者たちは「高度な技術を持った宇宙人が遺跡を作ったか、建設者にアドバイスをしたのでは」という仮説を立てています。


 

 

2:宇宙人と第三帝国



第2次世界大戦中のドイツ軍は世界で最も技術が進んでいたともいわれ、彼らは巡航ミサイルやV1飛行爆弾、弾道ミサイルといった強力な兵器を開発しました。ドイツ軍の技術力が進んでいたことに対して、彼らが単に他の国と比べて賢かったからではなく、東洋で発見されたサンスクリット語の古文書を参照していたから技術力があったのではと考える人もいます。

1933年にドイツのオカルト結社「ブリル協会」がヒトラーと彼の取り巻きに対して、世界中から古代技術を探し出すために資金をつぎ込むよう推奨しました。そして、ドイツの科学者や研究者たちは、まるで「失われた聖櫃」でも探すかのようにして徹底的に古文書や遺物を探し回らせたとのこと。この話や、ドイツの科学者たちが1939年に空飛ぶ円盤型の航空機「Haunebu(ハウニブ)」を開発したことなどを証拠として、ナチスが宇宙人の技術を扱っていたと考える人もいるようです。



 

 

1:フラワー・オブ・ライフ(生命の花)

 

「フラワー・オブ・ライフ」とは、古くから知られている神聖幾何学の一つで、エジプトの「オシリス神殿」、ルーマニア、イスラエル、中国など世界中で確認されている図形だそうです。人間や動物、木や惑星など、宇宙の万物は幾何学的で、すべてがこの「フラワー・オブ・ライフ」という単一のパターンから成り立っていると考える人もいるとのこと。

これが「フラワー・オブ・ライフ」。




「フラワー・オブ・ライフ」に含まれる未完成の球体をすべて完成させた末に現れる「フルーツ・オブ・ライフ」という図形には全部で5つあるプラトン立体(正四面体・正六面体・正八面体・正十二面体・正二十面体)がすべて含まれており、神聖幾何学の中でも最高に神聖なものとされています。そして、この図形が宇宙全体を形作っているそうです。また、元素の周期表にあるすべての元素はプラトン立体のうちの一つと幾何学的関係があるとも言われています。

「フルーツ・オブ・ライフ」です。


 

 

 

「紀元前200年の電池」や「最古のアナログコンピュータ」など、いまだ科学で解明できていない不思議な6つの発見

 

 


by Norman B. Leventhal Map Center at the BPL


何世紀も前に生きた人々が残したいくつかの遺物は、発見された時代や場所とまったくそぐわない性能を持っており「オーパーツ」とも呼ばれますが、それらは現代の優れた科学者たちの頭をいまだに悩ませ続けています。

中には「紀元前200年ごろに使われていた電池」や「最古のアナログコンピュータとも呼ばれる装置」といった、明らかに当時の技術では実現できないような物体や、まったく解明できていない現象などがあるわけですが、はたしてどのようなものなのでしょうか。

いまだ科学で解明できていない不思議な6つの発見は以下から。

 

6 Insane Discoveries That Science Can't Explain | Cracked.com

1:解読不能の奇書「ヴォイニッチ手稿



今年の初め頃にようやく作成された年代が特定された「ヴォイニッチ手稿」は、ほかのどこでも見られない暗号のような文字で記され、本文と関係あるのかすら不明なカラー挿絵が多く描かれた解読不能の古文書です。




軍事用の暗号解読のエキスパートや暗号の研究者、数学者、言語学者などが何度挑んでも解読できない文字列は、各文字の登場頻度などを分析した統計的手法によって、でたらめな文字列ではなく確かに意味を持っていると判断されています。



2:最古のアナログコンピュータとも呼ばれる「アンティキティラ島の機械


「アンティキティラ島の機械」は、天体の位置を把握して星の運行を計算するために作られたと考えられている歯車式の機械です。




1901年に沈没船から発見されたこの機械は古代ギリシアで作られたという説はありますが、どこで誰が作ったのかさえも解明されていません。一説には紀元前150~100年に製作されたと考えられていますが、このレベルの技術を持った工芸品が登場するのは10世紀ごろになってからです。




歯車を使用した構造はデザインも美しく、天文学的にも正確とのこと。また、地上にいる観測者を基準とした天球上での天体の位置計算を行うため、必然的に天動説を採用しています。


 


3:中国にある謎のパイプ「The Baigong Pipes」


中国のBaigong山の頂上に存在する神秘的な三角形の入り口を持った3つの洞窟に、何百もの錆びた古い鉄パイプのようなものがあります。




いくつかのパイプは山の奥深くにあり、またいくつかは近くの塩水湖にあるとのこと。大きなパイプは直径40cmに及び、また、均一な大きさのパイプもあるそうです。そしてそれらは意図的に配置されていると考えられており、パイプは破片にもかかわらず奇麗な状態とのこと。

パイプの成分は鉄が中心ですが、シリカも含まれているとのことで、「古代の天文学実験室」や「異星人が残した宇宙船発着場」などと想像が飛び交っています。洞窟の近くには標高50m~60mのピラミッドが存在しているので、パイプと関係があるのではと考えられているそうです。


 


4:真球に近い「コスタリカの石球」



1930年代の初めにコスタリカのジャングルで発見された石の球体が「コスタリカの石球」です。西暦300~800年に栄えたディキス石器文化によって作られたと有力視されていますが、詳細な作成年代や作成の目的は不明とのこと。




現在までに200個以上が発見されており、驚くべき事にすべてがほぼ真球に近い形状をしています。大きさは、直径2cmほどの小さなものから直径2mを超える巨大ものまでさまざまあり、最大級のものだと約25トンほどの重さを誇るそうです。ほとんどの石球の素材は花崗閃緑岩ですが、少数は貝殻石灰岩でできているとのこと。また、石球の配置には規則性があると考えられています。



5:紀元前200年の電池「バグダッド電池」

 

「バグダッド電池」は紀元前200年ごろに栄えたパルティア時代のものとされている高さ約10cm、直径約3cm程度の土器の壺です。現在のイラクやバグダッドの辺りで製造されたと考えられており、発見時には呪文が書かれた3つの鉢といっしょに置かれていたとのこと。




