人体と地球と循環社会の考察-1
人体の「構造と機能」を知れば、どのようにして「循環社会」を創ればよいのか理解することが可能であるのでないかとの思いがある。
ウィトルウィウス的人体図 (レオナルド・ダ・ヴィンチ)
人体器官と機能
Ⅰ 運動器系
①骨格系
体をささえ、運動のベースを作り出す役割を担います。骨は全身に200個あり、一定の法則に従って連結されて骨格を作っています。骨格系は筋肉の力を借りて受動的に運動し、また、造血機能を有し、さらに重要な器官を保護しています。
②筋系
骨格と共同して体を支え、運動の原動力を作り出す器官です。骨格筋と内臓筋に分かれます。骨格系と筋系を併せて運動器系と呼んでいます。
Ⅱ 循環器系
からだの各組織に酸素および栄養素を運搬し、体内の各部で生じた分解産物=老廃物を肺と腎臓に運ぶ働きをしています。・血管系:血管(動脈・静脈・毛細血管)・リンパ系:リンパ節・リンパ管
Ⅲ 呼吸器系
酸素を取り込んで炭酸ガスを排出する器官です。呼吸器系は外鼻、鼻腔、咽頭、喉頭、気管、気管支、肺、胸膜から構成されています。
Ⅳ 消化器系
食物からエネルギーを取り込んで、体で利用しやすいように処理する器官です。消化器系は口・咽頭・食道・胃・小腸・大腸・直腸・唾液腺・膵臓・肝臓から構成されています。
Ⅴ 泌尿器系
老廃物を排泄し、体内の水分、塩分、PHなどを調節する器官です。泌尿器系は腎臓・尿管・膀胱・尿道から構成されています。
Ⅵ 生殖器系
種族維持の目的で働く器官です。精子(男性側)と卵子(女性側)が合体して新しい個体が生まれる有性生殖を行います。・女性生殖器系:卵巣・子宮・乳腺・男性生殖器系:精巣・陰茎
Ⅶ 内分泌系
ホルモンを分泌してからだの働きを調節する器官です。内分泌を営む主な器官には、甲状腺、上皮小体、脳下垂体、松果体、副腎、胸腺、膵臓、精巣、卵巣などがあります。
Ⅷ 脳神経系
感覚を受け止め、運動を作り出し、内分泌を調節するからだの司令塔の役割を担う器官です。からだの各部は互いに連携し、協調して働きます。
Ⅸ 感覚器系
外界の情報を取り込む窓口であり、ものをみたり、音を聞いたり、においをかいだり、また痛みを感じたりする器官です。感覚器系は視覚、平衡感覚、聴覚、味覚、嗅覚、及び一般感覚(皮膚感覚・深部感覚)などから構成されます。
頭蓋骨のスケッチ(レオナルド・ダ・ヴィンチ)
完璧な「循環機能」をもつ「人体」と「ガイヤ」生命体の仕組みの中に、人類が、今必要とされる「循環型社会」の方向性を示す「ヒント」がある。
人体と地球と循環社会の考察-2
血液のめぐり方について
http://health.goo.ne.jp/medical/mame/karada/jin020.html#kaisetsu
「血液は心臓を中心にして体全体をめぐっていますが、それには大循環(体循環)と小循環(肺循環)の2つのルートがあります。
血管には心臓から体の末端に血液を送る動脈と、体の末端から心臓に向かって血液を送る静脈とがあります。動脈系は、左心室の大動脈口から始まる大動脈という1本の本幹があり、それから枝分かれして全身に分布しています。これらの動脈はさらに分枝しながら最終的には毛細血管(もうさいけっかん)となり、各組織に血液を運びます。毛細血管は再び合流して静脈となり、やがて太い大静脈となって心臓に戻ってきます。このように心臓と各組織との間をめぐるルートを大循環(体循環)といいます。
一方、これとは別に心臓と肺との間をめぐる血液のルートがあり、これを小循環(肺循環)といいます。小循環では、心臓から肺に行く肺動脈内には、大循環の動脈とは逆に二酸化炭素を多く含んだ静脈血が流れ、肺から心臓に向かう肺静脈内には、肺でガス交換をして酸素を多く含み、きれいになった動脈血が流れています。」
人間のもつ「血液循環システム」ひとつ見ても、その完璧な構造はただ驚くばかりであり「神秘的」である。
複雑で進化したネットワークである人間の「社会システム」であっても、人の持つ「人体システム」を超えることは不可能であろう。
人体と地球と循環社会の考察-3
細胞の仕組みについて
http://health.goo.ne.jp/medical/mame/karada/jin003.html
