ロード・オブ・ザ・リングの世界観
人口減による縮小社会を目前にして、この社会は大きく変わろうとしているのだろうか。自らの感受性の問題ではあるが、何か底知れぬ恐怖感が社会に蔓延している様相である。ひとつの文明が終焉を向かえることは宿命ではあるが、既存の体制が混乱し崩壊していくことを良しとしない人にとっては、縮小化によって形骸化し機能不全している体制維持に奔走し、抑圧と支配が自己目的化するのである。この狂気の支配に対峙していくには、様々な社会現象の原因と結果の評価分析を自らの知的情報の構築と自己選択による行動によってしか果たせない。それは自らの生き方による選択の問題なのである。
この世は人の欲望が支配する狂気社会である。人類の本能として具わっている欲の精神世界が実体社会を創り出しているのであり、見渡せば果てしない欲望渦巻く世界である。人は欲の塊りであり、欲望を抑えることが出来ず無欲さえもが欲である。それは欲の語源が、空いた穴に水が流れ込む様を表す如く勢いよく止めなく全てを飲み込もうとする人類だけが持つ精神の根源であり行動の基本であり、欲望がこの社会を形成している。欲望世界がこの世の真実である。そして自らを映し出す鏡の中に狂気と悲しさを纏うゴラムが観える。
物欲と支配欲に塗れ、損得でしか価値判断をしようとしない人同士の争いが今も続いている。この社会は我欲である私利私欲の強き者が勝者として讃えられ、無欲な者は弱き者として虐げられている。支配層によって欲の争いが演出され、あらゆる局面において欺瞞と嘘に満ちている。残忍さ、邪悪さ、そして生きるものすべてを支配したいという欲望を注ぎ込んだ闇の冥王サウロンの指輪の魔力の如く、現代社会は欲の魔力によって支配され、悲惨な争いから抜け出すことが出来ないでいる愚かで稚拙な人類が、何十億も地球上に存在しているのである。
この世にとって何が正義で、何が悪なのかの理解と判断は不確定である。今の宗教戦争のなかに社会正義など存在しているのだろうか。自らの神を信じない者は全て悪であり邪悪で殺戮の根拠とされている。宗教支配など人類だけがもつ最も愚かな欲であろう。本来何かを信じることなど最も私的な思想であるはずだ。個の持つ思想の支配など出来るはずもないのだが、欲が興じると他者の思想さえも支配できると勘違いし、狂気なる支配社会が形成される。そして人は醜悪な容姿に残忍な性格を持つオークと化すのである。
人類の生存を可能にしているのは、自然という環境が生み出す空気であり、水であり、食糧であり、宇宙から降り注ぐ太陽光に代表される地球環境の恩恵の中で生いるのであり、人は神という支配者によって生かされているわけではないだろう。滅びゆく人類の思想は支配の道具と化した宗教によって狂気へと変わってゆく。まるでサウロンの指輪を追い求めるように、所有欲や支配欲の先には破滅と滅びしかないとしても、現代人はオークの如く欲望を抑える理性が欠けているために、果てしない欲を追い求めて止むことがなく、無益な争いが繰り拡げられている。
永遠なるものなど何一つない無いにもかかわらず、支配者は永遠の支配を求めて止まない。永遠の社会、永遠の文明、永遠の宗教世界と言うものは支配のための虚言であり嘘で塗り固められている。人は肉体的にも精神的にも脆弱であり、寿命はたかだか数十年である。それは地球の歴史から見ればほんの一瞬の時間のなかだけの儚い存在であるために、その弱さゆえに永遠なるものを求める。そして滅びの山に向かうビルボも欲が生み出す永遠の力への幻想によって苦しめられる。人の欲がもつ果てしない流転の先に東洋思想の解脱による超越的精神力がひとつの解決を生み出す。解脱とは永遠の時間軸ではなく、時空間を超越する一瞬の時間軸の中に生じる自由意識領域であって、本能が持つ支配欲からの解放が可能となる精神領域である。
人は感情と言う精神領域によって行動が選択されている。その領域は社会が持つ波動に共振し共鳴することによって行動が影響される。人同士の争いの原因である底知れぬ恐怖感と他者への憎悪の真相は、抑えようのない箍の外れた欲望による精神領域の支配にある。まさに狂気の完全なる支配である。この文明は、肉体を持たない闇の冥王サウロンの目によって管理された狂気世界の如く、恐怖と憎悪による支配の繰り返しであり、肉体も精神をも支配された悲惨な殺し合いが、文明が滅ぶまで止むことはない。支配と解放、悪と正義、不幸と幸せという定義も立場によっては捉え方が異なっている。その全てが不確実の世界にあって真実は見えてこないが、欲である煩悩による繋縛から精神的に解き放たれて、全ての執着を離れることで覚醒し、迷いをもつ苦悩の世界から静かなる悟りの世界を目指すなかに真実と果たすべき使命が浮かび上がる。
この時代は、数百年、数千年後に如何なる神話として人々に語られるのだろうか。人類の文明など存在しているのかも疑わしいが、闇の冥王サウロンの世界の如く人類の醜き欲望に支配された狂気の時代として刻まれていることは確かだろう。人それぞれの生命体としての使命を自覚するためには生々流転の長い時間が必要である。そしてその道程が厳しければ厳しいほどに思想の深化を果たすことが可能となる。稚拙で浅はかなる現代人に比べて、永遠の命をもつエルフの眼差しは深淵であり、悲しみに満ちている。緻密な哲学的幻想(ファンタジー)の中の伝説空間に於ける試行錯誤を読み解くことが自由思想の深化を果たすことになる。
理想郷としての輝かしい文明などは捏造された歴史書のなかにしかなく、天国や地獄などの宗教的世界観も支配のために造られた虚像である。果てしない支配欲に対峙する自由なる思想は、自由なる世界観から生まれる。そして自らのもつ欲望を超越する世界観のなかで生きる確かなる術を得ることが必要だ。人の持つ五感と感性を研ぎ澄まし、高次元の観ることのできない領域を理解し、そこにこそ真実と呼べる世界が存在していることを知る。人それぞれが、切なさと悲しみと歓喜の感性のなかで自らのもつ生きている意味と役割を自覚し、苦しみの我欲を超越した解脱者としての道程を歩むなかに真の理想郷が実体化する。
人の持つ創造力が哲学的幻想(ファンタジー)である仮想空間を生み出す。人が生きている領域は現実空間だけにあるのではなく、仮想空間の中に於いても生きているのである。現実と仮想との境界線は、人それぞれの意識領域の中にある。文字や映像で構築された世界は幻想であったとしても、人の意識に影響を及ぼすことができたとしたら、幻想は現実化されるのである。この時空間に存在する知的生命体としての人類の価値と意義は、果てしない欲望を満たすための争いに明け暮れることではないだろう。ロード・オブ・ザ・リングの世界観は自らの知性として現実化する。