3.11東日本大震災から

  3.11震災当日 

 

震災当日は宮城県山元町にいました。今まで体験したことのない大きくて長い地震のあと、しばらくすると、「津波がくるぞ」とスピーカからの切迫した叫び声とけたたましい警告音が海の方向から聞こえてきて、ただならぬ雰囲気が伝わってきました。10M以上の大津波警報が出されていることを知りました。すこし高台から海の方向を見ると「得体の知れない黒いもの」が迫ってきました。それが津波だと解るまで、しばらく呆然としていました。

なにが起きたのか解らないまま、その日の夕方に津波がきた境の地域まで行きました。そして目にしたものは「何もない」風景でした。海まで見渡す限り何もありませんでした。そこに存在していたと思われる人、家、木々、道が、黒くなった地面とグチャグチャな瓦礫がその存在を微かに示す以外に「何もない」のです。私の理解を超えた何かが起こったことは確かでした。

辺見庸の言う「それらの光景と音にわたしは恐怖をさらにこえる「畏れ」を感じ、非情無比にして荘厳なもの、人智ではとうてい制しえない力が、なぜか満腔の怒気をおびてたちあがっていた」のことばのとおりただただ立ち尽くしていました。

 

  そして次の日

 

きのうのことの状況を確かめたくて朝早く車で山元町の同じ場所にいきました。いつも見なれた風景とは異質な情景が広がっていました。海岸までにはまだ何キロもあるのに、海のように海水が見渡すかぎり続き、目に付くものといえば、何台もの車が横倒しになり、そして逆さまになり、積み重なって畑だったと思われる場所は湖のように変わり果て、そのなかにおもちゃの車ように現実感なく原型をとどめない車が浮んでいました。この世の風景とは思えませんでした。

さらに歩いて海の方角に進んでいくと、家の残骸とおもわれる瓦礫がうず高く積まれていて前に進めませんでした。そして左右を見ると何もないと思っていた場所には家の基礎だけが残されていました。それも何十軒分の基礎だけが、家がそこに昨日まで存在していたことを示していました。より悲しみが増してきました。そして怒りが込上げてきました。少し変ですがそのとき考えたことは、どうしてこんなに家は弱く、もろいのだろうかと。人を守ることもできない家なのかと。その時から、津波につよい家が、住む人を守ることができる家ができないものかと考えました。この巨大で絶大な津波、家も、木々も車も電信柱も、そして人も全てなぎ倒してしまう強固な海水の壁、津波に何としてでも勝ちたいと思いました。

その思いが「津波につよい海辺のまちづくり」の出発点です

3・12に私が目にした情景(山元町)

これまでのグランドデザインが「耐津波」対策をおろそかにしてきた現実があります

3.11東日本大震災の津波被害

3・11震災の津波

 

上記画像をクリックしたときに再生されるこのアニメーションGIFは、地震研究所、東京大学、隆教授古村とプロジェクト研究拓前田から来ています。

 

http://supersites.earthobservations.org/201103_Tsunami_DrSatake.gif

日本近海の放射能拡散シミュレーション

 

JCOPE2を用いた拡散シミュレーションの結果の1例として、セシウム137について2011年3月21日から2012年1月末までの挙動を示したものが下の動画です。

 

http://www.jamstec.go.jp/frcgc/jcope/htdocs/fukushima.html

 

 

3.11震災の津波高さ

『東北地方太平洋沖地震津波合同調査グループ』より転載
『東北地方太平洋沖地震津波合同調査グループ』より転載
『東北地方太平洋沖地震津波合同調査グループ』より転載
『東北地方太平洋沖地震津波合同調査グループ』より転載

津波についての考察

・津波の威力について

「津波(つなみ、津浪)は、地震、地滑り、海底火山の噴火、隕石の落下などの原因により発生した大規模な水(通常は海)の動きによってできる高波である。風や低気圧などの気象学的要因による波とは異なって、11波の間隔である波長が非常に長いことが特徴で、大きな津波によって過去に幾度も災害が発生している。