「細胞は人体の構造上、機能上の最小単位です。ヒトは40~70兆個もの多くの細胞から成り立っています。細胞はさまざまな形を持ちますが、基本的な形は球状です。大きさの多くは10~30μmです(1μmは1000分の1㎜)。
細胞は原形質と呼ばれる半流動性のコロイド溶液からなっています。この原形質は細胞質と核とからなり、表面には薄い細胞膜があります。細胞質はコロイド状の無形質と、有形質とからなっていますが、有形質のなかでも一定の機能を有するものを細胞(内)小器官といい、ミトコンドリア、ゴルジ装置、中心小体、小胞体、リボソーム、リソソームなどがあります。細胞は普通1個の核を持っており、タンパク合成を基本として細胞の成長、再生、増殖などに関与します。
また、核内には1~2個の核小体と小粒子状の染色質(せんしょくしつ)が散在しており、細胞分裂期には染色質は染色体(せんしょくたい)となります。染色質から作られる染色体の中にはDNAが含まれますが、このDNAが遺伝に関係しています。」
極めて小さな中に精巧なシステムが組み込まれた生命体が人の持つ細胞である。
それは「成長、再生、増殖」の循環システムを持って生命を維持している。
今必要とされる「循環型社会」や「持続可能社会」の社会システムは、人体の持つ完璧な「循環システム」から学び「お手本」にするべきである。
人体と地球と循環社会の考察-4
肺のはたらきと肺動脈・肺静脈について
http://health.goo.ne.jp/medical/mame/karada/jin024.html
「肺のはたらきは呼吸に関連しています。鼻から始まった空気の通り道、気道が左右の気管支に分かれ、それぞれ左右の肺に入っていきます。
肺門から肺の内部に入った気管支はどんどん枝分かれして細くなり、最終的には肺胞となります。 肺胞の周りには毛細血管が網の目のように取り巻いており、呼吸によって取り入れた肺胞内の空気から、酸素を血液中に取り入れ、血液中の二酸化炭素は肺胞内に押し出し、〝ガス交換〟が行われます。
肺門には、気管支、肺動脈、肺静脈が出入りしています。肺動脈とは心臓から出て肺門から肺に向かって血液を流す血管で、肺静脈は肺から出る血液を心臓にもどす血管です。
肺動脈と肺静脈とは、その管の中を通る血液の性状が異なっています。心臓にもどる血管、肺静脈中を流れるのは肺胞から酸素をもらったきれいな血液で、二酸化炭素を肺胞に出してしまう前の汚れた血液が流れているのは、心臓から肺に向かい、肺内に入ってきている肺動脈ということになります。」
「酸素と二酸化炭素とガス交換機能」を持つ「人体システム」は、生命存続の基盤であり、地球(ガイヤ生命体)が「酸素製造機能」を持っていることにより、人類は地球環境の「循環システム」の一部として生存が許されている。
人体と地球と循環社会の考察-5
大気と水の循環
http://tenbou.nies.go.jp/learning/note/theme1_3.html
地球上では、太陽エネルギーをエネルギー源として、大気や水が絶え間なく循環している。こうした循環で熱や物質が移動することにより、1つのまとまった「システム」として地球環境のバランスが保たれている。
大気大循環 ~熱を運び、雨や風をもたらす大気の流れ~
赤道と北極・南極とを比べると、赤道の方が太陽の高度が高く、日差しも強い。そのため、赤道の方が地表面に届く太陽エネルギーは大きくなり、気温も高くなる。こうして生じる温度差を少なくするため、赤道から高緯度地域に向けて熱を運ぶ大気の流れが生じる。これが大気大循環の基本である。
ただし、実際の大気大循環では、地球の自転の影響(コリオリ力)を受けて、大気の流れは少し複雑になり、緯度方向に3つの循環に分かれる。つまり、北半球、南半球それぞれの低緯度(約30°以下)で見られる「ハドレー循環」、高緯度(約60°以上)の「極循環」、そして、その間の中緯度の「フェレル循環」である。これらの循環によって、地表面では、低緯度で「貿易風」、極地で「極偏東風」と呼ばれる東寄りの風が生じる。また、コリオリ力の強い中緯度では循環が明確ではなく、大きく蛇行した西寄りの風「偏西風」が吹く。