土器は粘土を焼いて作った素焼きの状態で、中にはアスファルトで固定された銅の筒が入っています。筒の中にはアスファルトで塞がれたシリンダーがあり、さらにその中に鉄製の棒が差し込まれているそうです。また、底には何らかの液体が入っていたとされる痕跡が残っていたとのこと。この壺は電池なのか否かという議論が繰り広げられているそうですが、電池が発明されたのは18世紀後半なので、もしも電池だとしたら当時の作成者は驚くほどの技術を持っていたことになります。


 


6:水中から聞こえる奇妙で大きな謎の音「Bloop



アメリカ海洋大気圏局によって1997年に発見された、超低周波で非常に大きく、これまでのどの音とも似つかない水中音が「Bloop」です。南アメリカの南西にある南太平洋にて、もともとソ連の潜水艦を検出するために作られた米海軍の機器を使用したところ数回の検出が確認されたとのこと。「Bloop」を通常の速度で聞いても聞き取ることはできませんが、16倍速で再生することによって聞き取ることができます。




音の源は不明で、「潜水艦や爆弾の音」「海底火山や地震」、はたまた生き物の出す音だと推測されましたが、海中で最も大きな音を出すシロナガスクジラよりも大きな音なので、生き物の可能性はかなり低いと思われます。また、一説では南極大陸の氷が崩れる時の音とも言われているそうです。音は5000キロメートル以上の範囲で計測でき、約1分鳴り続けます。



他にもアメリカ海洋大気圏局によって検出された原因不明な海中の音は5つあり、「Slow Down」「Julia」 「Train」「Whistle」「Upsweep」と呼ばれているそうです。なお、以下のアメリカ海洋大気圏局の公式サイトから「Bloop」の実際の音を聞くことができます。

 

2013年12月22日

 

超古代知性説-8

 

ピラミッドはこうして造られた

 

「ピラミッド内部トンネル説」としてピラミッド築城の謎が解き明かされようとしている。考古学会や社会が、その新説を認めようとせずとも何千年も前の古代人のもつ知性は現代の科学技術をも乗り越えていたことを知るべきである。そして、ここでも「渦巻き」原理が活かされている。歴史に隠されている真実を知る作業は、隠蔽しようとする既得権勢力との戦いの中から生まれてくる。

 

この動画を観る限り古代文明の謎である「ピラミッド築城の謎」は解き明かされたと言って良いのだろう。そうなると定説であるピラミッドが「ファラオの墓」であることに疑問が浮かび上がる。内部の大回廊は「神への道」として造られたのではなく、優れているが、単に巨石の運搬方法のための築城技術としてあったとしたら、これまでの「エジプト考古学」は、ピラミッド築城についての考え方を改める必要がある。しかし、「エジプト考古学者」この「ピラミッド内部トンネル説」を認めようとしていないようだ。それもよかろう。何時かは真実が明らかにされる時が来るだろう。そして超古代には現代よりも進んだ知性をもった超古代文明が存在していたことを知るだろう。

 

2014年01月04日

 

超古代知性説-9

 

ギョベクリ・テペ ー定説を覆す人類最古の神殿遺跡ー


人類最古の文明メソポタミアをはぐくんだチグリス川とユーフラテス川の上流域に位置する、トルコ南東部、シリア国境付近の丘の上に定説を覆す巨大神殿が発見されていた。「ギョベクリ・テペ」と呼ばれる遺跡である。

"発見"といっても、決して華々しいものではなかった。ギョベクリ・テペ遺跡は、すでに1964年から存在が示唆されていたものの、1994年に地元の羊飼いが偶然に巨大な石柱を見つけ、現地入りしたドイツ人考古学者クラウス・シュミットが驚愕の分析結果を発表するまでに、実に10年以上の歳月が流れることになるからだ。

ここで、炭素年代測定をはじめとする厳密な科学的手法で出された分析結果は驚くべきものである。なんと、遺跡が建てられたのは推定1万1500年前!定説でいうギザの大ピラミッドが完成するよりも7000年はど早いのだ。

新石器時代という文明の曙の時期にあって、ここでは石灰岩でできたT字形の5メートルほどもある石柱(約5トン前後)が、石組みとともに30メートル前後の円形に立ち並んでいる。これまでに、サークル状遺構は4つ発掘されており、石柱の総計は約200本にのぼる。その運搬技術はいかなるものであったのか。5トンから20トンにもおよぶ巨大な石柱を目的地まで運ぶのには500人もの人員が必要だ。
 
ギョベクリ・テペ遺跡

これほどの遺跡であれば、大ピラミッドのように建設に従事した労働者はもとより、定住者たちがいたはずだ。だが奇妙なことに、この遺跡には居住跡がない。それはなぜだろうか。

そのヒントになるものが、巨大な石柱に装飾された美しくも妖しい動物たちの彫刻である。蛇、クモ、サソリ、猪、牛、ライオン、狐、ダチョウ、ハゲタカなど多岐にわたる生き物のほか、人間の頭を持つ鳥のような半人半獣、牙をもった怪物など異形の存在も刻まれたいる。
 
T字形の石柱

つまり、ギョベクリ・テペは狩猟民の名残をとどめる人々によって古代儀礼が行われていた宗教施設であり、死者を弔うための場所だったのだ。

本来、神殿ができるのは共同体ができ、文字や芸術が定着してからのはず。だがここへは初めから計画的に巨石が運び込まれた・・・・。定説を覆すミステリーである。

ただし、原因は不明だが神殿群は紀元前8000年以前に突如としてその使命を終えてしまう。建造者はアトランティスの末裔だったのか?ちなみに近隣のチャタル・ヒュユクでは、すべてが継承されたようには思えないのも不思議である。
 
http://historyholic.blog114.fc2.com/blog-entry-111.html
 

 

“ギョベクリ ・テペ” を知っていますか?