日常的にみられる波浪と同じ高さの津波もあるが、両者では波の性質が全く異なる。津波は1波の背後に大量の海水が控えているため、海岸線に到達するとそれが大きな水圧となってとめどなく押し寄せ、人や物を押し流して大きな被害を及ぼす。」

「海底地形の変化や海水の体積変化、海水への衝撃波によって引き起こされる長周期の波であり、重力を復元力として平坦なジオイド面に戻ろうとする作用によって伝搬する重力波である。」

「断層が活動して地震が発生した時に、海底にまで断層のずれが達して海底面が上下に変化すると、海水までもが上下に移動させられてその地形変化がそのまま海面に現われ、水位の変動がうねりとなって周囲に拡大していき、津波となる。大地震においては、数十kmから時に1,000kmを超える長さ、数十kmから数百kmの幅の範囲で、数十cmから数十mという規模で、数十秒から数分の間に、海底が一気に隆起する。この体積変化のエネルギーは巨大で波長が非常に長いため、ほとんど失われることなく海水面の隆起や沈降に変換されて津波を生じる」

「津波は周期や波長が長いという特徴がある。これは津波の波源域が広く、波長がその影響により決まるためである。一般に水面に見られる津波でない波は、風によりできた風浪である。その風浪の周期は長いものでも10秒程度、波長は通常は150mくらいである。これに対し津波は、短い周期でも2分程度、長いものでは1時間以上にもなり、波長も100kmを越す例もある。このため、津波が内陸に押し寄せる際の水位の高まりは、あたかも海面自体が上昇したような状態になって、大きな水圧や流れによる破壊力が加わる。また津波が引く際にも、一旦高くなった海面が、沖の低くなった海面に向かって引いていく形になり、やはり大きな破壊力を見せ付ける。じっさいにもチリ津波では、函館の実例の水位差は押し波が2m、引き波が3mであり、引きが強かった。このような場合は押し波で破壊された物やもともと陸にあった物などが海に持ち去られる被害が大きくなる。

津波は通常複数回押し寄せ、10回以上に及ぶこともある。2波、第3波が最も大きくなる傾向があり、その後次第に小さくなっていく。また、第2波、第3波は1時間以上後に押し寄せてくる場合もあり、完全に津波が収まるまでに地震発生から数日を要する場合もある。」

「津波による水の圧力は非常に大きく、沿岸の広い地域に被害を与える。一般的に被害が起こる高さの目安は50cmとされる。東北地方太平洋沖地震では2m以上浸水した地域の建築物の6割が倒壊した。」

「例として、2mの普通の波と津波との違いを比較する。2mの普通の波は、海上で普段から偏西風や低気圧(気流)、月の引力などの影響を受けるため、少なからずデコボコが生じる。このデコボコの差が2mあるだけで、波長や波を形成する水量は比較的少なく、海岸に達した所で沿岸地域に被害をもたらす事はそう多くはない。これに対し2mの津波は、地震などによる海底の隆起または沈下により海水面自体が普段より2m盛り上がり、それがそのまま海岸に向かって伝わっていく。言い換えれば、2mの急激な海面上昇が起こることに近い。

つまり、2mの普通の波は海岸に少量の海水をかける程度であるのに対して、2mの津波は何kl(キロリットル)もの海水が一気に海岸地域を襲い、自動車や多くの人を簡単に飲み込み沖へ引きずり込んでしまう程の威力がある。2mの「波」の水量は2(m)×波長数(m)×0.5×約0.5×海岸の距離(m)で、海岸1mに押し寄せる波の水量は波長3mとして1.5m3(=1500リットル)、ドラム缶数本分である。一方、2mの「津波」の水量は2(m)×波長数十km(m)×0.5×0.5×海岸の距離(m)で、海岸1mに押し寄せる津波の水量は波長10kmとして5,000m3(=5,000キロリットル)、競泳用プール2つ分となる(体積の比較参照)。2003年に発生した十勝沖地震では、実際に2mの津波に飲まれ命を落とした人が確認されている。また、陸地に近づくと水流が建造物などを壊しながら内陸部へ進み、それらの瓦礫を巻き込むことによって破壊力を増す。人的被害では、津波の水は海底の砂や岩とともに微生物・有害物質などを巻き込んでいるので、津波に巻き込まれて助かった場合でもその後「津波肺」での被害が発生することがある。」