大気大循環は熱や水蒸気の移動をともなうため、地球規模の気温や降水量の分布に大きな影響を及ぼす。また、熱帯性低気圧や前線などが定常的に発生する要因にもなっている。
海洋大循環 ~コンベヤーベルト理論と海洋水の流れ~
海洋における水の流れは、海面を吹く風の働きによって生じる「風成循環」と、水温や塩分濃度からくる密度の違いによって生じる「熱塩循環」とに分けられる。
このうち風成循環は、深さ数百m程度までの表層の流れ(表層流)であり、日本近海の「黒潮」「親潮」と呼ばれる海流も、北太平洋をめぐる風成循環の一部といえる。
一方、熱塩循環は、数百m以深の深層の流れ(深層流)であり、秒速1cm程度で極めてゆっくり流れながら、平均1,000年(最長2,000年)程度の時間をかけて全海洋を循環すると考えられている。一般に、海洋の表面水温は北極や南極に近い高緯度地域で低温となり、塩分濃度は大西洋の方が太平洋よりも高いことがわかっている。そのため、低温で塩分の高い水、つまり密度が高く“重い”海水は、北大西洋のグリーンランド沖などに多く分布し、そこで表層から深層への強い沈み込みが発生すると考えられている。
こうした海洋大循環は、膨大な量の水や熱、各種の化学物質を輸送する役割を果たすとともに、長期的な気候変動にも影響を及ぼすといわれている。地球温暖化によって、海水温の上昇や、氷河・氷床の融解による塩分濃度の低下が進むと、海洋大循環が変化し、地球の気候が大きく変化する可能性が懸念されている。
海洋大循環の概念図(コロンビア大学 ブロッカー博士のコンベヤーベルト理論による)
出典:日本海洋学会教育問題研究部会「海の教室」
地表面からの熱放射 ~リモートセンシングで見る海面水温の分布~
地表面に届く太陽エネルギーの大部分は、熱として地表面に吸収される。そして、暖められた地表面から再び、赤外線として大気中に熱が放出される。これを熱放射という。
下の図は、地球上の海面から放出される熱(赤外線)の大きさを人工衛星で観測し、そのデータをもとに地球規模の海面水温を推定した結果である。図をながめると、水温は東西方向にほぼ一様に分布し、赤道域から極域に行くほど低温になることが読み取れる。また、東太平洋の赤道域(南米のペルー沖)は、周囲よりも水温が低くなっている。これは、その周辺を吹く貿易風によって海洋深層から冷たい水が湧き上がるためである。この貿易風が弱まり、冷たい水の湧き上がりが少なくなると、世界各地に異常気象をもたらす「エルニーニョ現象」が生じるといわれている。
このような海洋・気象状態をはじめ、森林や砂漠の現状などを広域的に観測するために、リモートセンシングという技術が活用されている。リモートセンシングとは、人工衛星などに搭載したセンサー(測定器)を用いて、対象物が反射・放射する電磁波を遠隔(remote)から計測(sensing)することにより、物体の形状や性質などを識別する技術であり、土地の管理や災害監視などにも役立っている。
熱赤外リモートセンシングをもとに推定した地球規模の海面水温分布(1996年12月の月平均)
提供:宇宙航空研究開発機構(JAXA)
エルニーニョ/ラニーニャ現象 ~「神の子」による地球規模の気候影響~
太平洋赤道域の中央部(日付変更線付近)から南米のペルー沖にかけての広い海域で海面水温が平年に比べて高くなり、その状態が半年から1年半ほど続く現象を「エルニーニョ現象」と呼んでいる。逆に、同じ海域で海面水温が平年より低い状態が続く現象は「ラニーニャ現象」と呼ばれる。なお、“エルニーニョ”はスペイン語で「男の子(神の子)」、“ラニーニャ”は「女の子」という意味である。
通常、太平洋のペルー沖では、海面付近の暖かい水が、貿易風によって西側に吹き寄せられるため、海洋深層の冷たい水が海面に湧き上がりやすく、周囲よりも水温が低くなっている。そのため、貿易風が弱まると海面水温が通常より高くなり(エルニーニョ現象)、貿易風が強まると海面水温が通常より低くなる(ラニーニャ現象)。
これらの現象が発生すると、太平洋全域の海水温分布が変化し、これが気圧配置に影響を及ぼし、世界各地でさまざまな気候影響が現れる。日本ではエルニーニョ現象の発生時に冷夏や暖冬になりやすく、また夏と冬に多雨となる傾向がみられる。ヨーロッパ南部での夏の多雨による河川の氾濫や、アフリカでの小雨による干ばつなど、エルニーニョの気温や降水量への影響は人間生活にも大きな影響を与える。