 

Göbekli Tepe

 

 

今から20年ほど前の1994年に、トルコの一農夫が偶然掘り当ててしまった古代遺跡、ギョベクリ・テペ。

 

現在も発掘が続いており、全体の5%ほどが明るみに出てきていますが、発掘完了にはまだあと50年以上かかる見込みです。

 

人類史の書き換えを迫るような、とんでもない発見ですが、なぜかあまり知られていません。おそらくあまりにも今までの定説に反する事実が出てきてしまったために、説明がつかないためでしょう。

 

ご注意ください。これは、いわゆる“トンデモもの”ではありません。れっきとした研究者、研究団体によって承認されている議論の余地のない考古学的大発見です。ナショナル・ジオグラフィック・ソサエティー、BBC放送、ヒストリー・チャンネル、ディスカバリー・チャンネル、スミソニアン博物館などが取りあげて、ビデオなどを制作して公開しています。日本ではすでに数年前にNHKがテレビ放送をしていますし、TBSの「世界ふしぎ発見」でも取り上げられていますので、知っている人は知っています。

 

 

 

にもかかわらず、一般にはほとんど知られていません。テレビで見たひとも忘れてしまっています。なぜでしょうか。おそらく考古学、人類学、歴史学、先史学などの学界ではまだこの “ギョベクリ・テペ” のきちんとした位置づけができずにいるからです。さらに言えば、これを受け容れるということは、今までの文明史の定説をすべてひっくり返すことになるからです。アカデミズムの世界は腰が重いのです。自分たちが営々として築き上げてきた権威ある理論、説明原理を否定する事実に正面から向き合うことにはなかなか乗り気になれないのです。おそらくあと20年、30年経っても学校の歴史の教科書に出てくることはないでしょう。事実が“公認”されるのにはとてつもない時間がかかるものです。そこにはたいへんな“見えざる抵抗”があるのです。学界の権威者にとってはたしかに不都合な真実でしょう。あなたが今初めて知ったということも、この事実が今リアルタイムで実にゆっくりでしか広まっていないことを物語っています。ウィキペディアでの記述も実に貧弱なものです。

 

現地での発掘も慎重で綿密な作業のために現在 5%しか済んでいません。あとの 95% を済ますのにまだまだ50年以上かかります。

 

同じ事実を今受け容れることと、50年後に受け容れることの差はどこにあるのでしょうか。自分の頭で考えるひとは、知った時点でその情報に信頼性があるかどうか判断したうえで、定説があるか無いかに関係なくその事実を受け容れるかどうかすることでしょう。自分の頭で考えないひとは同じ事実が数十年後に定説とともに教科書に載るようになってやっと受け容れる、というよりは従うことになるでしょう。“50年待ちピープル”はつねに世の中の絶対的多数派です。

 

現在率先して発掘作業に当たっているドイツの考古学研究チームはすでに20年近く現地で発掘作業を続けています。リーダーのクラウス・シュミット博士は現地のトルコ女性と結婚して定住し、この発掘に生涯をかけています。しかし、彼の生きている間に発掘作業が完了することはないでしょう。

 

 

 

クラウス・シュミット博士

 

ここにそびえる巨石群は、金属器も土器もまだ知らなかった人々によって、約 1万1千年前に石器によって切りだされ、刻まれたものです。

 

 

 

ギョベクリ・テペの発掘現場の航空写真

 

 

 

ギョベクリ・テペの位置: トルコのシリア国境の近く

 

 

 

http://blog.goo.ne.jp/zaurus13/e/4b5cce17e4cc74f24ae303af8bece342

 

 

2014年01月05日

 

超古代知性説-10

 

サクサイワマン遺跡 Saksaq Waman

 

 

クスコ市街の北の小高い丘に、ジグザグになった三層の石積みの壁が有ります。其処はインカの要塞のある街だったのを、スペイン人征服者コンキスタドール達が破壊したので、今では基底部だけが残っています。スペイン人がクスコ市内に建設したカテドラル(大聖堂)や政庁などの石材の一部は此処から運び出されたといわれています。伝説では、インカ帝国の初代皇帝マンコ1世がクスコを築いたのが1250年頃だとされており、インカ帝国第9代パチャクティ(在位:1438-1471)によってサクサイワマン要塞都市が造られ始めました。

インカの遺跡サクサイワマンはケチュア語で「満腹のハヤブサ」の意味で、その建設目的は城砦、宗教施設、その双方を兼ねた建造物など諸説あるも、確定していませんが、1983年にクスコ市街の一部としてユネスコの世界文化遺産に登録されました。サクサイワマンはペルーの南東部にあるインカ帝国の古都クスコ市の北にあって、クスコ市はインカにおける聖なる動物ピューマをかたどって建設されたとする説があり、この説でサクサイワマンはピューマの頭に相当しています。巨石を惜しみなく用いたインカ文明特有の堅固な石組みが階段状に3段ずつ、幅数百mの平地を挟んだ南北の丘に築かれています。インカの天上・地上・地下の3つを意識した独特の世界観が反映された結果、3段という段数が選択されたといわれています。それぞれの段は石で作られた階段で結ばれ、遺跡を構成する石組みは巧みにデザインされており、リャマやヘビ、カモ、魚等の動物をかたどった箇所があります。それらはそれぞれ数mから十数mの規模です。かつては東西に並ぶ3つの巨大な塔が建っていたのが、スペイン人によってことごとく破壊され、現在はその基礎だけが残っています。

 

1100年頃

キルケ文化(Killke, 900-1200)でクスコ郊外のサクサイワマン要塞が建設される(遺跡を炭素14放射性炭素年代測定法で分析して判明)

 

1200年頃

マンコ1世がクスコを建設以降インカ人勢力がクスコ地方占拠して移住

 

1438年以降

インカ帝国第9代皇帝パチャクテクの命で建設が開始される

 

1488年頃

約50年後の第11代皇帝ワイナ・カパックの在位中に完成したとされている

 

1533年

ピサロとスペイン人征服者の攻撃でインカ帝国首都クスコが陥落

 

1536年

クスコ奪還戦でマンコ2世率いるインカ軍の拠点となる

 

1536/5/6

クサイワマンの戦いで、マンコ2世が拠点として挙兵クスコ、リマなどを圧倒的多数のインカ軍が包囲する

 

1536/7月

サクサイワマンの戦いでフアン・ピサロが戦死

 