-ウィディペキア「津波」より

 

・地震による被害

地震により地盤が揺さぶられると、地震による被害と液状化が起こる場合があり、その時は堤防、防潮堤、地盤を沈下させたり破壊したりする。堤防、防潮堤の機能は弱まり被害は大きくなる。また防潮堤・水門は人員や電気が無かったり、間に合わずに閉められず被害が拡大する。また都市部では河川敷や河川沿いの低地に地震避難場所を設定している場合が多いので、避難場所を津波が襲うこともあり得る。大都市は大河川が作った平野にあるので、避難途中の人々が通る道や河川をさかのぼった津波が襲う可能性も指摘されている。

-ウィキペディア「津波」より

 

・防潮堤の施工不備による被害

防波堤や防潮堤は基本的には土木工事になり、建築工事のビルやマンションの建築工事の構造基準に比べ、その審査はゆるいといわれている。建築のRC造(鉄筋コンクリート造)にくらべ、鉄筋量は少なく、津波に破壊された防潮堤の断面を見ると「無筋」だったり、鉄筋が腐食していたりしていた。そしてただ地盤に置かれていて、転倒されている、これまでの防潮堤が「かっこだけ」の耐震性や耐津波性能もない防潮堤である。

 

・建造物への津波の威力は、いまだ構造的に解明されていない

建築基準法には、一切「対津波」に対する構造基準は示されていない。やっと「津波避難ビル等に係るガイドライン」で津波の力学的解析が始まったばかりであり、防潮堤の構造基準についても同様であろう。さらに津波の高さは、地震の規模や地形によるが、強固な構造物の面にあたると、推進エネルギーが垂直エネルギーに変わり、高さは2倍になると言われている。今計画されている「防潮堤の高さ設定」は、この現象を無視し「これまでの津波の最高高さ+1m」とされている。本来10mの津波が来たところは20mの高さの防潮堤を作らなければ意味がない。今のままだと、また同規模の津波がきたら乗り越えられてしまうと思う。

 

・防潮堤では津波の威力を削ぐことはできない

「津波は後ろからの大量の海水の重さと勢いを持っている」ため、その推進エネルギーは「海水の重量」と「スピード」で決定されているため、人工物でその「圧倒的なエネルギー」を削ぐことなどできず、何分か津波の到達時間を遅らせるだけのものでしかないだろう。防潮堤は高潮から沿岸をまもる機能に限定させ、津波には「無力である」と認識し、「すこしは津波から守ってくれる」という期待、願望は一切持たないほうが良いのかもしれない。津波安全地帯のお墨付きが造り直した「防潮堤」では、また「悲劇」が繰り返さると思う。

日本の地震と津波被害

3・11震災の津波被害状況

3・11震災からの提起

3.11震災は何をもたらし、3.11震災以降は何を求めていくのか。

それは人様々であるが、多くの人の心に大きな「インパクト」を与えたのは確かだろう。

やはり「どうしたいのか」から思考しなければならない。

 

  「つまり――今こそ“発想の転換”が求められているのである。」

 

 この3・11震災を契機とした “発想の転換”の提起の中に、今の日本の置かれている「閉塞感」を突破する方策が秘められている。

 

「ならば――まさに今こそ、日本が生まれ変わるチャンスとは言えないだろうか。」

 