エルニーニョ/ラニーニャ現象による太平洋赤道域の海面水温の変化
左:エルニーニョ現象(1997年11月) 右:ラニーニャ現象(1988年12月)
※平年に比べて高温の場合は赤(暖色系)、低温の場合は寒色系(青)で表示
出典:気象庁 気象統計情報「エルニーニョ/ラニーニャ現象とは」
地球はガイヤ生命体と呼ばれるように、人体の「循環システム」同様、大規模かつ完璧な「大気と水の循環」によって環境維持・保全している。
人体と地球と循環社会の考察-6
海と大気の生成と循環
http://home.q08.itscom.net/ryo-tai/sub2.htm
原始地球の大気は、今とは、かけ離れていた。 窒素と酸素からなる、現在の大気は、生命体によって作られた。
1.海と大気の生成
現在の地球の大気の四分の三は、窒素が占め、残る四分の一は酸素である。二酸化炭素やその他の成分は、ほんの微量に存在するに過ぎない。 しかし、太古の地球の大気の構成は、現在とは、大きく異なっていた。 創世記の地球の大気は、二酸化炭素、水蒸気、そして窒素を主成分としていた。 そして、大気圏上層部の水蒸気は、太陽からのエネルギーで、水素と酸素に分解され、他の元素と化学反応して、メタン、一酸化炭素、水、および二酸化炭素が合成された。 大気の80%は、二酸化炭素が占めていて、地球は、超温室状態であった。 大気中の水蒸気が雨となって地表に降り注ぎ、原始海洋が形成された。 そして海洋は、大気中の二酸化炭素を吸収して、窒素が大気の主成分となっていった。 やがて海洋に、生命が誕生し、およそ27億年前に登場した藍色細菌は、光合成を行うことによって、酸素を大気中に大量放出する。 地球の大気は、徐々に酸素濃度を高めていった。 酸素は、はじめは、大量に存在した鉄を酸化させ、沈殿させることに使われた。 鉄の酸化が終わった20億年前から大気中の酸素が増え始め、約10億年前には、現在の濃度になっていたと思われる。 つまり、現在の地球上の酸素は、光合成によって作られた。 一方で、二酸化炭素は、還元され、生物の体を作り、そして、生物遺骸は、地下に堆積し、石炭や石油を作った。 また、炭酸カルシウムを主成分とする生物の殻が海底に堆積して、地球内部に取り込まれ石灰岩となった。 大気中の二酸化炭素濃度は、さらに減少していった。 かくして大気は、その四分の三が窒素、四分の一が酸素という構成になった。
*注 現在の生物にとって欠かせない酸素のみならず、今日の産業文明を支える石炭、石油、そして鉄(酸化鉄鉱床)とセメント(石灰岩)の生成に、生物体が関わっているのだ。
暗示的であるのは、これらの生成が、生態系が存在しない、もしくは不完全な時、そして環境激変によって、生物体が大量に絶滅した時になされたと考えられることだ。
なぜなら、ここでは、物質循環が機能していないからだ。
2.炭素の循環と固定
二酸化炭素は、いうまでもなく、炭素と酸素の化合物である。 大気中の二酸化炭素は、炭素量換算で、おおよそ7400億トンである。 (ただし、この数字には研究機関によって、かなりの、違いが見られるが、ここでは下記の表に準拠した。)
陸圏には、生物圏の生体に6000億トン、枯死体に1兆7000億トンのあわせて、2兆3000億トンの炭素が固定化されているといわれる。 海洋に溶け込んでいる二酸化炭素は、はるかに多く、海洋表層の有機物に1兆億トン、中深層に無機物の形で、37兆億トン!の炭素が固定化されているという。 すなわち、ほとんどの炭素は、海洋に固定化されている。また、海洋は、1年間におよそ30億トンの炭素を蓄積している。
植物の二酸化炭素の吸収量は、年間1100億トン、また動植物の二酸化炭素排出量もほぼ同量で、生物間のやりとりは、均衡している。 人間が化石燃料を燃やし、また森林を伐採することによる二酸化炭素の排出量は、70億トンである。 海洋と植物によってそのうちの40億トンが吸収されたとすると、残りの30億トンが大気中に放出されている計算になる。 つまり、地球(地表)のほとんどの炭素は、固定化または循環することによって、バランスが保たれている。(増減がない)