1537/3月

インカ軍は食料が不足し、さらに作物の種まき時期となり、その上に天然痘などで多くの戦士が戦病死したため、クスコの包囲を解き、クスコ北方を流れるウルバンバ川近辺のオリャンタイタンボ砦に退却。やがてインカ帝国は滅亡

 

2007年

発掘調査で、寺院がサクサイワマン要塞の脇で発見される。要塞には軍事的な機能だけでなく、宗教的な機能があったことが示される

 

2008/3/13

考古学者が古代の寺院、道路、導水設備の遺跡をサクサイワマンで発見。

 

 

・サクサイワマン城塞

 

城塞跡サクサイワマンはクスコの郊外、北方1.5kmの丘の上にあって、毎年6/24には、この壮大な舞台で往時を偲んで、きらびやかで荘厳な儀式の太陽の祭典インティ・ライミ(Inti Raymi)が、現地人によって何千人もの観光客の前でとりおこなわれています。その城塞もスペイン人がクスコを占領したとき、城塞の上部や塔などを破壊し、教会や政庁を作る材料にしてしまったために、現在は城壁も砦も下部構造しか見ることが出来ません。それでも正面の幅300mの砦は、さまざまな形の巨石が、ジグソーパズルのように一分の隙間もなく巧みに組み合わされています。中でも最も驚かされるのは、高さが人の背丈の4倍近くもある数百屯の超巨石が、周囲の、それも何十屯もありそうな巨石巨と多面体で繋ぎ合わされていることです。最大の巨石は360屯を越すと言われており、この重さは、なんと電車の車両15台分に相当し、巨石同士の接合部分には、今でもカミソリの刃一枚が入る隙間もないのです。現在知られている石切場は、遺跡から15~35kmも離れた山道の彼方にあり、その運搬方法は謎となっています。

 

http://www.venus.zaq.jp/voyage/map/Gv-eScsyhaman.html

 

 

近代技術をもってしても、この精密な巨石建造技術は再現できないであろう。それほどの技術が何故に伝承されなかったのだろうか疑問である。アカデミックな古代史は石器時代以前を、高度な文化も技術もない人類であったかのように解説しているが、この巨石建造技術を見れば真実は隠されていることが理解できる。超古代文明の知性は何を語ってくれているのだろうか。超古代人は世界創生への知的で自由な思考と飽くなき探求心が、より以上の巨石の建造に向けられていたことは想像できる。

 

 

2014年01月06日

 

超古代知性説-11

 

カルナック列石

 

 

フランス北西部、ブルターニュ地方のカルナックには、カルナック列石群と呼ばれる、ヨーロッパ最大の巨石遺構がある。これは、高さ1~6メートルの約3000個もの巨石が、約3キロにわたって続いているもので、紀元前2000年ごろに造られたと思われる。


列石中最大のメンヒル

列石群は3つの群で構成され、カルナックから見て北東の方向に向かって並んでいる。メネック群と呼ばれる大1群は、幅約100メートルの間に1099本の石が11列並び、1167メートル続く。第2群はケルマリオ群。メネック群の東約200メートルの地点から始まり、1120メートル。これも幅約100メートルの間に、1029本の石が10列並んでいる。第3群はケルレスカン群。ケルマリオ群の東に位置している。幅約130メートルの間に、598本の石が13列並び、860メートル続いている。なお、ドルメン(テーブル状組み石)やメンヒル(立石)も見つかっている。倒壊した石の下から遺骨が出てきたことから、これらは死者を埋葬する石室の可能性もある。
では列石群は、どんな目的で造られたのか?これまで天文観測装置、蜃気楼観測地点など、多くの説が唱えられてきたが、それらの中で異色の説がある。カルナック列石群=レイライン説だ。

レイラインとは、1921年にイギリスのアマチュア考古学者アルフレッド・ワトキンスが発見した奇妙な「線」だ。

ワトキンスはイングランドの丘で、巨石群や古代の塚、聖地、教会、人工の丘、古井戸が一直線に並び、他の遺構と直角に交差しているのに気づき「地表には意味のある流れがある」と考え、レイラインと名付けた。その後の研究で、レイラインは大地に走るエネルギー流で、植物の発芽や生長に影響し、巨石はそのエネルギーを秘めているという説が生まれた。ヨーロッパに巨石文明が栄えた時代は、世界的に寒冷期だった。穀物の不作に対処するために、カルナック列石も同じような目的で造られたのかもしれない。その後のダウジング・ロッドによる調査で、磁場を発生しやすい地下水脈が、列石群を中心に八方に分岐していることも確認された。水が大地のエネルギーを強め、地球の磁場が太陽や月の位置によって変化することを知った古代人。彼らが列石群を大地の活用装置として使用した可能性は、十分にある。

数メーター間隔でメンヒルが並ぶメネク列石群

 
 

 

2014年01月07日

 

超古代知性説-12

 

カラフンジ列石

 

 

アルメニア南部

 

紀元前 5世紀頃の巨石列。 古代の宗教センターであり、天文観測所であったろうという。石の高さは 2mから 3mで、その数は約 200。

 

 

アルメニア南部で発見されたカラフンジ列石は7000年前の遺跡らしい。それはイギリスのストーンヘンジよりも古い。穴を空けた巨石の列石は興味深い。ここに超古代人の意図は確実に存在していた証しが残る。その意図は解らないが、巨大な石に真円をくり貫くことは容易いなことではない。何日も何か月も時間を要したことだろう。そこには、何らかの道具を使って、石をくり貫く作業を繰り返し行なっていた個人が確実にいた。もしかしたらその作業のために手が血だらけになっていたかもしれない。くり貫くことに諦めかけていたかもしれない。しかし、くり貫いた現実がある。やり遂げた達成感を感じたことだろう。そのくり貫かれた穴から何が見えたのだろうか。遠くの山々か、太陽か、眩い星々か。超古代人の人間としての感情や感覚を、残された遺跡から感じ取らなければ意味がない。いつの時代か、何に使われていたのか、どのような道具でとかいうだけの考古学ではない、遺跡に込められた意図と知性を自らが感じ取ることが超古代知性説を論じる第一歩なのだろう。

 