だからこそ、「こうしたいのだ」を考え、提起したい。

 

 

-以下引用-

 

-ma地震研究シリーズ

http://homepage2.nifty.com/GmaGDW/grw/wdr/wdr000.htm

 

-中略-

 

-突き詰めると、結局は「最悪の事態を想定した防災対策を整備する」ことに尽きである。

 

考察23にも書いているように、数百~数千年に1度、という巨大な自然の猛威への対策は、何が重要なのかをきちんと把握した上で実施せねば、それこそ税金の無駄遣いとなり経済的にも悪影響だ。

ただ単に「想定外の大災害が起きたから見直しましょう」だけでは不十分だと思うのである。環境問題への国際的な取り組みで、しばしば「持続可能な開発」という言葉が使われるように、日本という国が、その社会が、この厳しい自然環境の中で数十年、数百年と歴史を積み重ねて行くには、どのような対策を(原子力災害に限らない)優先的に行っていけば良いのか。

 思えば近年、様々なジャンルで「長期的ビジョンの欠乏」を懸念する声が上がっていることも意味深である。今なお災害が継続中である状況で、余り遠くを見過ぎるべきではないかも知れないが、これは、「視野を広く持て」という、大自然からの手荒なメッセージかも知れないのである。

 いかに確率的には低くとも、“運命の日”はいつか必ずやって来る……終末思想の話ではない。東北地方太平洋沖地震は確かに「想定外の巨大地震」だったが、「あり得ない地震」ではなかったはずだ。地震活動が全くなかった地域ならともかく、この地域では過去に大きな地震が何度も起きている。ならば、それぞれの震源が連動して、より巨大な地震となる可能性も、ゼロではないはずだ。そういうことを考える研究者が、これまでただの1人もいなかったとは思えない。「これまでのパターンからは考えにくいがあり得ないとは言えない」くらいの考えはあったと思うのだ。そういうスケールの災厄も、「現実に起きることがある」ことが今回証明された。「視野を広く持て」というのは、そういう意味でもあるのである。

 

原発防災という視点から言えば、1000年に1度の巨大災害に、完璧に耐え切るシステムを作るのは、経済的にも非効率的であろうと思う。しかし、そういう事態も「あり得なくはない」として、仮に将来起きた場合に、無傷ではなくとも大打撃になりにくいとか、大惨事になりにくいとか、そういうシステムの改良を進めていくことは、十分に有意義な選択肢になるはずなのである。

福島原発の“重要な教訓”の1つは、「非常時における原子炉停止と核燃料冷却手段の優先確保」と言える。

原子炉建屋に高い耐震性を持たせることは言うまでもないわけであるが、その周囲に置かれている設備のうち、非常時対策に関わるものも、原子炉建屋に匹敵する対策が望まれる。高いリスクを秘める「原子炉に関わる環境」全てに、ランクダウンがあってはならないということだ。

 また、更に長期的には、「社会構造」そのものにも、メスを入れていくべきかも知れない。これは福島原発のトラブルにも通じることなのだが、簡単に言えば流通の問題である。

被災地では瓦礫などで道路が寸断されて陸の孤島が多数生まれており、ライフラインの復旧はおろか、避難生活を続けるための物資の補給すらままならない。「あと1~2日で水も燃料も食料も底を尽く」と、危機的な状況に悲鳴を上げる避難所もあるようだ。東北地方に比べれば局部的な被害で済んでいるはずの首都圏で起きている、計画停電の混乱にしても、被災地にあった原発始めエネルギー施設の機能停止などによって、引き起こされたものだ。

そしてこれらの重大な混乱の背景にあるのが、グローバル化した流通システムでる。

数百km、時には数千kmも離れたところから物資をトラックや船で運んだり、電気に代表されるエネルギーを長大な送電線網やパイプラインで運んでいるのが現代社会である。社会が広範に渡って正常に機能している時は問題はなく、むしろアクティブな経済活動が展開されているが、今回のような広域複合災害が起きた時、これほど脆いものはないということが証明されてしまった。海や山を越えて運ばれる物資やエネルギーに生活資源を依存しているために、こういう事態が起きている。