ただ、人間活動によってのみ、大気と海洋中の炭素(二酸化炭素)の量が増加している。 事実、大気中の二酸化炭素の濃度は、この200年間に280PPmから360ppmへと25%増加した。 人間活動の影響が、自然の微妙なバランスに影響を与えている可能性は大きいとみるべきだろう。
地球上の炭素循環(単位:10億トン)
(環境庁地球温暖化研究会「地球温暖化を防ぐ」より)
地球環境と生態系は「循環システム」の微妙なバランスによって保たれている。
人間が造ってきた工業化社会は、地球資源である化石燃料を燃やすことによって維持してきたが、保たれてきた地球環境のバランスが崩れようとしている。 何十年、何百年先には地球環境と生態系の「破局」が待っているのだろうか。 その時どのような「変化」がおとずれるのかは、まだ解らない。
ただ、いつまでも「石油文明」は続かないのは確かだ。
人類は最高の「エネルギー資源」である「石化燃料」を失う時は必ず来るだろう。
「石油のない社会」を準備しなければならない。
人体と地球と循環社会の考察-7
地球生態系とは何か
http://home.q08.itscom.net/ryo-tai/ecosys.htm#label1
生物による有機物質と無機物質の相互変換という物質循環システムが生態系の基盤をなしている。そして相互変換のキーワードは、光合成と酸素呼吸である。
光合成と酸素呼吸
1.光合成
光合成とは、植物や、藻類が、太陽光エネルギーを使って、二酸化炭素(CO2)と水(H2O)から有機化合物を作る作用をいう。この化学式は、単純に表現すると、右式になる。 6CO2+6H2O → 6(CH2O)+6O2 この反応には、エネルギーが必要である。植物や藻類は、太陽光エネルギーを使ってこれを行う。光で有機物を合成するから、光合成といわれる。
2.酸素呼吸
酸素呼吸とは、生物が、酸素を使って有機物を無機物に分解し、この過程でエネルギーを得ることをいう。この化学式も、単純に表現すると、右式になる。 6(CH2O)+6O2 → 6CO2+6H2O これは、光合成の化学式と、まったく逆の反応である。また、この過程では、エネルギーを放出する。すなわち、有機物質に固定された化学エネルギーが、酸素呼吸による、有機物分解過程で取り出され、生命活動エネルギーとして利用される。その過程で、水と、二酸化炭素が放出される。これもまた、光合成と逆の反応になる。
3.光合成と酸素呼吸は「循環する系」
このように、光合成と酸素呼吸の反応式は、ちょうど、逆の反応になっている。したがって、この両方の反応が、同じ大きさで、起こっていれば、すべての物質が、過不足なく、循環する。つまり、このような状態では、光合成と酸素呼吸は、循環する系、かつ、閉じた系、を構成しているのだ。
*注 有機物合成の過程と、その分解の過程を単純に表したが、実際はもっと複雑だ。
生命は、自分自身を維持するために、材料とエネルギーを調達して、自らの体を構成する部品を作り出す。これを「代謝」と呼ぶ。代謝には「異化」と「同化」がある。「異化」は、複雑な有機物を、より単純な化合物に分解する過程から、エネルギーを引き出すことで、例えば、酸素呼吸によって、糖を分解して、二酸化炭素と水にする過程で、エネルギーを得る。また「同化」は(異化によって調達されたエネルギーを使って)、単純な化合物から、より複雑な、自身の体を構成する部品を作り出すことをいう。
光合成により作られた、グルコースから、アミノ酸が作られ、アミノ酸をつなげて、複雑なタンパク質が作られる。
4.物質循環システム
光合成と酸素呼吸による、「無機物質と有機物質の相互変換」は、この両方の反応が、同じ大きさで、継起すれば、すべての物質が、過不足なく、循環する。しかし、この相互変換に、アンバランスがあると、いずれか一方に物質が偏在してしまう。すなわち循環する系が不安定化し、滞ることになる。たとえば、地球の生命体が、植物だけで構成されているとしよう。植物は、当然、光合成の過程が、酸素呼吸の過程より大きい。したがって、左から右への反応のみが現れることになる。その結果、右側の物質が偏在し、左側の物質が不足してしまう。つまり植物にとって、食物の不足及び廃棄物の蓄積という事態になる。事実、太古の時代、地球は、光合成を行う藍色細菌(藍藻)が、ほぼ単一かつ独占的な生物だった時代があるが、藍色細菌(藍藻)は、大気中の二酸化炭素を、ほとんど酸素に換えてしまったのだ。これは、ある意味では、資源を食いつくし、廃棄物で満たしてしまったということになる。では、この相互変換をバランスさせるものは何か? それは、光合成生物の作り出した有機物を摂取し、酸素呼吸で分解する生物だ。