考古学者が超古代遺跡の細部を調べることによって、遺跡の意図について、どのような仮説をたてたとしても、当然超古代の時間を再現することなど永遠に不可能であり本当の意図は解らない。しかしその遺跡製作にかけた膨大な時間と労力には意味があり意図がある。人類のもつ知性は、悲しいかな遺伝子のDNA内に書き込まれることはなく、個人が築き上げた知性は伝承できない。しかし知性の情報や痕跡は残すことは可能であり、この巨石に残された知性の痕跡を知る。

 

 

2014年01月09日

 

超古代知性説-13

 

オリャンタイタンボ遺跡

 

オリャンタイタンボ遺跡はピルカノータ・ウルバンバ川沿いの町ビサクの北方50kmのウルバンバ川支流パタカンチャ川が流れ込む谷間のオリャンタイタンボの町に存在する。川岸の平地と急な斜面に築かれた建築物はインカの都市建設の主な特徴を備えており、標高2846mにあるこの砦は正面に6枚岩の壁を備え、その威容を誇っている。

 

この6個の巨石。高さは4m。幅は10mあります。この石は、写真の後方にある山から切り出されたものだとのこと。山から谷を挟んで、更に階段を300段上がったところまで、どのようにして運んだのか、インカの土木技術を改めて思い知らされる遺構です。太陽神殿跡と紹介してきましたが、実際にはこの巨石が何だったのかは確定していません。おそらく造りかけの太陽神殿の壁だったのだろうと言われていますが、ここもスペイン軍によって破壊されたのか、詳しいことは分からないようです。この巨石の一つに描かれている模様はボリビア・チチカカ湖の近くにあるティワナク遺跡で見られる模様と同じと指摘されています。インカの石組みはティワナクに学んだと言われており、関係があるのかもしれません。

 

http://isekineko.jp/nammbei-oryanntaitannbo.html

 

スペイン支配下となったオリャンタイタンボは太陽神殿などの全てがスペイン人によって略奪され、現在は当時の姿をとどめていない。現代文明が超古代文明の残した遺跡を破壊してきた歴史を知る。どちらの人類が知性豊かであったのかは明らかであり、今の人類は超古代人の持つ知性に対して足元にも及ばないだろう。

 

 

2014年01月13日

 

超古代知性説-14

 

概要-1

 

技術の伝承

 

何故に超古代の優れた巨石加工技術や建造技術が伝承されなかったのか。地球上の至るところで、巨石遺跡、建造物が遺されいるにもかかわらずである。超古代に於いて、現代技術を持っても太刀打ちできない技術が広く超古代文明が所持していたことは確かだ。今も精密な石の加工技術は謎のままである。あまりにも理解不能の技術であるために、何万年の遥か以前の超古代に優れた文明があった事実に対して未だ教科書は4000年前の4大文明が人類の文明の発祥であるとして、真実を隠蔽しようとしている。なんとばかげていることか。石器だけで超古代の巨石建造など不可能なことは明白である。大事なことは、何故に超古代の優れた巨石加工技術や建造技術が伝承されなかったのかの疑問に迫ることである。

 

技術の伝承にとって必要なことは、物的な問題と人的な問題がある。とりわけ重要なことは人的伝承、つまり人の知識である知的伝承である。やはり、技術が伝承されなかった最大の理由は、人類は遠い過去の時代に滅亡を何度も繰り返したことによって、伝えるべき人間が消滅したことによって技術も消滅したとの結論に到る。人の持つ知識とその移転こそが唯一、技術の伝承の道であり、何かの書物から得られることではなく、具体的な人から人への導きこそが、技術の奥儀を次世代に伝承させる。これなくしては技術は時間と共に廃れていき、何時か全てが忘れ去られていく。

 

人類が何度かの滅亡を繰り返したのは確かであり、人類滅亡の原因は氷河期の繰り返しや地軸移動のボールシフトによる壊滅的な自然災害であった。人類滅亡は繰り返し、その滅亡から生き残った少数の人類は、その都度ゼロから文明を立て直してきたのであり、その痕跡は超古代遺跡に遺されている。その時間は何千年前よりも遥か以前である何万年、何億年前に高度な文明が存在していた可能性もある。現代のアカデミックな文明論など消し飛ぶほどの真実の人類史が明らかにされようとしている。

 

今発掘されている超古代遺跡は、現代でいうところの外部記憶装置であったのではないか。メモリアル施設建造の意味は、後世にその時代の情報や意図を伝えるためである。何を伝えたかったかは、その建造物の意匠に表現される。つまり形が意味を持つ。意味を形で伝えることができる表現者は芸術家でありアーチストである。超古代には多くのアーチストが世界各地に存在していた。彼らは表現することで自由に生きていた。

 

 

2014年01月14日

 

超古代知性説-15

 

概要-2

 

知性の確立

 

何らの束縛も制約もなく自由に表現できた形態の意図を超古代の遺跡や遺構から知るためには、何らの束縛も制約もなく自由に理解する知性が必要だ。自由なる知性は真実を追求しようとする意思から形作られる。無知の中には歴史さえも存在しない。ただ現実認識の現在が存在するだけだ。時空間を超越する認識は人の持つ知性の中に存在しているのである。そして訪れる人の死は、その人の持つ知性の消滅を意味する。だからこそ知学としての生死観は重要な意味を持つが、未だその定理は確立されていない。

 

その時代の技術も知性も、その時代の文明が崩壊すれば死滅する。これまでの文明は、勃興し、堕落し、死滅する循環構造の上で存在している。今はその循環する時空間円構造のどの位置にあるかを知るだけである。ひとつの文明が崩壊すれば傍らには何も残らず朽ちた巨大な廃墟のみがその文明が存在していたことを示すのみである。人の生死も文明の生死も同じであることを知る。生と死の過程の中の時空間に技術も知性も存在し、同時代の中でしか理解しえないのだ。しかし探求心を持ち知性の向上を求めてやまない人は、自らを取り巻く全ての情報分析のなから自己の立ち位置を理解し確定しようとする。

 