福島原発にしても、燃料棒冷却という重要なシステムが津波で軒並みやられたため、重大な事故が起きた。広い意味ではこれもまた、津波で大打撃を受ける可能性のある施設に、対策を依存していたためだろう。

前例はあったはずなのだ……例えば16年前の阪神・淡路大震災。神戸という流通拠点とそれにつながる交通ルートが、地震で壊滅的な被害を受けたため、阪神圏という流通の大動脈がマヒするという事態に陥り、広範に渡って障害をもたらしたはずだ。総額13兆円と言われる被害のうち、3兆円はこうした流通障害によると言われている。

 このままでいいはずがない。

 自給自足とまでは言わないが、もっと地域単位で完結し得るシステムの構築が必要ではなかろうか。地方自治の時代が叫ばれているのに、グローバル流通に経済を依存し、大災害の煽りを食らって機能不全に陥るようでは、将来が不安だと感じるのはG-maだけだろうか。グローバリゼーションの潮流を否定する気はないが、現状はアンバランスと言うほかない。備蓄するだけではなく、地域にある程度まで自力で生産できる能力があるべきだろう。確かに日本は全国的に慢性的に資源が足りない……しかしそれは、視点1つと言うことも出来る。

 日本に決定的に足りない資源に社会の維持を依存していること自体が、そもそも欠陥ではなかろうか。

 もちろん言うのは簡単である、現実はそんなに甘くはない。しかし、この構造的欠陥を先送りにすると、間違いなく第3・第4の流通障害が起きるだろう。津波で壊滅的な被害を受けた被災地の復興に関して、とある地震学者が興味深いコメントをしている。

 「大胆かも知れませんが、今ある町を放棄して、新しい町を築く選択肢も視野に入れるべきです」

 彼は、「今後も大津波の恐れのある地域に頑なに住み続けるのはリスクが高すぎる」と言ったのだ。大幅に町を移すような大事業でなくとも、例えば10m、あるいは20mという高台に町を移すだけで、今回のような大津波による悲劇的な災厄のリスクは、確実に軽減されるだろう。不謹慎かも知れないが、町全体が押し流されて更地になった今だからこそ、こういう選択も出来る。日本の多くの大都市が、太平洋戦争の敗戦を機に、空襲で焦土となった土地に近代的な街を建設したように。全てを失ったということは悲劇だが、見方を変えれば全てを作り変えられるということでもある。漁業などの生活手段まで捨てる必要はない……町だけ高台に移すだけでも全く違うはずである。

 

  つまり――今こそ“発想の転換”が求められているのである。

 

これは流通の問題にも、十分に応用が利くことではないだろうか。ないものねだりをして遠くの資源を買うより、国内の近傍から有用な資源を見つけ出すのである。日本近傍の海底斜面にも豊富にあると言われる、マンガン鉱床やメタンハイドレートも然り。

また日本の山林の何割かは人為的に整備された杉林なので、そこから新たな資源を発掘できるかも知れない。こうした“地元の資源”を発掘し活用していくことが、地域の自給率や経済力を高めるはずだし、広域流通に消費されるエネルギーの1部が浮いて“エコ”でもあるのだ。

 手前味噌な話で恐縮であるが、G-maは以前、「災害救援に使える都市機能船」を提案したことがある。リアル空想プロジェクトにアップしている“ARKⅡ・方舟構想”がそうだ。外洋タンカー級の大型船を並列結合して、その上に構造を組み上げて“動く海上都市”を築くという案だ。