生態系
1.生態系の誕生
さて、最初の光合成生物の誕生は、約35億年前のことといわれているが、その8億年後、今より、約27億年前に、藍藻(藍色細菌)が誕生した。藍藻(藍色細菌)は、現在の高等植物と同じ光合成装置を持っている。大きな特徴は、水を分解して光合成を行うことだ。すなわち上にあげた方法で、光合成を行う生物の登場である。
この藍藻(藍色細菌)は、地球上で、長期にわたって、ほとんど唯一の独占的な生物として繁栄することとなった。およそ20億年の間といわれる。この長い時間をかけた、藍藻(藍色細菌)の光合成によって、大気中の二酸化炭素は、酸素に換わっていった。
酸素濃度の上昇によって、酸素なしで呼吸を行う(嫌気性)生物が姿を消していき、かわりに、酸素呼吸を行う(好気性)生物が生まれた。酸素呼吸を行う生物は、また、光合成生物を食物として摂取した。他の生物を食して生きる生物を、「従属栄養生物」という。これに対して、光合成生物は、「独立栄養生物」という。
「独立栄養生物」は、他の生物なしで生きることができるが、「従属栄養生物」は、他の生物を食することによって生きることができる。
この両者の活動、すなわち、独立栄養生物による光合成と、従属栄養生物による酸素呼吸がバランスすることによって、「無機物質と有機物質の相互変換システム」が成り立つことになる。太陽エネルギーの流入と、そして生物体からのエネルギーの放出以外には、物質は過不足なく、循環し、閉じた系=システムを構成している。
これを「生態系」という。しかし、この生態系は、「系=システム」と呼ぶには、まだ、はなはだ、心もとないのだ。
ただ一対の独立栄養生物と従属栄養生物のみの世界は、そのバランスは、きわめて脆弱と考えなければならないだろう。生態系が、安定したシステムとして機能するためには、多種多様の生物が、複雑な網の目のような経路を作って、1つの経路が壊れても、他が代替するようなバックアップシステムと呼べるようなものがなければならない。
「生態系」は、その誕生から、現在に至る、長い進化の道をたどることになる。
*注 生態系の語源: 英語では「eco system」という。「eco」は、「ecology」の略で、いまでは「環境」とか「環境にやさしい」といった意味に使われるが、もとは、「生物種と生物種相互の、及び、環境との関係」をいう、生物学上の概念だった
「eco system=生態系」は、その関係を、システムとして捉えようというもので、特に本論では、地球全体での「物質相互変換」に焦点を絞っている。
2.生態系の進化
藍色細菌は、「原核単細胞生物」である。20億年前に、原核単細胞の共生によって、「真核生物」が誕生した。真核生物とは、遺伝情報を担う物質を収納する核を持った生物である。真核生物から、「多細胞生物」が誕生した。そして「動物」と「植物」が分化した。6億年前に始まる、カンブリア紀(地質学の分類)には、「生命の大爆発」が起きる。長い間、藍色細菌が優勢に繁栄した単調な世界に、一気に多種多様な生命が誕生した。その理由については、植物食の真核生物のある種が、藍色細菌を大量に食した結果とも、あるいは、地球気候の大変動によって、藍色細菌が滅んだ結果とも言われている。いずれにしても、支配的生物の藍色細菌の絶滅が、多種多様な生物が誕 生するための条件を整備したと考えられる。4~5億年前に(光合成による酸素排出の結果として)、大気の上層に、オゾン層が形成され、地球に降り注ぐ有害な電磁波を防ぐ傘となった。
生物は、海から陸に上がって生活を始め、陸上植物や、脊椎動物が出現した。
このようにして、真核生物を始祖として、地球の生命と物質とエネルギーの循環は、生物の進化の過程で、受け継がれて、そして進化してきた。しかし、太古の生態系は、現在の生態系と一直線につながるわけではない。カンブリア紀の生命の大爆発や、顕生代の大絶滅、中生代の恐竜の絶滅など、地球環境の 激変による大規模な種の分化と交代の後に、また新たな生態系が形成され、物質と生命とエネルギーの微妙なバランスが保たれることになる。