人の待つ知性の確立は超古代でも現代でも同様に可能である。なにも現代人が過去の人類よりも優れているなどの認識は真実ではない。ならば現代人が造っている現代社会システムに匹敵する超古代社会システムが存在していたとしても何ら不思議ではない。このような認識を獲得する事によって歴史的真実の探求が始まる。超古代の優れた巨石加工技術や建造技術に対してどのような仮説で説明しても、それは仮説でしかない。超古代の優れた技術を現代において再現出来ないならば、超古代人が現代人よりも優れていたことを認めなくてはならないときが来ていることは確かである。数万年前の人類は洞窟にすみ、毛皮を着て、石の斧で動物を捕食していたなどというアカデミックな歴史認識など現代知性の劣化を意味するだけである。超古代に優れた遺構を建造した社会システムが存在していたことは真実である。優れた知性を理解するには、より優れた知性でなくては理解することはできない。ここに超古代知性説の核心がある。

 

 

2014年01月17日

 

超古代知性説-16

 

概要-3

 

真実の知性

 

例えばひとつの建造物を造る場合には、人的、物的な製造システムが必要である。その時代の建造物にはその時代の文明のレベルが色濃く反映される。

 

現代に於いては、まず発注者がいて「この様な場所でこの様な建物をこの様な予算でこの時期までに造りたい」という建造意図がある。そしてその建造意図を具体化を表現する建造設計士がいる。建造物の設計には「この様な技術でこの様な規模でこの様な形態でこの様な構造である」ことを示す建造意匠構造計画が必要がある。具体的な建造方法が確定したならば「この様な資材とこの様な人材とこの様な工法で建造する」施工計画を策定し、建造に必要な量の建造資材、建造に必要な技術を持った人材、工具を確保しなければならない建造現場管理者がいる。具体的な建造現場では「この様な時期にこの様な量の資材と人員を投入しこの様な精度で建造する」製造工程管理指示者がいる。そして発注者の意図に合った建造物が完成する。

 

これは高度な建造システムであり、このシステムを構築しなければ構造物は建造できない。そしてこのシステムの完成度が高いほど精巧な建造物が築造できる。現代に於いても建築物の建造システムが物の生産システムのなかで最も複雑で高度なシステムであり、多くの資材と人材と技術を要する。超古代遺跡を観ると、この高度な建造システムを超古代人が獲得していたことは確実であり、これを可能とする高度な知性と高度な文明が成立していたことに疑いの余地はない。ただアカデミックな考古学会が隠蔽しているだけである。数万年前に高度なシステムをもつ文明の存在を認めれば、これまでの古代史が根底から覆ってしまうことを恐れるあまりに、純粋な歴史的真実の探求を目指す考古学理念からは程遠い結果を生み出していることに気づかないほど、知性の劣化が進んでいる。

 

人類のもつ知性は社会システム構築の基盤をなすものであり、そして個体である自己の知りえる情報の探求と分析と考察によってしか高度な知性は得られない。知性は思考の流転の中で自己システムから社会システムの高度化を目指す。ある時空間の知性のレベルが、その存在している社会のレベルを示し、自己システムのレベル以上の社会システムは構築しえないのである。優れた知性と高度な社会システムを構築していた超古代人が持つ知性の存在を認知なくしては、真実の知性を語る人類史は理解できない。

 

 

 

2014年01月20日

 

超古代知性説-17

 

概要-4

 

自我の誕生

 

「歴史から学べ」と言うが、人は過去から学ぶことはできない。歴史と言った時点で真実である現実的事象が隠蔽されることを知る。作られた過去の歴史観は抑圧的社会システムを生み出す装置と化す。真の歴史とは知性の伝承であり、それは個別的である。そして人類のみが優れた社会システムを持っているのではなく地球上の全ての生命体は種の生存維持のための優れた社会システムを持っている。生命体の生存本能は遺伝子情報の中に組み込まれ伝承されているのである。しかし人の知性は生命誕生後から形創られるのであり、同時に自己が認識される。それは生命の誕生と共に生まれる自我の誕生であり、物質の肉体と精神の知性が現象として生成される。

 

超古代遺跡から知るべきことは問いかけであり、答えは自らの知性に宿る。知性は理解であり認識であり感性である。理解なくては知性は深化しない。人として知性の深化を希求するならば認識を広めなければならない。そして自らの感性を鍛える中に真の知性がある。真の知性は時空間を超えるのである。知性にとって言語は優れたコミュニケーションツールではあるが自由精神抑圧の武器にもなる。知性は言語以上の総合体であり長い時間の中で形成されると共に、一瞬の時間の中に於いても形成されることを知る。知性の閃きは一瞬の時空間次元の中に出現する。

 

古代インド哲学によると宇宙の根元をブラフマン(brahman)と呼び、それに対して人間に内在する原理をアートマン(atman)と名づけ、その二者が一体化した状態を求めることとなった超古代人の持つ知性を言語や文献のみから知ることはできない。まして言語によるギリシャ文明を発祥とする近代哲学などから超古代人のもつ優れた知性を根本的には理解できない。何故ならギリシャ以前の文明はギリシャ以後の文明よりも劣っているという定説が前提であるからであり、始めから前提が真実でないために結果も真実に辿り着けないのである。

 

人の持つ知性のレベルが全ての認識のレベルになる。自己の認識レベルと他者の認識レベルに違いがある以上、この現実認識に差異が生じるのは当然であり現実は人それぞれの知性の中に存在する。そして知性は人の流転の中でどの様にも形成される。本来、自由なる知性は全ての束縛から解放されなくてはならないが、人は物質としての肉体を持ち、生物としての束縛から解放されることはできない。肉体が滅びれば精神も消滅する。人は物質と精神の狭間の中で挌闘し、自らが生きようとするならば他者を束縛する必要性に縛られる。それが社会構造を形成してきた理由だろう。自由と抑圧の過程が歴史と呼ばれる。よって言語として語られる歴史は如何様にも形成される理由である。超古代知性説は、勃興し、堕落し、死滅する社会循環構造の一断面を知的情報として得ることにある。そして超古代文明は確かに存在していたのである。

 

 

2014年01月021日

 

超古代知性説-18

 

概要-5

 

 

 

コスタリカ真球

 