リアス式海岸のように入り組んだ入り江や、破壊された港湾に直接横付けすることは出来ないが、救援物資の搬送拠点として有用な価値があるはずであり、被災地で溢れた被災者の1部を受け入れることもできる。こうした発想が意味を持つことは、被災地の沖合いに展開している米軍の空母や強襲揚陸艦が、自衛隊などの救援部隊のヘリポート・ターミナルとして、活用されているという事実が証明しているし、阪神・淡路大震災の後には、大手ゼネコンが“災害救援台船”なる構想を発表したことがあった。

 都市開発と言えばいわゆる“ハコモノ事業”と批判されることもあるが、ARKⅡはいわば「動くハコモノ」と言うべきものだ……無線ネット完備のノートパソコンのように。今回のような広域複合災害の場合、特に被災地近傍に対策本部や支援拠点を設置することが難しい。小さな町ほどのサイズと機能を持つ船舶であれば、その需要に応えられると思ったのだ。

 ARKⅡはメカ好きなG-maによる、リアリティを内包する(多分)が現実にない妄想の1つである。しかしその発想が「あり得ないものではない」証拠が幾つもあるわけである。

都市というのは普通「動かないもの」だが、それを動かすという、これもまた発想の転換と言える。圧倒的な自然のパワーに対峙するには、人類側も柔軟であるべきだと思うがどうだろう。古代の五重塔や、現代の高層ビルが、自ら揺れて地震を受け流す“柔構造”も、似たようなものだ。

 国土自体もそうだが、平地が少なく、基本的に農耕民族である日本人は、土地への執着が強い。しかし、世界でも屈指の荒々しい風土で暮らしていく以上、もう少し柔軟性があってもいいように思う。

技術立国として発展してきたため、今回のような桁外れの猛威がないと気付きにくいが、地震に台風に高潮に大雪に火山噴火と、砂嵐を除くあらゆる災害が猛威を振るうのが日本の風土だ。日本人の勤勉性や忍耐力も、突き詰めればこの風土が育んだのではないかと思うが、その結果、世界でも有数の技術力を誇る、東アジアの先進国として評価されてきたことは事実だろう。

 

 ならば――まさに今こそ、日本が生まれ変わるチャンスとは言えないだろうか。

 

1000年に1度という巨大な大自然の猛威が、この時代にタイミングを合わせたことは何の縁なのか。1990年頃のバブル崩壊による経済の低迷を「第2の戦後」と表現することがあるが、今回の事態は「第3の戦後」と言うべき事態と見るべきかも知れない。破局的な巨大災害に、重大な原発事故に、深刻なエネルギー欠乏……日本と被災地が置かれた状況は厳しい。

 しかし過剰に恐れ、悲観するべきではない……過去の深刻な災厄から、日本は何度も復活したからだ。もちろん、初めて経験することも多い……M9クラスの巨大地震が先進国を直撃したのも世界初だ。しかしそれを言うのなら、関東大震災も、都市部を焼き尽くした戦時の大空襲や原爆も、全て初めての体験だったはず。

 そこから粘り強く復興してきたのなら日本人の英知と逞しさだというのなら、今ほどそれが必要な時期はない。 

 -考察24:地震大国ニッポンの核問題と未来への提言より転載

 

 

世界的に大きな影響力を秘める国が、世界史上屈指の大自然の猛威の洗礼を受けた。

その意味は、歴史的に見て非常に大きいのではないか、と筆者は思っている。

実は以前から筆者は、「行き詰った日本を最後に救うのは巨大な自然災害ではないか」と考えていた。

不謹慎な意見ではないか、と思われるかも知れない――それももっともな反応である。

しかし歴史を顧みるに、日本に限らず、しばしば大規模なクライシスが歴史のターニングポイントとなり、その苦難をバネに多くの意義深い発展が現実になってきたはずである。中には滅んだ国もあったが、新たな国の誕生につながり、歴史を未来に押し出したはず。