3.現在の生態系
植物(生産者)、動物(消費者)、そして、微生物(分解者)と、大きく3つに分かれる生物が、有機物質と無機物質の相互変換システムを構成する。
では、現在の地球生態系の始原を、いつと考えればよいのだろうか。
一番短く考えて、種の生存に大きな圧力を加えた更新世の氷河時代(200万年前から1万年前の間で、この間の陸地 面積の3割を氷河が覆っていたと考えられている。)の終わりからとすると、、その歴史は、1万年にすぎないということになる。現在の生態系は、長い地球の歴史の中での、ほんの短い時間の間の、微妙で危ういバランスを保っているシステムと考えるべきだろう。
地球は「光合成と酸素呼吸」の生態システムとして循環機能は「微妙なバランス」を保っている。そして「地球の生命と物質とエネルギーの循環」は、生物の進化の過程で、受け継がれて、そして進化してきた。
しかし、このシステムは、環境の激変によって、容易に崩壊し、そして新しい生態系へとシフトしていく。
この先の地球の「新しい生態システム」には「人類」と呼べるものはいないのかもしれないという危機感がある。
人体と地球と循環社会の考察-8
人類の活動
http://www7b.biglobe.ne.jp/~sumida/Olduvai.html
産業革命以降、人間は農業以外にも多くの自分達だけのシステム(文明)を作り上げてきました。 この文明を現在支えているのは、いわゆる化石燃料エネルギーです。 このエネルギーと地球上の資源を使って、人類は産業(工業)を興し、都市を構築し、交通網を作り上げ、成長神話に基づいて市場をグローバル化してきました。まずは、自然の鉱物資源と化石燃料資源からプラスチックなどの新しい物質が次々と生産され、我々の生活を便利にしてきました。 化石燃料を大量に使用した結果、吸収源を伴わない炭酸ガス、硫黄酸化物、窒素酸化物を大気中に排出して環境を汚しています。
炭酸ガスを例に取ると、先に示したように人間の経済活動に伴う排出量は自然の炭素循環量の約4%に当たります。一体何%までなら許容範囲なのでしょうか? 巨大な地球というシステムに対して1%というのは、地球の環境を変えるほど凄いことだと思うのですが? さらに、人類による工業的窒素固定量は化学肥料の形で食料供給に寄与していますが、その量は生物による循環量の56%と言う大きな値になっています。 このほか、硫黄酸化物や窒素酸化物は酸性雨となり、森林や土壌を破壊し、自然の生態系を狭める結果を招き、大量生産・大量消費・大量廃棄の流れの中で多くの産業廃棄物をばら撒いていますが、これらの廃棄物の多くは環境汚染の原因として問題になっていることも良く知られている通りです。
人体と地球と循環社会の考察-9
循環社会の行方
地球上では、太陽エネルギーをエネルギー源として、大気や水が絶え間なく循環している。こうした循環で熱や物質が移動することにより、1つのまとまった「システム」として地球環境のバランスが保たれている。
地球上のあらゆる生命体は、ガイヤ生命体(地球)と共にバランスを保ちながら生きていると言える。
それは地球の成り立ちと、生物としての人間の「人体器官と機能」を見ると、まさに「生態系」として地球環境に適合するために、長い時を経て「進化」を繰り返してきたのは明らかだ。
完璧とも言える「循環システム」をもつ人体の仕組が、ガイヤ生命体(地球)と共に生きてきた「進化過程」を物語っている。
しかし一方で人類は「工業化社会」という「生産・消費システム」をつくり出してきた。その社会がもつシステムの本質は、地球が長い年月をかけて蓄積した「化石燃料エネルギー」と地球上の資源を使って、人類だけのシステム(文明)のために「大量生産・大量消費・大量廃棄」を行うことにある。
この、「限りなく人間の欲望を掻き立てる」中でしか成立できない経済システムによって、人間が作る非循環型のエネルギーや物質の量が地球上に形成されている自然の循環量に影響するレベルに近づき、人類の生存基盤に関わりかねない危機的状態に至っている。