「このコスタリカで見つかった石は、30トン以上の大きな物から手のひらに乗るような小さな物まであり、それぞれが星や幾何学模様などに配置された形で見つかったと言われている。この石球の奇妙なところは、その大きさはともかく、形状が幾何学的にほぼ真球に作られていることである。と言うのは、例えばこの石球の円周を5つ別の角度から計ったとき、3通りがぴったり6メートル14センチ6,8ミリで2通りが6メートル15センチ95ミリとミリ単位の誤差でそれら2通りも1,2センチの差しかなかった。別の球を計って見ても、ほとんどすべて同程度の加工がなされている。この石は硬い花崗岩で作られており、重量は1キロ台から25トンのものまである。直径や角度をどこから測っても誤差が0,2パーセント以下の物もある。さらに直径が2つとも2メートル00センチ66ミリと、ミリ単位の誤差の石が2つ同じ場所から発掘される例もあった。いったいこの石球は、誰にどのような手法でここまでの加工を成されたのであろうか。

 

このような石を作るには石球製作者があらかじめ完成品の大きさを予測、計測できるだけの高度な幾何学的知識と、それを実現できるだけの同じく高度な成形技術を併せ持っていたことを意味する。25トンならその倍の50トンくらいの石を、回転させて削るような技術が必要になってくるわけだ。それにこの石はこの付近では算出されない。10数キロはなれた場所で花崗岩が算出される場所はあるが、石を切った形跡はいまだに発見されていない。(これは南米のほとんどの巨石遺跡に共通する事である、どこから運ばれたかまったくわからないのだ)最大50トンもの石をどこから持ってきたのであろうか、考古学者は、多数の人が長い年月をかけて製作したと言ってお茶を濁しているのであるが、一つだけならまだしも本格的に調査が始まりだした1993年までで、300の真球がみつかり、まだ杖を地面に突き刺したら硬い石に突き当たるほど、地中にも残っているという状況である。現在では相当な数が発掘されているであろう。それだけの石をどれだけ多くの人がどれだけかけてこれを製作したのであろうか。記録も一つも残っていないのも腑に落ちない。スペイン侵略で南米や中米にあった記録のほとんどが焼き払われたといわれているが、それにしても伝承の一つも残っていないのはおかしな話である。つまり人々の記憶にも残らないほど昔に作られていたということである。」

 

http://www14.plala.or.jp/mrchild/love-ooparts1.html

 

 

完璧な球体である「真球」を作るには極めて高度な幾何学的技術と形成技術が必要とされ、現代の技術でも石をこのレベルの真球体に加工するのは非常に困難である。1990年代になってコンピューター制御によるハイテクマシンが開発され、人工的に真球を作ることが可能にはなったが、それでも完璧な真球を作ることが出来るのは直径1メートルまでだという。

 

超古代の巨石加工技術により残された遺跡は世界各地にあり、今も新しい遺跡が発掘されている。その優れた巨石加工技術の中でもNO1の技術力を表現しているのはコスタリカ真球であろう。当然ギザの大ピラミッドやテオティワカンなどの大規模な巨石建造技術も優れているが、1930年代の初めにコスタリカの密林で発見された石の球体である、このコスタリカ真球の製造に超古代の巨石加工技術が使われ、その技術は現代技術よりも優れていたことを理解し、現代文明よりも優れた超古代文明が存在していていたことが明確に実感できる。

 

 

インカ帝国の首都クスコの石組

 

コスタリカから遠く離れたクスコの石組に於いても高い巨石加工技術が使われている。しかし3次元構造体の真球の製造は格段に難しい。コスタリカ真球を知って思うことは「それにしても伝承の一つも残っていないのはおかしな話である。つまり人々の記憶にも残らないほど昔に作られていたということである」が真実であろう。考古学者が、いとも簡単に「文明を持たない未開人が石器だけでも、何年も費やせば真球加工は可能である」というが、常識的考えて硬い花崗岩を人力と石器のみで精度の高い真球を造るなど到底深不可能であることは解るだろう。理解不能な現実が存在しているにも関わらず無視する考古学会はばかげている。

 

 

コスタリカ真球

 

コンセプト

 

「後世に認識された歴史」は、客観性に対する疑念から免れない。考古学的発掘や遺跡などを分析して得られた断片的な情報から対象の歴史を構築しようとしても、その取捨選択の過程で主観的な視点が加わる事は否定できず、結果はある種の解釈や、時として願望または思い込みが紛れ込む可能性がある。」

 

「英語の "history" やフランス語の "histoire" はラテン語の historia を中立ちとして、古典ギリシア語で「探求して学んだこと、知り得たこと」を意味する "ἱστορία (historia)" に由来する(現代ギリシア語では ιστορία (istoria))。」

 

「歴史」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』

 

真実の歴史は、人の持つ体験と記憶の中にある。記憶は情報であり知性の形成基盤である。そして個人の持つ知性の中に歴史が創られる。個人史の中にこそ真実があり、社会が作り出す歴史とは権力者や歴史学者が都合よく書いたものであることを知る。本来の歴史とは個人が「探求して学んだこと、知り得たこと」であり、他者から教えられるものではない。超古代文明の探求が歴史の真実を明らかにする。

 

西洋文明は、旧約聖書で書かれている世界と別の高度な文明の存在が明らかになってしまえば、創世の前提さえも崩れ去り、現在の全ての宗教の基盤が崩壊し、西洋文明史が根底から覆されてしまうだろう。だからこそ超古代文明の存在を認めようとしない。しかしそんなことはどうでも良いことだ。アカデミックな文明史などは真実を語っていないだけであり、真実は超古代遺跡製造技術と優れた技術を持つ超古代人の知性の中にある。それを知ることこそが超古代知性説のコンセプトである。

 

 

2014年01月25日

 

超古代知性説-19

 

概要-6

 

石に刻まれた歴史

 