そして日本は、世界でも屈指の“自然の荒神”に翻弄されてきた国である。

そんな“日本の厳しい風土”が、今回改めて証明されることになったわけだが、その荒れ狂う大自然の上に1億人以上が住み、世界屈指の経済大国が生まれたのは何故なのか。その豊かな“地震列島”を、考えられる限り最大級の猛威が直撃したことは、何を意味するのか。

 考えれば考えるほど、筆者はこの“絶妙なタイミング”に身震いせずにはいられないのである。

 誇張なく世界史上屈指の超巨大地震と、史上最悪レベルの大津波が、閉塞感に襲われて自身を喪失した極東の経済大国で、度肝を抜くほど圧倒的な猛威を振るい、津波の直撃を受けた原子力発電所で、史上有数の深刻な放射能漏れ事故が勃発し、日本の中間部品に依存してきた海外の製造企業に重大な危機感を抱かせ、世界中の国々が、日頃の外交的因縁を放り出して“日本の救済”を重視した、という事実。

 

  ――これを歴史的大事件と言わずして、何と言えばいいのだろう。

 

もちろん、歴史というのはひとえに、後世の子孫が過去を振り返って評価するものである。しかしそれでも、今回の巨大災害が日本と世界の未来にもたらした、良くも悪くも非常に大きな“可能性”を考えるに至り、それを歴史的と言わずにはいられないのである。

 現場では今もなお深刻な災厄が進行中である……物資不足にあえぐ被災地、予断を許さぬ原発情勢。リーダーシップ不在が囁かれる政府や電力会社の不手際も、決して軽視できるものではない。

けれども、広い意味では今や、“震災後の世界”は次のステップに踏み出している、と言えないだろうか。復旧から復興へ――と1言で済ませてしまえば「当たり前の展開」かも知れない。しかしその展開は、後世の子孫に「あの時世界が変わった」と言わせるだけの変革の可能性を秘めている。少なくとも筆者は今回の大震災が、それだけのインパクトを持って余りあると思えるし、これほどのインパクトで「日本が変わらない」とも思えないし、またそれは考えたくないことでもある。

 何故なら、少なくとも日本にとって、これ以上の自然の猛威は、ほとんど考えられないからだ。(東京直下型地震が起きれば人的被害はずっと大きい可能性があるが、災害スケールとしては空間的に小さい)

これでもしも日本が「変われない」としたら、もはや自然にはなす術がないことになり兼ねない。

マグニチュード9の巨大地震と、20m超の巨大津波と、世界的に重大な原発事故が起きたのである。

これだけの災厄から日本が、いや人類が「何も学ばない」はずがないではないか。いや何かを学び取り、この圧倒的な猛威も経験値にしてこそ、真の意味で復興を遂げられるはずであろう。

 だからこそ、筆者は日本のこれからに期待するのである。例え楽観論と言われようが、不謹慎と言われようが、悲観論に徹して萎縮するよりずっと有意義だからだ。

 

そう――日本(と人類)は今、大自然に試されているのである。

           -考察25:東日本大震災がもたらしたものより転載

 

116年前の大津波克明 明治三陸地震 新たに写真48枚

 

「崎浜村被害ノ全景」。現在の大船渡市三陸町越喜来の海岸。防波堤などはなく、大きな被害が出た(石黒敬章氏所蔵)

 1896年6月15日に起きた明治三陸地震による大津波に襲われた被災地の写真48枚を共同通信は2日までに入手した。陸に打ち上げられた帆船、全壊した家屋、広範囲に散らばる流木、ぼうぜんとする人々など最大30メートル以上の大津波が岩手県沿岸に達し、死者が2万人以上に上った116年前の惨状を鮮明にとらえている。
 東京都在住の古写真収集家、石黒敬章さん(70)が保存。石黒さんの父親が、明治時代の著名な写真師・中島待乳(まつち)の遺品として入手したアルバムの中にあった。
 被害を伝える写真は米メディアが報じたものなど他にもあるが、今回の写真は保存状態が非常に良好で「崎浜村(現・岩手県大船渡市三陸町越喜来の崎浜地区)被害の全景」などすべてに説明が付いている点で記録性が高い。臨時病院での治療の様子や、病院の床に布団を敷いて座る被災者など東日本大震災直後の被災地の状況と重なる写真も多く、専門家は「津波と防災の歴史を考える上で第一級の資料だ」としている。