それは、1つのまとまった「システム」としての地球環境がもつ「バランス」が崩れ去ろうとしているのであり、人類が「豊かさ」を求めてきた「工業化社会」は、今は人類の「危機」を招いているのである。
人類は「大いなる過ち」を犯してしまったのだろうか。
人類の科学技術の進歩によって解決が可能なのだろうか。
「真実」が見えにくい社会である。
『死と滅亡のパンセ(思考)』のなかで辺見庸が言う
「世界は良くなりながら、全く同時に、より酷く悪くなっている。富みつつより貧しく、自由でより不自由で、限りなく荒んだ世界が今である」
「これからこの国に展開するであろう悲劇が、先の敗戦時に散見された奈落よりも甚大かつ無限の連続性をおびている公算が大であるにも関わらず、全的滅亡に備える心の構えも言葉も、殆ど持ち合わせないのは、けだし幸せであり、同時に絶望的に不幸なのである」
の認識は鋭く正しい。
この「危機感」から逃れることはできない。
問題解決 への道筋はどこにあるのか。
ガイヤ生命体(地球)と共に築いてきた「バランス」を取り戻すことが必要である。
少し前までは人類は「循環社会」の中で生きてきたのではないか。
そして『北の国から』の倉本 聰が言う
「人間が本来持っているはずの体の中にあるエネルギー。そのエネルギーの消費を抑えるということである。そのエネルギーの能力に応じて、急ぐことを避け、身の丈に合わせた人間生活を身分相応になし遂げることが、本来のつつましい暮らしではなかったか。」
「一番必要になってくるのは、あの、”黒板五郎の生き方”ではないかという気がします。つまり、モノとかカネとか、そういったものに頼らない、自然からいただいて質素に暮らすという旧来の日本の生活を取り戻すことが今一番望まれているのではないかなという風に思います。」
しかし環境問題も「環境ビジネス化」してしまう経済社会の中で、真の危機が見えてこない。
情報の全てが「コマーシャル化」され、「自然エネルギー」さえも「商品化」される。
数値化された「経済指標」と「生産性」の中では「環境問題」は解決されるどころか、増すます悪化していく。
「エコ」の名のもとに進められている「環境問題対策」が、企業の利益追求の「エコビジネス」「エコ減税」で本当に「環境問題」を解決できるのかは疑わしい。
たとえば「太陽光発電」は「売電」で利益を得ようとする企業による「電力関連事業」によってしか進められていない現実は「自然エネルギー革命」とは言い難い。単に「太陽光発電機器の産業廃棄物」を作っているだけである。本来の「自然エネルギー活用」には程遠い。
自然の環境悪化が招く「悲惨な現実的な将来」と、工業化による「豊かな未来への幻想」との「いたちごっこ」を続けている経済社会の行く末が悲しい。
そして「経済界」という「修羅の世界」を生み出した人類は、際限のない「エネルギー消費」の果ての「社会崩壊」に向かっているようである。
(修羅は終始戦い、争うとされる。苦しみや怒りが絶えないが地獄のような場所ではなく、苦しみは自らに帰結するところが大きい世界である。)
経済至上主義の中でしか、国家の行く末を示すことができずに、「モノとカネ」を奪い合う更なる競争社会へと突き進んでいるようだ。
地球資源には限りがあり、エネルギー資源が尽きれば「社会」は終末を迎える。
資源とエネルギー無きところには「工業化社会」の未来はありえないが、これまでのように「豊かな未来幻想」を振りまいて、消費のみに依存してきた経済社会が「地球資源の枯渇」と同時に訪れる「社会の経済的破綻」が目前に迫る「真実」を前にして、恐れる「経済界」でも、国民にこのまま目を背けさせる「情報隠蔽政策」を取り続けることもできない。
地球環境悪化の「真実」を知れば、工業化社会のもつ成長至上主義の前提である「浪費社会」から、循環型の「脱浪費社会」が求められていることが理解できる。
だが「脱浪費社会」へ向かうには、人としての生き方に対する「覚悟」が必要だ。
自然エネルギーとの共生可能な循環社会へ向けての、一つの「結論」は
モノとかカネとか、そういったものに頼らない「自然からいただいて質素に暮らす」という人間の「本来の生活」と「慎ましい幸福感」を得る社会に戻るしかないのではないか。
そのために「覚悟」することが出発点だと思う。
(完)