人類の古代史を探求すれば「紙に書かれた歴史」と「石に刻まれた歴史」の違いを知る。「紙に書かれた歴史」は評価であり、歴史を造ろうとする人々の創作であり「歴史は勝者によって書かれる」のである。しかし歴史を「循環的」と見るか「直線的」と見るかが歴史評価の要因に挙げられる。例えば古代の「歴史記述」に頓着しなかったインドの時間感覚は「循環的」に分類され、人間界の出来事など一瞬でしかなく、これらを体系的に記述する事に意味を見出さなかった。しかし文明の発展に伴い、歴史を「直線的」に捉え、社会の様々な事件や出来事を記録するようになった。言い換えれば、様々な現実的な出来事が歴史書に遺されなければ「無かったこと」になってしまうのである。都合の悪いことは歴史に遺さずに無かったことにしてしまった歴史が紙に綴られていて、後世に遺され国家や体制の支配の構造に利用されてきたことを知る。

 

「近代西欧における「歴史の進歩」という考えは、未開から段階を踏んで高度な文明に達するという時間的区別と、文明的西欧、半未開あるいは半文明のアジア諸国、未開のその他地域という地理的区別とを重ね合わせた。啓蒙主義の時代には、文明は野蛮を征服し教化するものであり、またそうすべきであると考え、また対外的な侵略と支配を正当化した(帝国主義)。19世紀には進化論が大きな役割を果たし、社会進化論を生み出して、文明と野蛮について説明するようになった。本来「進化」には下等から高等へ一直線に段階を経るといった意味はなく、また進化しなかったものが即劣っているというわけではなくそれぞれの環境においてどのように適応出来たかというのを考察するものであった。」

 

「文明」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』

 

アカデミックな歴史観によると、数千年前に世界最初の文明であるメソポタミア文明・エジプト文明・インダス文明・黄河文明が誕生したとされている。原始的農業を経て灌漑技術を生み出し、都市を構成し、冶金技術も生まれ、神官階級が文字を生み出し、歴史時代が始まり現代に到る歴史と文明が正論として語られている。それは歴史観として「野蛮・半開・文明」の直線的な「進化論的文明論」であるが、これは真実ではないことが超古代文明の存在によって明らかにされている。

 

超古代文明によって遺された「石に刻まれた歴史」とは如何なるものなのか。それは、遥か太古に長い時間を使って超古代人の知性が固い石に刻まれている。ここには作られた歴史ではなく、真実の歴史と文明が刻印されている。それは直線的文明論ではなく、何万年、何億年前から人類の文明は、何度となく勃興と滅亡を繰り返す「循環構造的文明論」の上で存在していることを知る。歴史の呪縛から解き放たれ、目覚めた者のみが知る真実を探求することが重要だ。人類の文明起源が旧約聖書に書かれた創世ではなく、人類の文明発祥が四大文明ではなく、有史以前に現代より高度な文明が存在していたなら、現代の世界観は一変されるだろう。超古代知性説の考察と理解によって、人種観や宗教観や文明観を根源とする人類の無益な争いに終止符が打たれ日が訪れるかもしれないことを期待する。

 

勝手創千界への

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2013年

6月

09日

勝手創千界から世界へ

この世界が持つ多くの問題への解決は待っていては果たせない

より良き社会を目指して我が「勝手自由なる提案」を創り上げていく

そして「勝手創千界」の描く世界から解決に向けての一歩を踏み出す

10 コメント

2013年

1月

01日

勝手にエネルギー論を構築する

人類の行く末は「エネルギー」を如何に獲得していくかである。

日本の社会も経済も「エネルギー問題」の解決抜きには語れない。

6 コメント

2012年

10月

02日

新しいエネルギー開発に向けて

「水危機」と「エネルギー危機」が目前に迫っている。この二つの「危機」だけでも「人類の生存基盤」の危機である。 一刻も早く、地球と人類にとって安全・安心な「自然エネルギー」「再生可能エネルギー」の開発が求められている。

10年、100年先の「危機管理」として、今から行動しなければ遅いことは明白だ。

「消費社会」から「循環社会」「持続可能社会」「自然共生社会」「エネルギー自立社会」へ向けての「意識改革」と「構造改革」が重要である。

7 コメント

2012年

7月

08日

新しい日本改造に向けて

国の言う「国民のための判断」が本当でないことが明らかにされているいま

国民の持つ価値観として、何が大事で何が大事でないかという判断や、ものごとの優先順位づけ、ものごとの重み付けの体系の価値判断から、3.11震災を契機にした「新しい価値観」と「国民全体の幸福度」についての「提言」が、いまこそ日本に必要である。

10 コメント

2012年

6月

04日

勝手に発想法を研究する

差し迫る「少子高齢化の縮小社会への突入」「産業の空洞化」「エネルギー問題」「雇用問題」「財政問題」等々・・・日本社会が抱える問題は多岐に渡るが、政治や行政や官僚に「問題解決能力」の欠如が著しい。

さらに日本の技術を支える産業界や学界の「研究開発機関」においても「劣化」が進んでいる。

今こそ「フロンティア精神」と「新しい発想」が連動して「革新的なイノベーション技術」を生み出していくことが必要だ。

6 コメント

2012年

5月

01日

自然エネルギーと共に生きる

日本の自立と未来を切り開くためには、日本の国土に適合した再生可能エネルギーの社会が必要であり、最先端の日本技術を結集して「世界に誇れる日本」を創っていかなければならない。

15 コメント

2012年

4月

07日

勝手創千界から「尊敬される日本」へ

まず、現状のまま進行した100年後の日本の未来を想定し、その想定社会状況から、今必要な「方策」を考えてゆく視点が必要ではないかと思っています。新しい視点が必要です。

「勝手創千界」による「勝手な発想」が「脳内停止」状態の人々に「インパクト」を与えなくてはいけません。

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2012年

3月

11日

3.11震災から海上都市計画へ

3.11震災を契機として、日本という国家のもつ様々な問題点が明らかにされ、新しい国家像が求められている。たぶんこのままでは、さらに日本の解体状況は進んでいくだろう。ラブーン海上都市計画がひとつの方向性を提示できればと思う。

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2012年

2月

19日

勝手に復興計画 in 石巻を提案

3.11震災からの新しきまちづくりとして「勝手に復興計画 in 石巻」を発進いたします。

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2011年

12月

31日

ホームページ開設

3.11震災以降、如何にすれば「津波につよいまち」が可能なのか?考えてきました。

その「ひとつの答え」を提示できればと思います。実現に向けて多くの人の意見を求めています。

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