 

2012年05月03日木曜日

勝手創千界への

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2013年

6月

09日

勝手創千界から世界へ

この世界が持つ多くの問題への解決は待っていては果たせない

より良き社会を目指して我が「勝手自由なる提案」を創り上げていく

そして「勝手創千界」の描く世界から解決に向けての一歩を踏み出す

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2013年

1月

01日

勝手にエネルギー論を構築する

人類の行く末は「エネルギー」を如何に獲得していくかである。

日本の社会も経済も「エネルギー問題」の解決抜きには語れない。

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2012年

10月

02日

新しいエネルギー開発に向けて

「水危機」と「エネルギー危機」が目前に迫っている。この二つの「危機」だけでも「人類の生存基盤」の危機である。 一刻も早く、地球と人類にとって安全・安心な「自然エネルギー」「再生可能エネルギー」の開発が求められている。

10年、100年先の「危機管理」として、今から行動しなければ遅いことは明白だ。

「消費社会」から「循環社会」「持続可能社会」「自然共生社会」「エネルギー自立社会」へ向けての「意識改革」と「構造改革」が重要である。

7 コメント

2012年

7月

08日

新しい日本改造に向けて

国の言う「国民のための判断」が本当でないことが明らかにされているいま

国民の持つ価値観として、何が大事で何が大事でないかという判断や、ものごとの優先順位づけ、ものごとの重み付けの体系の価値判断から、3.11震災を契機にした「新しい価値観」と「国民全体の幸福度」についての「提言」が、いまこそ日本に必要である。

10 コメント

2012年

6月

04日

勝手に発想法を研究する

差し迫る「少子高齢化の縮小社会への突入」「産業の空洞化」「エネルギー問題」「雇用問題」「財政問題」等々・・・日本社会が抱える問題は多岐に渡るが、政治や行政や官僚に「問題解決能力」の欠如が著しい。

さらに日本の技術を支える産業界や学界の「研究開発機関」においても「劣化」が進んでいる。

今こそ「フロンティア精神」と「新しい発想」が連動して「革新的なイノベーション技術」を生み出していくことが必要だ。

6 コメント

2012年

5月

01日

自然エネルギーと共に生きる

日本の自立と未来を切り開くためには、日本の国土に適合した再生可能エネルギーの社会が必要であり、最先端の日本技術を結集して「世界に誇れる日本」を創っていかなければならない。

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2012年

4月

07日

勝手創千界から「尊敬される日本」へ

まず、現状のまま進行した100年後の日本の未来を想定し、その想定社会状況から、今必要な「方策」を考えてゆく視点が必要ではないかと思っています。新しい視点が必要です。

「勝手創千界」による「勝手な発想」が「脳内停止」状態の人々に「インパクト」を与えなくてはいけません。

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2012年

3月

11日

3.11震災から海上都市計画へ

3.11震災を契機として、日本という国家のもつ様々な問題点が明らかにされ、新しい国家像が求められている。たぶんこのままでは、さらに日本の解体状況は進んでいくだろう。ラブーン海上都市計画がひとつの方向性を提示できればと思う。

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2012年

2月

19日

勝手に復興計画 in 石巻を提案

3.11震災からの新しきまちづくりとして「勝手に復興計画 in 石巻」を発進いたします。

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2011年

12月

31日

ホームページ開設

3.11震災以降、如何にすれば「津波につよいまち」が可能なのか?考えてきました。

その「ひとつの答え」を提示できればと思います。実現に向けて多くの人の意見を求めています。

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